丁度一年前、「クライテリオン」2020年3月号の伊藤貫氏の投稿を再掲します。
ご参考までに
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アメリカは1月3日(2020年)、ドローンを使ってイランの革命防衛隊ソレイマニ司令官を殺害した。筆者は、「アメリカの中東政策は1947年から数多くの失敗を繰り返してきたのに、ますますその失敗を悪化させている。アメリカは今後も、愚劣で残酷な中東政策を続けるだろう」と暗澹たる気分になった。過去73年間、米政府は自らの軍事力・経済力・国際政治力の優越性に奢って、脆弱な立場にあるイラク、イラン、パレスチナ、レバノン、シリア、イェメン、リビア、アフガニスタン、ソマリアの民間人を、560万人以上も死亡させてきた(この膨大な死亡者数は、現在も着々と増加している)。しかし国務省やCIAの官僚、政治家、マスコミ人たちは、米政府の中東政策がそのような惨事を惹き起こしてきたことに関して、ケロっとしている。そして米政府は、「アメリカは平和的な解決策を望んでいる。我々は、中東諸国に自由と民主主義と基本的人権を拡めたいだけなのだ」などと、口先だけの(ウィルソニアン的な)綺麗ごとを言いながら、自国の圧倒的に優越した軍事力によってアラブ人・イラン人・アフガン人を屈服させようとする粗野で冷酷な武断主義政策を続けている。
しかも、そのような政策が愚かであることを欧米の優秀な中東専門家やリアリスト派の国際政治学者が繰り返し指摘しても、アメリカの軍部と外交政策エスタブリッシュメントは聞く耳を持たない。アメリカには、現在の冷酷で愚かな中東政策を継続することによって、大きな利益を得ている特定産業、職業人、特定の民族グループが存在するからである。そしてこれらのグループが、アメリカの大手マスコミ、著名シンクタンク、金融機関、民主・共和両党の政治資金組織を支配している。シカゴ大学の国際政治学者、ジョン・ミアシャイマーが指摘するように、「特定の国内勢力が、アメリカの世論と軍事外交政策の支配権を握ってしまった。そのため、民主主義による政策変更システムが機能しなくなった」のである。(John Mearsheimer と Stephen Walt の共著: The Israel Lobby and US Foreign Policy, Farrar, Straus and Giroux,
2007)
◎中東政策の数多くの失敗
過去73年間、アメリカの中東政策の失敗は膨大な数に上る。それについて具体的に書き始めたら、千ページの分厚い本を書いても足りないくらいである。T.E.ロレンス(通称「アラビアのロレンス」)は、百年前の1920年、「イギリス人は、中東政治の泥沼に嵌ってしまった。イギリス人がこの沼から、自分たちの名誉と尊厳を失うことなく撤退するのは不可能だろう。イギリスの中東統治を待ち受けているのは、近い将来の大惨事だ」と述べていた。優秀な中東専門家であったロレンスが指摘するように、中東の統治とは、それほど困難なものなのである。
他国民を狡猾に操って利用するのが上手い老練なイギリスの外交家でさえ、中東政策では惨めな失敗を繰り返していた。イギリス人よりはるかに単純粗雑で独善的な外交思考力しか持たないアメリカ人が、第二次大戦後の中東政策で失敗を繰り返してきたのは、ある意味で自然なことである。以下の本稿では、アメリカの中東政策の数多くの失敗のうち、イラン政策の失敗について解説したい。
イランでは第一次世界大戦によって、それまで約120年間続いていたガージャール王朝が倒れた。この動乱状態を利用して、イラン軍コサック部隊のレザ・カーン大佐が首相となった。彼は1925年になると、「イラン皇帝」を自称するようになった。レザ・カーンの父親は旧イラン軍に仕える馬丁にすぎなかったが、レザ・カーンはこの時点から突然、「由緒正しいパーレヴィ王朝の皇帝」となったのである。オポチュニスティックな英政府は、このパーレヴィ王朝を支持した。
