さくら子

日本(ひのもと) さくら子です。 国難を乗り越え、美しい日本を取り戻す「モデル都市建設」に挑戦中です(*^_^*)v (アメブロでアカウント削除(BAN)によりこちらにお引越ししました(^-^)♪ )

2022年05月

昭和天皇が戦争中
国民に思いを馳せながら防空壕でお住まいになられた様子は
数年前多くの人に知られ、話題になり私も記事に書かせて頂きました。
そうして終戦を迎えました…
終戦の時の昭和天皇の御製

天皇陛下は戦後、ご自身の率直なお気持ちを国民に向けて残されました。
しかしその文書の存在が55年間も封印されていました。
当初この文書は封印される事はあり得ませんでした。
昭和天皇が公表することを強く希望されていたからです。
「真意をきちんと国民に伝えたい…」 昭和天皇はそうおっしゃって、
記念式典で文書の内容が公表される予定だったそうです。
ところが..直前になってGHQ占領下で公表は中止となったと言われています。
それ以来、半世紀以上にわたって文書が封印されてきました。
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詔書は、戦後新制度の下で初代宮内庁長官となった田島道治の遺品資料の中から発見されました。
「謝罪詔書草稿」の全文は五百十一字。
以下、原文ではなく大意。

謝罪詔書草稿 昭和天皇朕は即位以来二十余年、
始祖以来の代々の天皇と国民に背くことのないように日夜勉めてきたが、
時の流れを変えることができず、
善隣との友好を失い、列強と戦い、遂に悲痛なる敗戦に終わり今日の如き甚だしい惨禍を招くに至った。
屍を戦場に曝し、また職場で命を落とした人々は数えようもなく、
死者とその遺族に思いを致すとき、真に心痛の思いを禁じ得ない。
また戦傷を負い、戦災を被り、或いは異国の地に抑留された人達や
外地で財産を失った人々も数えきれない。
その上一般産業の不振、諸物価の高騰、衣食住の窮迫などによる数えきれないほど多くの人々との塗炭の苦しみは、まさに国家未曾有の災いである。

静かにこれらを考えるとき、心配の炎は身を灼(や)くようである。
朕の不徳を深く天下に愧(は)じる。
 
(原文:静ニ之ヲ念フ時憂心灼クガ如し朕ノ不徳ナル、深ク天下ニ愧ズ)

身は皇居内にあっても心は安からず、
国民のことを思うとき、その負荷の重さに途方にくれるばかりである。


しかしながら現今は稀有の激変期にあり、世情は騒然としている。
自分一人を正しく潔くすることを急ぐあまり国家百年の憂いを忘れ
目先の安らかさを求めることは、真に責任をとることにはならないと考える。
内外の情勢を鑑み、敢えて身を挺して艱難に立ち向かい、
徳行(とっこう)を修め善行を積み禍を払って、
国運の再建と国民の幸福に尽くすことにより、祖宗と国民に謝罪しようと思う。


全国民もまた、朕の意を諒(りょう)とし、内外の形成を察し、
心を合わせて協力し、それぞれの天職に尽くすことによってこの非常時を克服し国威をひろめることを心より願う。

(引用:加藤恭子「封印された詔書草稿を読み解く」『文藝春秋』2003年7月号)

昭和天皇がこのようなご決断をされた背後に以下の出来事があったと思われます。
以下、歩一〇四記念講演特集号より
●貞明皇太后の前で涙された昭和天皇
(略)…また、さらにご立派であったのは、貞明皇太后でした。
母君の貞明様は、亡くなるまで防空壕の中で生涯を送り、雨漏りのする、
そして皆様方、貞明様は法華経の信者でしたから、
戦死者のお名前を一〇人ずつ書きながら、
法華経をあげて生涯を送られたのです。
その貞明様が、皇霊殿に陛下をお招きになりました。
皇霊殿は高いので、東京の市中が見えるのであります。
焼けただれ、一日千秋の思いでわが子の復員を待つ年寄りたちの姿も、見えるのであります。
貞明様は陛下にそれをお見せになり、
「陛下、国民は陛下のご不徳によって、このように苦しんでおります。
この国を一日も早う復興しようと召されず、お腹をおめしになろう(切腹しよう)
などとはご卑怯ではありませんか。
退位は絶対になりません!」
陛下は、母君の前で頭を垂れて泣かれたそうです。
どうしたらいいのかと。
「陛下の万歳を叫んで死んでいった
護国の英霊の労苦を労いなさい、
遺族の労苦を労いなさい、
産業戦士の労苦を労いなさい」
――これが、後の陛下の行幸(外出)になったのでした。

最初の地は広島でした。原爆の地、広島でした。
共産党の腕利きが、今こそ「戦争の元凶である裕仁に対して恨みを報いようではないか」とビラをまき、宣伝カーで叫んでいました。
ご行幸、広島s
むしろ陛下がおいたわしかった。
「万歳、万歳」の歓呼をもって迎えられました。
ご行幸福井
陛下に向かっての発砲もありました。
八二歳のある老婆が犠牲になったことも、中国地方の一角でありました
(広島で、陛下をねらった弾がはずれて老婆に当たった事件)。
陛下の行幸は、そういう中に続いたのであります。…」
(歩一〇四記念講演特集号より)
貞明皇后 1
昭和天皇の戦い 加瀬英明 昭和天皇皇后のスリッパ04




日本は愛情主義の国


(アメーバブログで削除処分された記事から)
戦後GHQは日本の精神伝統の基である教育を奪いました。
彼らが消し去った不都合な真実を、このシリーズで復活させます。
墨塗り3

国立国会図書館HPより

尋常小學國語讀本 小さなねぢ  1尋常小學國語讀本 巻十二 文部省 1931.6

第十二課 小さなねぢ

尋常小學國語讀本 小さなねぢ  2
暗い箱の中にしまひ込まれてゐた小さな鉄のねぢが、不意にピンセットにはさまれて、明るい処へ出された。ねぢは驚いてあたりを見廻したが、いろいろの物音、いろいろの物の形がごたごたと耳にはいり目にはいるばかりで、何が何やらさつぱりわからなかつた。 

しかしだんだん落着いて見ると、此処は時計屋の店であることがわかった。自分の置かれたのは、仕事台の上に乗つてゐる小さなふたガラスの中で、そばには小さな心棒や歯車やぜんまいなどが並んでゐる。きりやねぢ廻しやピンセットや小さな槌やさまざまの道具も、同じ台の上に横たはつてゐる。周囲の壁やガラス戸棚には、いろいろな時計がたくさん並んでゐる。かちかちと気ぜはしいのは置時計で、かつたりかつたりと大やうなのは柱時計である。 
尋常小學國語讀本 小さなねぢ  3

ねぢは、これ等の道具や時計をあれこれと見比べて、あれは何の役に立つのであらう、これはどんな処に置かれるのであらうなどと考へてゐる中に、ふと自分の身の上に考へ及んだ。 

