戦後日本の指導者達は、狡猾なアメリカの我欲勢力による侵入を許し、
やりたい放題にさせて来ました。
「日本人は薄っぺらな思考で哲学的深みがない。
吉田茂から岸田総理まで77年間続けてきたこの路線は
卑屈で甘い汁を吸う為にアメリカにしがみ付き、
アメリカ相手にカネ儲けをしてきた。」
…これはアメリカの高官らが日本を心底軽蔑する様子を見て来た伊藤貫氏の言葉です。
彼はこう述べています。
「アメリカはその哲学的深みのない薄っぺらな日本の卑屈さを百%見抜いており、百%軽蔑している。
例えば国務省の日本担当官と話をすると
彼らが日本人を、徹底的に軽蔑しているのが解ります。」
「吉田茂から今に続く卑屈な日本の生き方は、哲学的、形而上的な、若しくは宗教的な価値判断力が全くありません。
これは『動物』との違いが無い、衣食住の必要性だけを考えている。
こんなものは、もう人間以下なのです。」
これが伊藤貫氏がクライテリオン11月号で記した「日本の最期」の究極的結論のようです。
そして伊藤貫氏が日本に期待する価値判断の基準について、こう述べておられます。
「僕は神は存在すると思っています。神の如き存在がある。
神に忠実でなければならない。
目の前の権力とか、目の前の世論、目の前の人気、目の前の損得…
そういうものを価値判断の尺度にしない。
特定の宗教に属していなかったソクラテス、プラトン、アインシュタインら…
彼らは、神の存在を信じていた。
僕もそういう神の如き存在があり、自分のやっている事が神さまの前に出て恥ずかしくないか?神に申し開き出来るか?と自問する。
価値判断の基準とは、人がどう思うかで決めてはいけないのです。
ソクラテスらと対立していた意見をもつプロタゴラスやゴルギアスは
「多数派の支持を得た方が勝ちだ」と言った。
即ち神を否定する者の価値判断の尺度は「人が自分をどう思うか?」だけ。
人気取り競争に勝って上手く立ち回った奴が勝ちだと言った。
これに対抗して
「それは違う!」と言ったのがソクラテスとプラトン。
そのソクラテスとプラトンはアテネで少数派だったのです。
それと対立していたソフィストの考えが多数派。
そうしてソクラテスは殺されたし、プラトンも追われてソクラテスの死後十年ほど国外に亡命した。
宗教組織に所属しなくても、神は信じるという人は日本にもいる。
田中道太郎さんや福田恆存さんがそうです。
人間の最終的なロイヤリティ、忠誠心は神に向かわなければいけない。
最終的には、神が自分のやっている事が正しいと思ってくれるかどうか。
これが人間の最終的な価値判断の基準であるべきです。」
~~~ 参考動画 ~~~
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