第二次世界大戦によって即製の「パーレヴィ王朝」は統治力を失い、1951年にモハンマド・モサデクがイラン首相となった。民主的な選挙で選ばれたモサデクは、教育レベルの高い名家の御曹司であり、優秀な法学者であった。しかし残念なことに彼は、米英両国の帝国主義的なイラン支配から祖国を独立させようと企む「身の程知らずのナショナリスト」であった。当然のことながらアメリカ政府は、イラン国民の圧倒的多数から支持されているこの民主的な首相の存在を許さなかった。アメリカはイランを、米英両国の隷属国の状態に留めておきたかったのである。
そこでCIAは1953年にクーデタを起こし、モサデクを失脚させ、彼を長期間、投獄・監禁した。そしてCIAと国務省はレザ・カーン大佐の息子、モハンマド・レザ・パーレヴィをアメリカの言いなりになる傀儡独裁者に仕立て上げて、「由緒正しいパーレヴィ王朝」を復活させたのである(笑)。これが「世界に民主主義と自由を拡めるアメリカ外交」の実態であった。
(ちなみに2003年のイラク侵略戦争以降も、CIAと国務省はイスラム教諸国の秘密警察に多数の反米活動家を逮捕させ、彼らを尋問・拷問・殺害させている。米政府の行動パターンは、今も昔も変わっていない。トランプ政権のジーナ・ハスケル現CIA長官は、長官に就任する前、CIAの腕利き官僚としてイスラム教諸国における反米活動家の逮捕・拷問・殺害に深く関与していた。彼女は、CIAエージェントによる拷問現場を撮影した数多くのビデオをすべて破壊した証拠隠滅活動の指導者であった。CIA内部での彼女のあだ名は、“Bloody Gina”[血まみれジーナ]である。)
◎イスラム革命
1979年にイランでイスラム原理主義者による革命が起きて、パーレヴィ王朝の傀儡独裁体制は崩壊した。アメリカ政府は即座に、「イランのイスラム共和国は民主的でない、自由主義的でない」という声高なイラン非難を開始した。1950年代から70年代末まで、CIA と FBI がパーレヴィ王朝の独裁体制に反対するイランの民主主義・自由主義活動家の逮捕・拷問・虐殺に協力していたことを考慮すると、1979年以降の米政府の「現在のイランは民主的でない、リベラルでない」という“道徳的”な非難は滑稽である。長期間、イランの民主化運動・自由主義運動を弾圧する行為に積極的に参加していたのは、アメリカ自身なのである。
1980年、イラクのサダム・フセインが、隣国の宗教革命の混乱に乗じてイラン侵略戦争を開始すると、アメリカは即座に侵略国イラクを支援し始めた。米政府は、米企業が(国際法違反の)化学兵器の材料をイラクに輸出することを許可し、米企業がイラク国内で化学弾頭とミサイルを製造する作業に参加することまで許可した。しかもペンタゴンDIA(国防情報局)の六十数名の職員がイラクに派遣されて、「イラン軍のどこに、イラクのマスタード・ガス弾とサリン弾を撃ち込めば最も効果的か」というターゲット情報まで供与していた。
サダム・フセインはイラク国内のクルド人に対しても大量の毒ガス弾を撃ち込んだが、米政府は、このクルド人大量虐殺行為を容認した。国連安保理でフセインの化学兵器使用が問題になった際、米国務省はイラク政府を擁護して、国連安保理がイラクの残忍な戦争犯罪を制裁することを阻止した。当時の米政府は、サダム・フセインの戦争犯罪の実質的な共犯者であった。(2006年、サダム・フセインは米軍占領下のバグダッドで戦争裁判にかけられて、絞首刑となった。彼の罪状は、「クルド民間人に対して毒ガス弾を使用したこと」であった。米政府は、「アメリカは人道的な理由により、対イラク戦争を実行したのだ」と世界中に宣伝したかったのである[爆笑]。)
◎イランに対する執拗な敵意
このような状況に直面したイラン政府は、「アメリカは何らかの口実を見つけて、対イラン戦争を決行しようとしている」と判断して、核兵器の開発を急いだ。キッシンジャーやケネス・ウォルツやミアシャイマーが指摘するように、限られた通常戦力しか持たないイラン政府にとって、アメリカによるイラン侵略戦争を阻止できる唯一の効果的な抑止策は核保有だからである。(北朝鮮は核保有に成功したため、アメリカからregime change戦争を実行される危険から逃れることができた。その一方、核保有しなかったイラクやリビアやシリアはアメリカによるregime change戦争の餌食となり、二百数十万人の自国民を死亡させた。中小国が核保有するということは、それほど強力な戦争抑止力を持つということである。)