「自分は何といふ小さい情ない者であらう。あのいろいろの道具、たくさんの時計、形の大きさもそれぞれ違つてはゐるが、どれを見ても自分よりは大きく、自分よりはえらさうである。一かどの役目を勤めて世間の役に立つのに、どれもこれも不足は無ささうである。唯自分だけが此のやうに小さくて、何の役にも立ちさうにない。何といふ情ない身の上であらう。」 

不意にばたばたと音がして、小さな子どもが二人奥からかけ出して来た。男の子と女の子である。二人は其処らを見廻してゐたが、男の子はやがて仕事臺の上の物をあれこれといぢり始めた。女の子は唯じつと見まもつてゐたが、やがてかの小さなねぢを見付けて、

「まあ、かはいゝねぢ。」

男の子は指先でそれをつままうとしたが、余り小さいのでつまめなかつた。二度、三度。やつとつまんだと思ふと直に落としてしまつた。子どもは思はず顔を見合はせ。ねぢは仕事台の脚の陰にころがつた。

 尋常小學國語讀本 小さなねぢ  4

此の時大きなせきばらひが聞えて、父の時計師がはいつて来た。時計師は、

「此処で遊んではいけない。」

といひながら仕事台の上を見て、出して置いたねぢの無いのに氣が附いた。

「ねぢが無い。誰だ、仕事台の上をかき廻したのは。あゝいふねぢはもう無くなつて、あれ一つしか無いのだ。あれが無いと町長さんの懐中時計が直せない。探せ、探せ。」
ねぢは之を聞いて、飛上るやうにうれしかつた。それでは自分のやうな小さな者でも役に立つことがあるのかしらと、夢中になつて喜んだが、此のやうな処にころげ落ちてしまつて、若し見附からなかつたらと、それが又心配になつて来た。

親子は総掛かりで探し始めた。ねぢは「此処に居ます。」と叫びたくてたまらないが、口がきけない。三人はさんざん探し廻つて見付からないのでがつかりした。ねぢもがっかりした。

尋常小學國語讀本 小さなねぢ  5
其の時、今まで雲の中に居た太陽が顔を出したので、日光が店一ぱいにさし込んで来た。するとねぢが其の光線を受けてぴかりと光つた。仕事臺のそばに、ふさぎこんで下を見つめてゐた女の子がそれを見付けて、思はず「あら。」と叫んだ。
父も喜んだ、子どもも喜んだ。しかも一番喜んだのはねぢであつた。
時計師は早速ピンセットでねぢをはさみ上げて、大事さうにもとのふたガラスの中へ入れた。さうして一つの懐中時計を出してそれをいぢつてゐたが、やがてピンセットでねぢをはさんで機械の穴にさし込み、小さなねぢ廻しでしつかりとしめた。

龍頭を廻すと、今まで死んだやうになつてゐた懐中時計が、忽ち愉快さうにかちかちと音を立て始めた。ねぢは、自分が此処に位置を占めたために、此の時計全体が再び活動することが出来たのだと思ふと、うれしくてうれしくてたまらなかつた。時計師は仕上げた時計をちよつと耳に当ててから、ガラス戸棚の中につり下げた。

尋常小學國語讀本 小さなねぢ  6
一日おいて町長さんが来た。
「時計は直りましたか。」
「直りました。ねぢが一本いたんでゐましたから、取りかへて置きました。工合の悪いのは其の為でした。」
といつて渡した。ねぢは、
「自分もほんたうに役に立つてゐるのだ。」
と心から満足した。
(おわり)
人格大国 01


目指せ!教育大国日本

安心させておく戦略~自主防衛能力を持たせない戦略
バイデン大統領が一昨日、裏玄関(勝手口)の横田基地から入国しました。

20220522 バイデン横田に勝手に入る
迎えたのは、エマニュエル駐日米国大使、超危険人物です。

エマニュエルさんは母国アメリカで悪名高く、
日本に対して今まで行った事はというと…

・『年次改革要望書』で日本から搾取した主犯格
・小泉、竹中らを操り日本を弱体化した主犯格
  ジャパンハンドラーの『中心人物』
・日本から更に搾り取る為に来ている
・戦争を『仕掛け』武器で『儲ける』一味

さて、バイデン大統領は昨日、日米首脳会談のあとの記者会見で、

中国が武力で台湾統一を謀ろうとした場合、軍事的に関与する考えを示しました。

我欲覇権主義の中国は今、ロシアと結束しています。

この両国は、大量の核兵器を持っています。
この中国に経済制裁をしても効果がない事は実証済みです。

逆にアメリカは経済制裁すればするほど、インフレに陥っています。

その様な中でのバイデン大統領の宣言は、現実的ではありません。これを「失言」だとする見方もありますが

伊藤貫さんの発言(冒頭の画像)から察するに、アメリカは日本を「安心させておく」

という意図で計算された言葉とも取れます。

記者会見で質問したアメリカ人記者も、バイデン大統領も

描かれた台本通りのセリフだったかも…?

 

このセリフを聞いてそれでも尚、日本がアメリカの破れ傘依存

バイデン発言に期待するようでは、もう二度と我が国は主権の回復など見込めないでしょう。

 

中国が日本に対し強く出始め、尖閣を狙い出したのは、
経済で日本を追いぬいた直後からです。

GDP このまま放置すれば日本は「後進国」化する 藤井聡s
遠山の金さんはいくら正しくても、或いは人情が厚くても

最後のクライマックスで、悪党たちに負けてはお話になりません。

 

日本が世界のためにお役に立てるような立派な国になるには

大義や愛情主義を貫くのは勿論ですが、

更にその上で、我欲主義勢力に技術力や力でも決して負けてはなりません。

威厳が備わった国になるには

圧倒的実力を持つことによって
「戦わずして勝利する圧倒的基盤を造る」こと
が大切です。
正しくても、愛があっても、力がなれば滅ぼされます。
インカ帝国がそうであり、有色民族国家の辿った道がそうでした。 

有色人種は間違って負けたのではなく、力で負けたのです。

理念において、精神において、経済において、政治において、軍事力において

総合的に強くなければなりません。
軍事力を持たないほうが平和になると信じている日本人もいるようですが

そんなに周りの国々は良い人なのでしょうか。

どんなに真理があり愛があり、正しさを貫いても基盤力がなければ滅ぼされます。

さて日本は、原爆を落としたアメリカが押し付けた非核三原則
後生大事に守っています。
非核三原則 ノーベル平和賞

 アメリカの反則負け2
原爆の人体実験を日本に二度も行い、国際法違反し、
戦後はサンフランシスコ講和条約で独立後も、占領軍は居座りつづけ
日本を属国として、
経済を吸い上げているアメリカ。

