南京入城 松井 国際法を守る日本軍
松井石根松井石根 大将
東京裁判で南京虐殺はあったと証言したのは、宣教師(偽キリスト教)でした。
500年続いた彼らによる大侵略時代(いわゆる『大航海時代』)に於いて
日本に来た耶蘇教(イエズス会)がそうであったように
彼らの
主目的世界侵略です。
イグナチウス・ロヨラ
布教は、その為の手段でした。 当時宣教師が中国の中で力を入れていた事は、
中国人に『反日』思想をすり込むことでした。
何故なら、彼らが侵略する上で恐れた事は、日中が一つになって国力を強化してしまうことだったのです。
09 ヘンリー・ストークス著「戦争犯罪国はアメリカだった」松井石根
昭和23年(1948年)12月23日 公務死
辞世の句
「天地も人もうらみず ひとすじに 無畏を念じて 安らけく逝く」
「いきにえに尽くる命は惜かれど 国に捧げて残りし身なれば」
「世の人にのこさばやと思ふ言の葉は 自他平等誠の心」
■松井大将を殺害しなければならなかったアメリカの事情
原爆投下の大罪を相殺する為に捏造した「南京虐殺」の嘘
これを暴かれない為には、当時の南京の真実を知る生き証人の存在はアメリカにとって不都合であり口封じをする必要があった。
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松井石根大将は中国人以上に中国を愛しておられ、真に中国を理解し、中国人を親愛する人と言われていました。
南京陥落時にも血を流さずに済むよう細心の配慮をされたとのことです。
後にパール判事は彼を高く評価しました。

-----『「南京事件の総括」虐殺否定の十五の論拠』田中正明 著 より抜粋-----
松井大将は南京攻略にあたって《南京城攻略要領》を下命し、
南京入城の兵は各師団とも選抜せる歩兵1大隊のみと限定し、次のような細心の注意を与えている。抄出すると、
(1)部隊の軍紀風紀を特に厳粛にし支那軍民をして皇軍の威武に敬仰帰服せしめ
 苟も名誉を毀損するが如き行為の絶無を期するを要す。
(2)別に示す要図に基き外国権益特に外交機関には絶対に接近せざること、
  外交団が設定を提議し我軍に拒否せられたる中立地帯(難民区のこと)には
  必要の立入を禁し所要の地点に歩哨を配置す、
  又城外に於ける中山陵其他革命志士の墓及明孝陵には立入ることを禁ず
(3)掠奪行為をなし又不注意と雖も火を失するものは厳罰に処す、
  軍隊と同時に多数の憲兵、補助憲兵を入城せしめ不法行為を摘発せしむ
 松井大将はこれでもなお安心できず、さらに
自ら筆をとって次のような末端将兵に対する訓戒を重ねて示達した。
「南京は中国の首都である。
之か攻略は世界的事件である故に 真に研究して 日本の名誉を一層発揮し
  中国民衆の信頼を増す様にせよ、
特に敵軍と雖も抗戦意志を失いたる者 及一般官民に対しては
  寛容慈悲の態度を取り  之を宣撫愛護せよ。」
 この一文は、下士官兵にいたるまで徹底せよと命じた。
------ 抜粋おわり--------
真理に従えば力がある