オバマ政権はイランと2015年、イランによる核兵器保有を阻止するためのJCPOAと呼ばれる核開発停止条約を結んだ。これは適切な外交行為であった。イランは自国に対する厳しい経済制裁を部分的に解除させることを条件として、核兵器開発を停止することに合意した。ところがその翌年、外交政策と軍事政策にまったく無知な騒々しいegomaniac(自己中毒病)トランプが、アメリカの大統領選に勝利してしまった。そして米軍による対イラン戦争を要求するネタニヤフ・イスラエル首相と米国イスラエル・ロビーに簡単に説得されたトランプは、JCPOAを一方的に破棄した。(アメリカ政府の締結する条約の有効性とは、この程度のものでる。国際政治というものは三千年前から本質的に無政府的なものであり、強国が国際法を破ったり、条約を突然一方的に破棄したりしても、弱小国や国際機関はその行為を処罰できない。強国アメリカがJCPOAを一方的に破棄しても、弱国イランは泣き寝入りするしかない。)
JCPOAを一方的に破棄したアメリカはイランの石油輸出を禁止し、しかも厳しい金融制裁を課すことによって、普通のイラン人の非軍事的な経済取引まで妨害した。現在のアメリカ政府とイスラエル政府の真の意図は、イラン経済を絞め殺してイラン国民を極貧状態に叩き込み、イランを内戦状態に追い込むことである。その内戦によってイランの婦女子が何十万人死のうが、何百万人死のうが、米イスラエル両国はそのような「些事」には無関心である。トランプが最近、イラン革命防衛隊のソレイマニ司令官を暗殺したのも、「イランを露骨に挑発して、一刻も早く米イラン戦争を実現したい」と望んできたイスラエル・ロビーとネオコン族の戦争プランの一環である。
(この問題に興味のある読者は、インターネットの検索で、“Clean Break Report”に関する報道や解説を読んでいただきたい。これを読めば一九九六年以降、米国内のイスラエル・ロビーとネオコン族が、米軍を利用してイラク・シリア・イランを破壊しようと企画してきたことが理解できる。1996年にネオコン族がネタニヤフ首相に提出したClean Break Reportの提言に沿って、2003年の対イラク戦争や、その後の対シリア戦争が実行されたのである。)
ポンペオ国務長官やネタニヤフ首相は、この暗殺行為に大満足であった。ウォール街のユダヤ系金融業者とジャレッド・クシュナー(ホワイトハウス内で強い発言力を持つトランプの娘婿)も大喜びである。しかし本稿を書いている時点で、トランプ自身がどこまで本気で対イラン戦争を望んでいるのかは不明である。ティラーソン前国務長官は、「トランプはmoron(白痴)だ」と述べていた。筆者も同感である。トランプは、将来のことまできちんと論理的に考えてから行動できる人物ではない。JCPOAの一方的な破棄にしても、その後の苛烈で冷酷なイラン経済制裁にしても、年初の突然のソレイマニ暗殺にしても、トランプ自身が、「このような行動をとれば、いずれ対イラン戦争が不可避となるかもしれない」と論理的に考えてから実行した政策ではない。
1953年から現在まで続いている米政府の冷酷で不正な対イラン政策は、今後、さらに悪化していくだろう。百年前にT.E.ロレンスは、「イギリスの中東統治を待ち受けているのは、近い将来の大惨事だ」と述べていた。最近の筆者は、「残忍不正なアメリカの中東統治を待ち受けているのは、近い将来の大惨事だ」と感じている。そしてアメリカの隷属国にすぎない日本は、米政府の愚かな中東政策の失敗に今後も振り回され続けるだろう。
現在の日本政府が自衛隊を形式的に中東地域に派遣しようがしまいが、実際の中東情勢には何の影響もない。そして「敗戦後の日本は、アメリカの属国にすぎない」という現実も、一ミリたりとも変わらない。ロシア人や中国人やインド人は、自国の軍事外交政策を自分で決定する能力を持っている。しかし日本人にはそのような自己決定能力はないし、そのような自己決定能力を回復したいと願う知性と道徳感(morality と morale[士気]の双方)すら残っていないのである。
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