原爆実験台にされた

終戦で失った日本精神等…その全てを復活させなければなりません。







過去BANされた投稿の再アップ↓この続きです。

最初、少しおさらいします…φ(・_・)♪
イスラエルの統一王国で繁栄していたソロモン王が
偶像崇拝、女性問題等あらゆる問題で神から離れました。神の怒りをかい
「ソロモン、それがお前の本心であったか!お前の国は分裂する。」
と南北分立時代(善悪分立)が訪れました。
これが先回ご説明した
(悪魔側)北イスラエル(失われた十支族)下剋上の闘争の連続
(神側) 南ユダ王国(ユダ族、ベニアミン族、レビ族)万世一系

この時代が400年間続きます。
ソロモンは国王の位置で崩れたのですから、当然『国』が裂かれたわけです。

南北分立時代と、その後の捕囚時代との大きな違い
南北分立時代には、あくまでもまだ主権はイスラエルにあったのです。
ですからこの間は罪を犯しても「悔い改めなさい」と預言者が口で諭しています。
預言者が沢山出たので別名『預言者の時代』と言われました。
ところがその400年の間にイスラエルの民は悔い改めませんでした。
親は子供に口で叱っても子供が悟れなかった時、叩くのと同じで、神は叩いた。
即ち北イスラエルはアッシリアに滅ぼされました。(BC722)
南朝ユダも400年間の終わりのほうになって、同様に反逆の道を行きました。
その頃に登場した預言者が四人
イザヤ、エレミヤ、エゼキエル、ダニエルです。
この、旧約時代の重要な位置を占める預言者が南ユダに対して訴えました。
「お前達も北と同じ道を行くのか!悔い改めなければ滅ぼされるぞ!」と。
ところが一向に悔い改めませんでした。
その時エレミヤが決定的な預言をします。
(エレミヤ書 25:8-11)
 それゆえ万軍の主はこう仰せられる、あなたがたがわたしの言葉に聞き従わないゆえ、
 見よ、わたしは北の方のすべての種族と、わたしのしもべであるバビロンの王ネブカデレザルを呼び寄せて、この地とその民と、そのまわりの国々を攻め滅ぼさせ、これを忌みきらわれるものとし、人の笑いものとし、永遠のはずかしめとすると、主は言われる。
 またわたしは喜びの声、楽しみの声、花婿の声、花嫁の声、ひきうすの音、ともしびの光を彼らの中に絶えさせる。
 この地はみな滅ぼされて荒れ地となる。そしてその国々は七十年の間バビロンの王に仕える。
この様にして、一系を維持していた南ユダ王国はバビロンに奴隷になってしまいました。(BC586)
言い忘れましたが、BC722年アッシリアに滅ぼされた北イスラエルも、善なる神の選民を悪い勢力が滅ぼしたのではありません。
腐敗した北イスラエルを神が罰し、滅んだのです。
「可哀そうな失われた十支族が…」ではなく、自ら犯した罪の清算です。
一方、南ユダも同様で
ダビデから一系で繋がってきたが、北イスラエルと同様腐敗した為、
バビロンへ捕囚され、ユダ族の系図が曖昧になりました。
一説には、丁度その頃、日本歴史が始まったと言われるのですが
年代が、ちょっと合いません。
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・日本建国(神武天皇即位)BC660年
・南ユダ王国最後の王・ゼデキヤ王の死亡 BC587年
・バビロン捕囚 BC586年~
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一系を維持していても南ユダ王国は既に腐敗していました。
最後の王から7代遡ったヒゼキヤ王の時代をみますと、
預言者イザヤが次のような預言をしています。
聖書 イザヤ書 7:14それゆえ、主はみずから一つのしるしをあなたがたに与えられる。
見よ、おとめがみごもって男の子を産む。
その名はインマヌエルととなえられる。
これはその七百年後にイエスが誕生する事についての預言でもありますが、
当時ユダ族のヒゼキヤ王に誕生したインマヌエル王子は
預言者イザヤ夫婦(インマヌエルは孫にあたる)と共に日本に
外典聖書には海路で渡り日本を建国し神武天皇となったという説があります。
時代的にはこちらが合致します。
日本に
・インマニュエル王子が来たのは21歳の時
・父親のヒゼキヤ王は当時41歳
・預言者イザヤ(60歳)夫婦と共に祖国イスラエルを離れた。
・東の果て、日の出ずる国、日本に向かい出港し海路で日本に辿り着いた
 とされています。
そしてBC660年・奈良県橿原において、
61歳でインマヌエル王子は神武天皇として即位したといわれています。

この説が事実か否かは別として
現代の摂理に於いてはこの日本こそが『イエス国家』として、
世界のとして立つ本流の国
であると悟らせてくれているように思います。
 (参考→
イエス誕生に際しインマニュエルは「神われらと共にいます」という意味があります。
マタイによる福音書 1:21-23 彼女は男の子を産むであろう。その名をイエスと名づけなさい。
彼は、おのれの民をそのもろもろの罪から救う者となるからである」。
すべてこれらのことが起ったのは、主が預言者によって言われたことの成就するためである。
すなわち、「見よ、おとめがみごもって男の子を産むであろう。
その名はインマヌエルと呼ばれるであろう」。
これは、「神われらと共にいます」という意味である。
父親ヤコブは死に際して祝福の言葉を残しました。その時ユダに対しては
「ユダの王朝が連続する」と言いました。
滅亡した南ユダ王国に代わり
現代に於いて日本こそが、神と親子の絆を結んだ本流となる国であると教えているようです。

さて次の日本語はヘブライ語で深い意味を持っています。
日本=「聖書に従う民」
大和=「神の選民」
瑞穂=「東の方に移住したユダヤ人達」
神國日本の大和民族は、神の選民

北イスラエルも日本に来た形跡があるようですが、(陸路で)殆どが中国大陸に留まったとも言われています。一部は来たようですが
あくまでも日本のとなったのは、皇室に代表されるように『ユダ族』とされています。

地球物理学がご専門の竹内均氏(東京大学名誉教授)
「世の中の多くの人は、旧約聖書は単なる物語であり、そこには何らの歴史真実もないと考えている。しかしこれらの本を念入りに読めば読むほど、その考え方が間違っていることがわかる。(略)
最近の地球物理学の研究とも話のつじつまが合うことから考えても、
旧約聖書に歴史的真実が秘められていることは疑うべくもない。
・・・これが科学雑誌「Newton」初代編集長の主張です。
驚くべき旧約聖書の真実 竹内均

日本が世界の幹となり、愛情主義精神を世界に広めましょう。
1966 大義の為に死ぬ 絶対的幸福感 三島由紀夫 1




今迄の繰り返しですが食糧危機が既に始まっている為、再度投稿します。
ヨハネの黙示録 13:17 この刻印のない者はみな、物を買うことも売ることもできないようにした。
飢饉は避けられない自然現象ではなく、
グローバル勢力によって意図的に飢えさせ、貧困にさせられ、
人類を奴隷化されてきました。
「彼ら」が意図的に食糧危機を起こす為のコロナ・プランデミック(経済活動を抑える)であり、その為のIMFです。


