(コチラを参考にしました)
更に驚くべきことは20年以上に亘って、この造幣局の局長を入れ代わり立ち代わり務めていたのが「長州ファイブ」の男達だった。
伊藤博文、井上薫、遠藤勤助、井上勝、山尾庸三
イギリスがお金の造り方を教えそのカネを自由に操れる場所に、イギリスが支援した5人の男たちが入れ代わり立ち代わり務めている。(造幣局百年史より)
ただ一つ確かな事は薩長の若い藩士達が成し遂げた「明治維新」を切っ掛けに
数百トンとも言われる莫大な純金が、全て、国外へと消えてしまったということ。。。
ちなみにロンドン大学には「長州ファイブ」の功績を称える顕彰碑が建っている。
これらをまとめると
ロスチャイルドらはペリーを使って開国させた後(1854「日米和親条約」)、
南北戦争等(1861-65)で余裕のないアメリカに代わり
イギリスは長州ファイブをイギリスに密留学させ(1863-)、
その後明治政府にお金の造り方を教え(「造幣寮」1871年創設)
中央銀行も創らせた(1882年10月10日大蔵卿松方正義)。
イギリスに密留学させた長州ファイブ男達を操ることを通して
その造幣局のカネを自由に操った。
中国にしたようにアヘンを使い、自国の兵隊を消耗して敵国を滅ぼしカネを巻き取らなくても日本は乗っ取れた。
日本の内部から政権転覆を謀り、利益を得るという手口を使えば自国に犠牲を出さずとも、沢山の利権を得る事ができる。
これが、全てイギリスの戦略通りだったとしたら?
日本でアヘンが蔓延しなかった事も繋がってくるのではないでしょうか。
ちなみに、一番最初に明治の新政府を認めた国は、イギリスでした。
もし明治政府がイギリスにとり都合の良い政府だったとすれば全てが腑に落ちます。
明治維新には他にもこんな謎が残っています。
・実は「ジャーディン・マセソン商会」の長崎支店長として日本に送られたトーマス・グラバー
何故、薩長土佐の大物達はこぞって長崎を目指したのか?
近年、グラバー邸で発見された隠し部屋で、一体どんなやり取りが為されたのか?
・江戸無血開城を成し遂げた男:勝海舟と坂本龍馬・グラバーの黒いつながり。
何故江戸幕府の大物:勝海舟が斬首にならず、逆に明治維新の重鎮にのし上ることが出来たのか?
・英国公使として来日した第二次アヘン戦争の首謀者
大阪城で行われた徳川慶喜との会見で一体何を話したのか?
何故慶喜はその直後、上野に逃げ帰り、突然お寺で謹慎してしまったのか
百万の幕府軍があっさり戦闘を放棄した本当の理由とは?
・造幣局、東京駅、日銀など日本を代表する建物が、何故全て “イギリス製” なのか?
・何故いまだに日本の新幹線ではイギリス英語が使われているのか?
・何故、江戸城の中。石を投げたら半蔵門に当たるような特別な立地に、イギリス大使館が造られているのか?
等々…明治維新を日本国内だけの狭い視点からではなく
大帝国イギリスが目論んだ、世界征服の一部、という “広い視点” から見る事でバラバラだった点と点が綺麗に繋がります。
日本国内での出来事だと教わってきた明治維新が実はイギリス大英帝国が世界征服をする為の「明治維新・大作戦」だったとしたら?
巨大な帝国の手のひらの上で転がされていただけの単なるフィクションだったとしたら…
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ainiti
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