(小堀 桂一郎 東京大学名誉教授)
当時中学一年生だった自分の目にも、この裁判(東京裁判)への疑念が強く生じた。
当時中学一年生だった自分の目にも、この裁判(東京裁判)への疑念が強く生じた。
その切っ掛けは、南京事件に関する証人の出廷、証言である。
マギー牧師、ベイツ南京大教授。彼らが衝撃的な南京大虐殺の証言をする。
このときの検察側証人の申し立てによって、喧伝された南京占領当時の残虐事件というものが
国民に与えた衝撃は大変なものだった。
この南京大虐殺の報道が日本人の意識に深くしみ込み根を下ろした。
弁護人の反駁弁論は一切、許されなかったのです。
以後南京大虐殺という虚構が独り歩き続けていった。
当時、日本の言論報道界は厳しい管制をひかれていた。
GHQによる30項目からなるプレスコードの第 2 項目に
「東京裁判に対する批判的言論は印刷放送を許さない」
とある。
当時、私は中学生だが、「これは捏造である」と信じて疑わなかった。
根拠は、少年時代に、一時帰国中の兵士達から伝聞の記憶にある。
原爆投下を正当化するためにも米国は、日本側にナチスのホロコーストに匹敵する重要犯罪を作り上げなくてはいけない。
そこで飛びついたは、南京大虐殺の虚構だったのだ。
東京裁判こそ、国際正義の蹂躙である。
焚書図書から、日本の戦い方は、決して非戦闘員を狙った攻撃はしませんでした。(誤爆や便衣兵を攻撃したことはありました)
アメリカ政府は1943年5月という早い時点で
敢えて、明確に非戦闘員を狙った「原爆の対日投下」を決定していました。
アメリカは決定した直後から、そのホロコーストを『相殺』する為のプロパガンダ映像に取り掛かる等、情報戦争を展開しました。
つまり
先に、プロパガンダ映画を製作し、全米に反日感情を植え付け
次に、原爆人体実験をした。
The Fake of Nanking アメリカは決定した直後から、そのホロコーストを『相殺』する為のプロパガンダ映像に取り掛かる等、情報戦争を展開しました。
つまり
先に、プロパガンダ映画を製作し、全米に反日感情を植え付け
次に、原爆人体実験をした。

このプロパガンダ映画は開戦初期から、全米に放映され
戦争終結までに約400万人が観ることとなりました。
戦争終結までに約400万人が観ることとなりました。
スタンフォード大学歴史学部長のデビッド・ケネディ氏は
「南京大虐殺は反日プロパガンダの中核となり、
この映画はその顕著な一例である」

プロパガンダ映画を製作した監督フランク・キャプラ(1897-1991)は
三度もアカデミー賞を受賞した監督です。
三度もアカデミー賞を受賞した監督です。
同時にそれは次の事を意味します。
彼が探した限りに於いて、日本軍の非人道性を証明するフィルムは無かったと。
南京大虐殺の残虐シーンはヤラセであったのです。
このプロパガンダ映画の為に、日本の80万人以上の民間人が
米空軍の空襲の犠牲となりました。
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