●「食糧危機は、既に起こっている」鈴木 宣弘教授
(以下、要点)
食糧不足でお金を出しても買えなくなってきつつある中、日本政府は現状が見えておらず危機感がない。
日本の食糧自給率38%、つまり
体のエネルギーの三分の二近くを海外に依存している。
輸出規制により食糧や種・飼料など生産資材の輸入がストップしたり
価格ば高騰すれば、日本人は立ち行かなくなる。

今までアメリカとの「食の戦争」で『貿易の自由化を強要』されて
敗北に敗北を重ね…自給率を意図的にさげられてきた。
例えば
「車の輸出を増やす代わりに、食糧の自給率を下げろ!」と。
穀物は武器だ
戦後の日本の農業は、アメリカにより弱体化されてきた。
アメリカは、
「日本はアメリカの余剰生産物(餌にもならず捨てるようなモノ)で食べてゆけ。」…カビがわき、腐ったものを喰え。

■日本の子どもがターゲットにされている
 戦後GHQは配給を抑え餓死者を大量に出した上で、アメリカの余剰小麦を与えた
…給食=不味いパン(質の悪い小麦粉)や脱脂粉乳。
そして今は、ゲノム編集(遺伝子組み換え)トマトを
日本の子供に食べさせろ→学校給食で食べさせる事が決定

…外資、儲けの三段階
①農薬で儲ける
②添加物で儲ける
 そして→日本人を病気にして、
③製薬会社が儲ける
 すると益々日本人は病気になる→更に製薬会社は儲ける
 悪のスパイラル
コロナワクチンだけでも日本は77兆円買わされている。
※欧米では完全に禁止されている危険な農薬
 ●危険な有害物質の為、訴訟が起こった→流石に使えないからと、禁止した。
 →在庫が沢山余った「もったいないから」と、日本に売りつけ、バンバン使わせている。
除草剤も、犬が舐めたら、一瞬で死ぬ
それを、日本は大量に使わせられている。

以上の問題点を農水省の官僚(生産局長)が官房長官に進言してきた
 その正義感ある官僚は、官房長官にクビにされた。

●農業
・日本は肥料の内、リン・カリウムを百%輸入している。
今、それを生産している中国が売ってくれない状況になっている。
・ウクライナ、ロシア、ベラルーシという化学肥料原産国も売ってくれない状況になっている。
…このままだと来年は化学肥料は無くなる。
近代農方では肥料がないと作物が育たない。
土づくりは、1年や2年で出来るものではない為、
化学肥料が無いからと言って有機農法に変えて行くにも無理がある。

国の発表で、野菜は8割を国産で賄っていると言うが
アメリカの戦略で国産野菜の9割は『種』を外国から輸入させられている。
グローバル勢力の魂胆
種を握れば食糧を握る食糧を握れば世界を支配できる1
          
この輸入が止まれば作れない。←グローバル勢力の策謀通り。
野菜を国産で自給可能なのは8%になる。
この「種」と「肥料」不足が問題となっている。

●畜産
飼料は100%輸入
●玉子
96%国産だが、餌は輸入に頼っている。
餌が途絶えれば、国の自給率は10%に落ちる。
食の戦争で今迄アメリカから攻撃され続けてきた
(書店解説欄より引用)
TPP参加が現実味を増すなか、食戦略なき日本の食の未来はどうなるのか。
日本が農業鎖国であるという言説は本当なのか。
作物の遺伝子組み換えが進み、モンサント社をはじめ食産業の寡占化・食のグローバル化がますます進むなか、近未来の食をめぐる世界戦略地図はどう描きかえられるのか――。
「閉鎖的な農業戦略にショック療法を」というかけ声の裏側にある各国の食戦略のウソを読み解き、時代じだいの食戦略とその結末を歴史的に振り返り、アメリカンスタンダードにノーをつきつけるヨーロッパスタンダードを紹介。
安全基準をも含めた食戦略の日本の、そしてアジアのあるべき姿を徹底して考える。

もう自動的に兵糧攻めにされる状況に陥る。

ディープステートは日本に何をしたか~(2)の続きです。(画像は管理人)
・その三 近隣諸国との対立を煽って日本を封じ込めた
日本に軍事的には勝利したとはいえ、彼らとしては日本がアジアの大国として再興することは阻止しなければならないとの決意をもって、
日本の手足を縛る体制を打ち立てました。
東アジア・レジームと言われる日本封じ込め戦略です。
この事情をブレジンスキーは「日本を再びリージョナル・パワーにしない」と言い切っています(『The Grand Chessboard』)。リージョナル・パワーということは地域強国ということですが、パワーとは国家のことでもありますから、
日本を独立国家として行動させないということを意味します。

 

ではどのような日本が求められているかというと、ブレジンスキー曰く
「日本は国際的な存在であれ」ということです。
ブレジンスキーの発言 国際貢献せよ
(略)

これこそ日本の対外関係の社会主義化でした。
国際主義(グローバリズム)とは社会主義の別名であることを想起してください。

 

彼らは日本を封じ込めるために近隣諸国との間に不和の種を蒔きました。
いわゆる、「分断統治」の鉄則です。
・北方領土問題については、米英とも
「千島列島の範囲を巡ってロシアと日本を永久的に論争させる」ように仕向けました。
・韓国との間では、アメリカは竹島が日本領であると認めているにもかかわらず、この立場を公表することはせず、
竹島問題を巡って日韓を争わせ、この問題には介入しないとの立場を貫いています。
さらに、「アメリカは韓国において強力な反日洗脳教育をおこなうと同時に、産業面においては韓国を、日本を牽制するための基地として育てました。
その結果、韓国にIT産業、造船、鉄鋼、半導体など日本をコピーしたこんにちの産業構造がつくられたといえます。
こうしたことの背後には、有色人種を分割したのちに征服するという『divide and conquer』の戦略があった」と喝破したのは、韓国人評論家のキム・ワンソプ氏です(『親日派のための弁明』)

 

・また尖閣諸島についても、アメリカの基本的立場は「尖閣諸島は日米安保条約の適用範囲ではあるが、尖閣の帰属問題にはコメントしない」というものですが、これは同盟国であっても日本の領土だと認めないということを意味します。
日本と中国が尖閣の領有を巡って争うことはアメリカにとて有利と考えているわけです。

 

以上の例はほんの一部に過ぎませんが、国家間を常に対立関係に置いておくという「分断統治」がディープステートの国際情勢面における一貫した戦略であることが改めて証明されました。
----- ----- 引用終わり ----- ----- 
【ご参考】






ブレジンスキー 日本は保護領 伊藤貫

最初に尖閣の海底資源に気付き、狙ったのはアメリカのグローバル企業です。
尖閣諸島問題を作り上げたのは?

