彼の愛国心から迸り出る訴え、日本の我々に一番訴えたい事は何だろうか?
と考えてみました。
それは、おそらく「哲学(神)と国家の独立」ではないかと思います。
一部ですが、纏めました。
(参考:表現者クライテリオン 伊藤貫氏の論文や講演ほか)
それは何故か?
人間には生きる上で重要な2つのMがある。
MEANINGと、MISSIONです。
(1)MEANING 私の存在の意味は何か?
(2)MISSION 私の存在意義を達成する使命感
この答えを人間に与えてくれるのは哲学、或いは宗教だけであるからです。
私達は我欲的な邪悪さの影響を一切受け入れない『真の独立』を果たした
そうした徳のある生活を営む国づくりが重要である。
外国に30年以上住んでいる僕が『日本の最大の弱点』だと思うのは
『哲学的』な思考の欠如。哲学的議論(=本質的価値を論じる)を
この77年間(或いは110年間)、殆どしてこなかった事。
「生きる意味は何か?!人間にとって最も重要な価値は何か?
人間は如何なる価値を実現する為に生きているのか?」
生きる意味が解ってこそ、初めて価値判断を実現する為にどうするかの議論が出来る。
これが解って初めて、生きている事の使命感や任務が解る。
戦後の日本人は「生きる意味」が自分自身でハッキリ定義できない。
よって、自分は何の為に生まれたのか!という使命が分からない。
この「生きる意味」「使命」についての“答え”は、
哲学や宗教からしか得られない。
社会科学をいくら勉強しても駄目なのです。
ところが愚かな事に、日本の学校教育は、
「宗教なんかは教えてはいけない」としている。
「宗教なんかを持ち出す人は、教育レベルの低い人、時代遅れの人に決まっている」と考えている。
戦後の日本社会は
「我々は合理的で理性的な人間なんだ。だから効率的な科学的な計算によって
『得か損か?』という事を判断でき
それが人間の生きる意味になるんだ」
と思っているのです。
これは恐ろしいことです。
損得勘定ばかりをしても、人間の生きる意味や価値・責任について
答えは永遠に得られない。
僕の大学時代の頭脳明晰な親友が東大経済学で博士号をとり、イェール大学でも博士号をとった、その優秀な奴は知的には抜群の能力を示している割に
人間の生きる意味や人間の価値についての議論が全く出来ない(能力がない)のです。
これは恐ろしい事です。
「損得」や「合理的か否か」については秀でた論文を書ける彼に
「では、人間が生きる意味は何だ?」
と質問しても答えられない。
そういう「哲学的疑問」から逃げている人間が
「損か得か」「合理的か否か」「効率的で生産性が上がる」しか論じられず、
それが人間の幸福に繋がると思い込んでいる。
しかし、それは絶対にあり得ない。
彼に「幸福とは何か?」と問うと「満足感だ」と答える。
しかし世の中にはゲスな目的を達成して満足感を抱く奴もいれば、
気高い価値判断を追窮&実行して得る満足感とは『価値』が違う。
『真の独立(我欲な人間中心主義の影響を受けない)』を守らねばならない。
哲学がないからアメリカという我欲主義勢力に蹂躙される。
それでは崇高な理想は維持できない。
全員戦って、死んだ方がよい。
※独立を守る目的:
崇高なる価値規範、神意にそった徳のある生活を貫く事。
我欲主義勢力に蹂躙され、隷属、属国になるくらいなら
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