尖閣上陸の団体は米が結成させた





悪意を見抜く視点を養い、国難を乗り越えましょう。



ディープステートは日本に何をしたか~(1)の続きです。

世界共産化を目指していたディープステートは、GHQを通じて今度は日本の共産化を目指すのですが、その前段階として
日本社会を社会主義的制度に改造しようと試みました。


私たちはGHQと聞けば、日本に民主主義を齎(もたら)してくれたありがたい存在と反応するように教科書やメディアなどで洗脳されていますが、GHQを牛耳っていたのはニューディーラーの社会主義者たちでした。ニューディーラーとは事実上ユダヤ人のことですので、
結局GHQによる社会主義化は日本社会のユダヤ化ということになります。

 

この点を鋭く指摘したのは、GHQにも関わったユダヤ人モルデカイ・モーゼ氏です。モーゼ氏は『あるユダヤ人の懺悔 日本人に謝りたい』において、GHQのマッカーサー最高司令官がニューディーラーたちの操り人形であり、GHQへの社会主義化の具体的指令はアメリカ国務省内に居残ったニューディーラー・グループから送られ、民政局長のホイットニーや次長のケーディス大佐が中心となって、これらの司令を実行したと明らかにしています。

特に注目されるのは、日本国憲法はワイマール憲法の丸写しとの指摘です。
すでに明らかになりましたが、ワイマール共和国とはドイツを乗っ取ったユダヤ人が主導する共和国だったのです。
ワイマール憲法の真相を理解するためには、ワイマール共和国は、暴力的ロシア革命によってユダヤ人革命家がロシアを乗っ取ったのに対して、第一次世界大戦敗北の混乱に乗じていわば非暴力的手段でドイツを乗っ取ったユダヤ共和国であることを理解することが重要です。
そうでなければ、教科書が教えるようにワイマール共和国憲法は、当時の世界で最も民主的な憲法だったと誤解してしまう恐れがあるのです。
なぜなら、このような誤解の延長として、
日本国憲法は民主主義的憲法であるとの誤解が、現在も大手を振って通用している原因となっているからです

静かに確実に圧力を

ワイマール共和国と占領日本との違いは、

GHQのユダヤ人ニューディーラーたちはいずれ日本を去らなければならないということです。

そこで、彼らが退去した後の日本をGHQ路線(ニューディーラー的社会主義)に縛り付けておくために、

各界に彼らの継承者を残しました。

日本国憲法は日本共産党を先頭とする絶対的護憲政党、東京裁判史観については

WGIP(ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラムー戦争の罪悪感を植え付ける洗脳プログラム

を正当化するプレスコード(言論統制)を遵守する

メディア、優秀者が公職追放された後、居残って学会や教育界を支配する二流学者。

これらのいわば残置諜者(占領終了後もGHQの路線を忠実に守る日本人協力者)

後生大事に戦後民主主義体制というユダヤ思想支配を守って今日にいたっているのです。
----- ----- 引用おわり ----- ----- 
【ご参考】
バイデン米副大統領 日本国憲法は米国が書いた
交渉というものは存在しない。2
小山常実 憲法無効論とは何か 01 軍事力で恫喝


マッカーサーノートs

→(つづく)「ディープステートは日本に何をしたか(3)」






反日勢力は常に日本の弱体化を狙っています


日本人はお人好しであるために、

反日勢力に対してさえ悪人と評価することに抵抗を感じます。

それが悪人の絶好のチャンスとなります。

振り込め詐欺は悪いことですが、

その首謀者たちは悪いことであると知っていながら

襲いかかります。

悪意を見抜けない善人をターゲットとします。


善人は単なる善人ではいけません。

善意に生きるだけでなく、

悪意を見抜く力を持っていなければなりません。

善でも強くなければ知らぬ間に破壊されます。


最悪は悪意を善意と信じてしまうことです。

最も悪質な反日勢力は悪意であることをほんの僅かも出さず

完全なる善意に見せかけます。

へびのように賢く、はとのように素直であれ

我が国が国難を乗り越える為、反日勢力の悪意を見抜けるようにと願い三回に分けて投稿します。
馬渕睦夫著『「ディープステート」世界を操るのは誰か』より。
(184頁~188頁) 画像は管理人

----- ----- ココから引用 ----- ----- 

ディープステートは日本をグローバル市場に組み込むために、ブレジンスキーのレジームチェンジ方式を実践してきました。大東亜戦争敗戦後に日本を軍事占領したGHQ(連合国総司令部)は、日本の民主化にとりかかりました。
民主化の下に女性参政権を付与して普通選挙を実施しましたが、戦前非合法化されていた日本共産党を合法化し、多数の党員を当選させました。
ところが民主化とは戦前の日本を全否定するための看板に過ぎず、真の目的は日本の社会主義化だったのです。

GHQ施策の内容に触れる前に、大東亜戦争の真実を明白にしておく必要があります。フランクリン・ルーズベルト大統領が中国を共産化するために、蒋介石をあくまで日本と戦わせて疲弊させる戦略を取ったことは、第二章で述べた通りです。(略)

翌1937年7月に共産党の謀略から盧溝橋事件が発生し、日本は支那事変の泥沼に引き摺り込まれてゆくわけです。日本の度重なる和平提案に対し、蒋介石はまともに対応しませんでした。アメリカからあくまで日本と戦い続けるよう圧力をうけていたことは、第二章で説明した通りです。

戦後になって明らかになった、この間の事情を証明する二つのエピソードを紹介しておきます。(略)
…二つ目は、日中国交正常化前に訪中した佐々木更三社会党委員長に対する毛沢東の発言です。両者が会談した際、先の戦争を謝罪した佐々木氏に対し、毛沢東は「蒋介石と戦ってくれた日本軍のお蔭で共産党政権が実現した」と、日本に感謝したのです。

改めて強調しますが、アメリカは中国を共産化するために、日本が蒋介石と戦うことが必要でした。(略)

アメリカがマッカラム覚書に従って、謀略を働いて日本の真珠湾攻撃を誘発し、対日戦争に突入した…(略)
----- ----- ----- ----- 引用おわり ----- ----- ----- ----- 
【ご参考】
米が、戦争を起こした目的~中共を造ったのはユダヤ 6s

【東京裁判:東條英機の証言】...共産主義の脅威

東京裁判における日本側の主張の一番重要な部分は、共産主義の脅威である。


『満州を守らなければ満州が共産化する。

それから支那も赤化する。

支那事変であろうが、満州事変であろうが、

その背後にはコミンテルンが働いていた』

と東條英機は主張した。
----- ----- ----- ----- 
私たち日本人は反日勢力の悪意を見抜いて国難を打破できますように!
→つづく「ディープステートは日本に何をしたか~(2)」

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バターン死の行進の責任を問われて処刑された本間雅晴陸軍中将夫人富士子さんについて
フェイスブック友達の永井 とさんの投稿より転載します。 ◆本間中将の銃殺刑は、マッカーサーの復讐の為に、ちょうど四年前、本間の口より総攻撃の命令が下された同じ月日、同じ時刻にあわせて執行された。 本間雅晴陸軍中将02
◆マニラ軍事法廷の最終日の最後に、本間雅晴陸軍中将の夫人である本間富士子(当時、四十二歳)が弁護側証人として証人席に立った。 本間雅晴陸軍中将夫人富士子01 「私は東京からここへ参りました。
私は今も本間雅晴の妻であることを誇りに思っております。 私には娘がひとりおります。いつの日か、娘が私の夫、本間雅晴のような男性とめぐり会い、結婚することを、心から願っております。 本間雅晴とはそのような人でございます。 本間は、小さなことでも逃げ口上を言う男ではございません。 彼は心の広い人で、細かいことにこだわりません。 また彼は平和的な雰囲気を創り出し、その中で過ごすことを好みます。 彼の行為はすべて、このような姿勢に基づいているのです。 たとえば、外で嫌なことがあっても、彼は、けっして家に持ち込んだことはありません。常に微笑を浮かべて帰宅しました。 本間はそのような性格の人です。 彼の趣味の第一は、読書でございます。古今東西の書物を読みます。また詩作もいたします」
彼女は、マニラの気候に合わせ、夏向きの和服姿で、終始、理知的な表情を崩すことなく毅然とした姿勢で証言をした。
◆この言葉が通訳によって伝えられると、法廷のあちらこちらからすすり泣きの声があがり、米軍検察官の中にも感動のあまり涙をぬぐう者がいた。
そして本間中将自身も、妻の自分に対する絶対的な尊敬と愛の言葉に接し、ハンカチを顔にあて嗚咽していた。
当時の法廷の様子を描いた諸記録が伝えるところである。
◆終戦直後のマニラは、日本人とみれば罵声が浴びせられ、石が飛んでくるほど、反日感情が充満していた。
しかし、夫人の証言を聞いたフィリピン人たちまでもが、証言を終えた彼女に争って握手を求めた。
翌日のマニラ・タイムスをはじめとする地元紙も、彼女に対する好意に満ちた記事をこぞって掲載した。
◆《夫人が東京からマニラへ出発する時の新聞記事》
◎「本間がどういう人間であるか、真実の本間を全世界の人々に一人でも多く知っていただきたいのです…裁判の結果などは念頭にありません」
◎「私の責任の重大さは十分認識しています。
日本の家庭婦人としての面目を少しでも傷つけるようなことがあったら日本の皆様に本当に申し訳ないことだと思います。
日本の女として初めて世界の視線に立つだけの覚悟は十分致して参るつもりでおります」                     
彼女は、夫の命乞いではなく、“日本の誇り”を決然と示すため、マニラに行った。
◆夫人は、帰国する直前の夜、夫と最後の面会を行った。
時間は三十分と制限されたが、監視役の米憲兵大尉はわざと酒に酔い、二時間後に帰ってきた。
夫妻のために時間を作ったのである。
本間を身近に接した米軍人は、いずれも彼に敬愛の念を持つようになっていた。 本間雅晴陸軍中将03
◆今 日出海(こん ひでみ、明治36年生。初代文化庁長官)は、
帰国直前に本問と面会した際、本間が収容されていた房に、警備のMPが自分の小遣いで買って差し入れたチョコレートの缶の山を見ている。
また、MPが「あんな立派な人に接して名誉だ」と語ったことも記している。
◆この裁判がどういったものかよく現しているのが、
昭和20年12月18日の起訴状を読み上げるに先立ち、
首席検察官フランク・E・ミーク米陸軍中佐が裁判官たちに向かって、
この訴訟手続きは厳密に法律的なものではないことになっていると通告した。
そして、マッカーサーの定めた裁判規定の一節を読み上げ、裁判官に注意を促している。
つまるところ、マッカーサーは、裁判の判決が気に入らなければ、その決定をほとんど完全に無視することができるというわけである。
「マッカーサーの復讐」として、結果は決まっていると言っているのである。
◆最終弁論にたった本間の弁護人スキーン少佐は、
最後に凄まじい警告を持ってその弁論を締めくくっている。
『我々弁護人全員は、本間将軍の誠実さと高潔さを完全に信ずるにいたり、彼の代理人たることを誇りとするものであります。
(中略)
もし彼の生命が奪われるようなことになるならば、世界は、平和の維持に多大の功績をなし得る一人の人物を失うことになるのであります』。
◆紀元節の2月11日に、判決が下され、
処刑は、4月3日午前0時53分。
ちょうど4年前に第14軍司令官であった本間の口より総攻撃の命令が下された同じ月日、同じ時刻にあわせて執行された。
この日にち合わせは、マッカーサーの復讐心を物語っている。
史上最年少の米国陸軍参謀総長を務め、フィリピンを第二の故郷と呼ぶマッカーサーにとり、バターン半島で傷つけられた誇りへの復讐の念が深くこもっていた。
のちに連合軍総司令官として厚木に乗り込んだマッカーサーの使用機は「バターン号」と名付けられていた。
本間中将を裁く5人の裁判官は、いずれもバターン半島で日本軍に白旗を揚げた将校だったことでも、裁判という名前の復讐劇だった事がよくわかる。
◆東京に進駐してきたマッカーサーは、判決後の3月11日に、弁護人ファーネスト大尉とともに尋ねてきた富士子と会い下記のような会話をしている。
「あなたが最後の判決をなさるそうですが、そのときは裁判記録をよくお読みになって、慎重にしていただきたい」
「私の任務について、あなたが御心配なさる必要はありません」
「夫の裁判に関する全記録をいただきたい」
「よろしい、コピーをとってあげましょう。生活に不自由なことがあれば、なんでも援助したい」
「お気持ちだけで結構です」
富士子夫人は、夫である本間中将の助命を嘆願にいったのではない。
裁判記録をきちんと読めば「りっぱな軍人である」死刑になる理由などないと確信していた。
後日、富士子夫人はこの日マッカーサーと会ったことについて、
「本間家の子孫に、本間雅晴はなぜ戦犯として軍事法廷に立ったかを正確に知らせるため、裁判記録がほしかったのです。
あれを読めば雅晴に罪のないことがわかり、子孫は決して肩身の狭い思いなどしないはず、と思いましたので」
と語っている。
◆マニラに連行されて以来3か月の間に、本間は待遇のせいもあろうが、
別人のように痩せ衰え、やつれ果てていたが、
4月2日の日没時、カンルバンの収容所から、刑場ロス・バニョスに運ばれた時の本間は、日本の将軍としての威厳をとりもどしていたという。
刑執行の前、彼はビールと、ビフテキとサンドイッチを要求し、さらにコーヒーを注文した。
そしてトイレに行き、「ビールとコーヒーだけはアメリカに返した」と笑ったという。
「目隠しはいらない」と本間は言ったが、強引にかぶせられた。
黒い袋をかぶせられたまま、「天皇陛下万歳、大日本帝国万歳」と三唱し、日本の方角へ向かって最敬礼をした。
本間の心臓部には4インチの白い標的がつけられた。
この時米軍の軍医は、本間の心臓が、平常通りの速度で鼓動していることを知って驚いたという。
◆《辞世の句》
「戦友眠る バタンの山を眺めつつ マニラの土となるもまたよ志」
「栄えゆく 御國の末疑わず こころゆたかに宿ゆるわれはも」
「予てより 捧げし命いまここに 死所を得たりと微笑みてゆく」
享年58歳。
本間雅晴陸軍中将
本間中将の長女尚子さんの悲願であった将軍の慰霊碑が、将軍終焉の地であるロス・バニョスの刑場跡に建立され、鎮魂の旅が、昭和49年3月24日から27日まで当時第14軍の参謀であった6名の方を招待し行われた。
※「酒たまねぎや」さんのHPから抜粋、追加。
《参考及び引用文献》
◎「正論」平成十七年七月号に掲載された米田健三帝京平成大学教授の「米軍検察官が泣いた 凛とした本間雅晴中将夫人の『戦犯』法廷証言」
◎「将軍の裁判」ローレンス・テイラー著 立風書房 昭和五十七年刊
◎「南十字星に抱かれて」福富健一著 講談社 平成十七年刊
----- ----- ご参考 ----- ----
●「バターン半島死の行進」での司令官・本間雅晴中将は、マニラ裁判で死刑になっている。でもこの行進はトラックがなかったからで、日本兵だって歩いていた。決して捕虜を殺すために歩かせたわけではない。

●ここで重要なのは、フィリピン戦でマッカーサー軍は本間軍に破れており、マッカーサーは命からがらオーストラリアに逃げている。これは「復讐」である。
     《渡部昇一 「自ら国を潰すのか」》
   渡部昇一(他著書「決定版人物日本史」)


●自分たちでさえろくに食べられないでいた日本軍に、いきなりその統制下に入った8万の捕虜に十分な食糧を与えられる余裕があるはずはないし、ましてこれだけの人数を運ぶトラックやガソリンも持っていなかった。食うや食わずでひたすら歩くのが日本軍の常であったため、これを虐待だとは思わなかった。
      《若槻泰雄 「日本の戦争責任」》
    (他著書「『在中二世』が見た日中戦争」)


●敵の大将マッカーサーはさっさと逃げ出し、残った7万将兵も殆ど消耗なしで手を上げた。そんな大人数を運ぶトラックなんて持ち合わせがあるでなし。で、彼らを歩かせた。1泊2日で80キロの行程だ。
西村知美だって日テレの「24時間100キロマラソン」を走っている。大の米兵がそうしんどがる距離ではないと思う。

●笹幸恵女史が「バターン死の行進」を歩いてみた。「風邪気味でも歩けた」と文芸春秋で書いている。
バターンでは休息もなかった、休めば日本兵が銃把で殴りつけた、彼らは疲労で倒れた捕虜を容赦なく殺した、という。日本軍はそんな振る舞いはしないし、だいたい80キロを徹夜で歩いたわけでもない。一泊している。そんなゆるい死の行進があるだろうか。

●そう呼べるのは、例えばチェロキー・インディアン1万5千人をジョージアからオクラホマまで2千キロを歩かせたケースくらいではなかろうか。
冬をまたぐ半年の過酷な旅で、死者は8千人を数えた。米国ではこれを「Trail of Tears」(涙の旅路)と呼ぶ。 
       《高山正之 週刊新潮2008/7/3》


●『大東亞戦争 陸軍報道班手記-バタアンコレヒドール攻略戦』(→焚書)の中で、「バタアン半島總攻撃従軍記」と題する長い文章を書いているのは作家の火野葦平である。彼はその中で敵の食糧不足を指摘している。これはいったいどういうことなのか…

●日本軍はバターン半島を北の方から南に向かって攻めていく。大量の敵がバターン半島の尖端にあるコレヒドール島の方へ逃げていき、そこにたてこもったからである。
アメリカ軍とフィリピン軍は雪隠詰めのような格好でコレヒドールに追い込まれてしまう。その数は両軍合わせて8万3千。そこに、なんと2万6千もの難民、民間のフィリピン人も逃げ込んだ。だからたちまち食糧問題が深刻になってしまったのである。

●米国の「オレンジ計画」(対日戦争計画=管理者注)では、もし日本と戦争になったら、フィリピンは必ず日本軍の攻撃を受けるに違いない。そのときは首都マニラを捨てて、バターン半島に立てこもって迎え撃つ、コレヒドールの要塞は難攻不落だ。それがこの計画の考え方だった。

●昭和16年12月8日、ハワイが日本軍の攻撃を受ける。そのニュースをマニラで耳にしたマッカーサーは、「どうせアメリカの大勝利に決まっている。ジャップはさんざんな目に遭っているはずだ」といって知らん顔をしていたという。
副官がしきりに、フィリピンからB17の編隊を飛ばして台湾を攻撃するように具申するが、マッカーサーはそうしない。そのうち、台湾を飛び立った日本軍の大編隊がやってきて、米軍の飛行機はみな叩き潰され、飛行場も使いものにならなくなってしまった。

●マッカーサーは「オレンジ計画」通りに行動する、と宣言している。つまり、主力部隊をバターン半島に撤退させ、難攻不落のコレヒドールに立てこもる。当然、食糧が大きな問題になるはずだが、どうも米軍にはその用意がなかったようである。
…「死の行進」の前提になった飢えは、米軍の戦略の間違いにあるのではないのか。

●そうした流れの中で、日本軍は4月9日にバターン半島を完全攻略、米極東軍司令官ウェーンライト中将は無条件降伏を申し出てくる。マッカーサーは戦局不利と見た3月中旬、コレヒドールから魚雷艇を利用してミンダナオ島へ逃げてしまった。さらにそこから飛行機でオーストラリアへ逃走している。
“I shall return”という有名な言葉を残しているが、ともかくも将軍が真っ先に逃げ出してしまったのである。フィリピンのケソン大統領も一緒に逃げている。

●そのあといわゆる「バターン死の行進」になる。半島の南端にあるマリベレスから後方のサンフェルナンドまでの112キロを米比軍の捕虜に歩かせたら、2千人以上の死者が出たという出来事である。

●しかし考えてみるに、前年12月のマニラ陥落から4月11日の降伏までの間に、長い期間がある。この間、米比軍は食糧不足にあえいでいたのだから、わずか100キロ余り行進させられただけで倒れてしまったのは、基本的にはコレヒドールの要塞に立てこもるという「オレンジ計画」にのっとった作戦の失敗、というべきではないだろうか。アメリカ軍が食糧不足で体力を失っていたのだから。

●また、飢えとマラリアで苦しんでいる傷病兵を歩かせたために2千3百余人の兵が死んだ、ということになっているが、その最大の原因は、日本軍・米比軍ともに死闘を演じて体力を消耗しきっていた直後のためだと思う。
     《西尾幹二 「GHQ焚書図書開封2」》



●第14軍参謀長・和知鷹二中将は戦後次のように述懐している。
水筒一つの捕虜に比べ、護送役の日本兵は背嚢を背負い銃をかついで一緒に歩いた。できればトラックで輸送すべきであったろう。しかし次期作戦のコレヒドール島後略準備にもトラックは事欠く実情だったのである。決して彼らを虐待したのではない。もしこれを死の行進とするならば、同じく死の行進をした護送役の日本兵にその苦労の思い出話を聞くがいい》 (産経新聞 平成9年4月6日付)

●地元フィリピン人から聞かされた話によると、日本軍は「バターン死の行進」の終着点といわれるサンフェルナンドからカパスまで捕虜を汽車で護送しており、捕虜達を虐待するために故意に歩かせたのではなかったというのだ。

《井上和彦 「日本が戦ってくれて感謝しています アジアが賞賛する日本とあの戦争」》


●「バターン死の行進」…米側は「日本軍は歩けない者を殴り殺した」「差し入れする原住民を射殺した」と罪状を述べるが、日本側の記録は違う。
「炊き出しして捕虜に食わせた」「米兵が煙草をくれた」と、増田弘『マッカーサー』にある。
      《高山正之 週刊新潮2009/10/15》


●アメリカは、インディアンを強制移住させたときも、徒歩行進させて万単位の死者を出しているにもかかわらず、それは“トレイル・オブ・ティアーズ”だという。「涙の旅路」だと。

●第二次大戦で自分たちが日本軍に敗れてバターン半島を捕虜として歩かされたら、それは“デス・マーチ”だという。あちらは「涙の旅路」で、こちらは「死の行進」だとは、逆じゃないかと言いたい。インディアンを、女子供まで含めてジョージアからアリゾナまで雪の降る冬をまたいで、千何百キロ歩かせた。こっちはその何十分の一なのに。
  《高山正之 「日本はどれほどいい国か」》


新型コロナウイルス感染経路について、アメリカは早い段階で空気感染だと言っていましたが、日本政府は積極的には周知をせず、無意味なマスクを推奨していました。
漸く国立感染症研究所が3月に発表したくらいです。

これに関して、南出弁護士は「國はずっと隠し通してきた」と。
真実を書けばそれをかき消そうと「彼ら」が特別に雇った団体が「フェイクだ」と組織的に真実叩きをしています。
それを恐れて正しい情報を国民に伝えなかったのでしょうか…

そうした中で↓これもフェイクと言われていますが引用します(ナカムラクリニック中村篤史医師のブログで紹介された記事)。
JRマスクはNWOの秩序に従わせる為の布石s
JRマスクはNWOの秩序に従わせる為の布石2
今日は、このロスチャイルドが言っているマスクについて考えてみたいと思います。
マスクの弊害は多くの学者が警告しています。
マスクは感染予防に効果ないスタンフォード大研究)
マスクは感染予防に効果ないスタンフォード大研究)a
国内外で報告されている感染経路で一番確立が高いとされているのが
エアロゾル感染だそうです。(参考文献はページ下方に)
これに対するマスク効果はあまり期待できないようです。
20220328 エアロゾル感染 国立感染症研究所
マスクの効果が低いことは厚労省や経産省、消費者庁も言っています。
マスク効果低い 厚労省1
コロナは風邪 マスクを外そうs
医師もツイッターで言われています。
マスクは癌の原因1
東京都のHPでも…
マスク予防効果低い東京都
しかし世間ではマスクが強要される空気が漂っています。
この連休で旅行をした帰りに立ち寄ったSAのラーメン屋さんでは
知人が、マスクをしていないという理由で、食品の提供を断られました。
長い行列を並んだ挙句のことでした。
その方は70代で長旅に疲れたご様子で、とてもお気の毒でした
浜北軒 マスクしない客に食品の提供を拒否
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#信用毀損罪お客様のマスク未着用などを理由に一方的にサービスの提供を拒否された事による機会損失や、そのことで信用毀損が生じた場合
#強要罪マスクの着用を強要された場合
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それでも、それでも多くの人達はマスクが良いと思い込んでおられます
マスク奴隷 羊 03
~~~参考文献(国立感染症研究所)COVID-19のエアロゾル感染について~~~

World Health Organization (WHO), “Coronavirus disease (COVID-19): How is it transmitted?” (2021); who.int/news-room/q-a-detail/coronavirus-disease-covid-19-how-is-it-transmitted.

S. Centers for Disease Control and Prevention (CDC), “Scientific brief: SARS-CoV-2 transmission” (2021); www.cdc.gov/coronavirus/2019-ncov/science/science-briefs/sars-cov-2-transmission.html.

Gesellschaft für Aerosolforschung, “GAeF position paper on understanding the role of aerosol particles in SARS-CoV-2 infection” (2020); https://ae00780f-bbdd-47b2-aa10-e1dc2cdeb6dd.filesusr.com/ugd/fab12b_0b691414cfb344fe96d4b44e6f44a5ab.pdf


Jones RM, et al. Aerosol transmission of infectious disease. J Occup Environ Med. 2015 May;57(5):501-8.

Wang CC, et al. Airborne transmission of respiratory viruses. Science. 2021 Aug 27;373(6558):eabd9149.

Stadnytskyi V, et al. The airborne lifetime of small speech droplets and their potential importance in SARS-CoV-2 transmission. Proc Natl Acad Sci U S A. 2020 Jun 2;117(22):11875-7.

Alsved M, et al. Exhaled respiratory particles during singing and talking. Aerosol Sci Technol. 2020;54:1245–8.

Alsved M, et al. SARS-CoV-2 in exhaled aerosol particles from covid-19 cases and its association to household transmission. Clin Infect Dis. 2022 Mar 10:ciac202.


Jang S, et al. Cluster of Coronavirus Disease Associated with Fitness Dance Classes, South Korea. Emerg Infect Dis. Aug 2020;26(8):1917-20.


Cai J, et al. Indirect Virus Transmission in Cluster of COVID-19 Cases, Wenzhou, China, 2020. Emerg Infect Dis. 2020 Jun;26(6):1343-5.


Katelaris AL, et al. Epidemiologic Evidence for Airborne Transmission of SARS-CoV-2 during Church Singing, Australia, 2020. Emerg Infect Dis. 2021 Jun;27(6):1677-80.


Toyokawa T, et al. Transmission of SARS-CoV-2 during a 2-h domestic flight to Okinawa, Japan, March 2020. Influenza Other Respir Viruses. 2021 Oct 3.


Furuse Y, et al. Clusters of Coronavirus Disease in Communities, Japan, January-April 2020. Emerg Infect Dis. 2020 Sep;26(9):2176–9.


Furuse Y, et al. COVID-19 case-clusters and transmission chains in the communities in Japan. J Infect. 2021 Aug 11:S0163-4453(21)00399-6. 
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「彼ら」が牛耳っているマスコミの情報を鵜呑みする前に、自分で調べ、自分の頭で考える習慣をつけたいなと思いました^^










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