さくら子

日本(ひのもと) さくら子です。 国難を乗り越え、美しい日本を取り戻す「モデル都市建設」に挑戦中です(*^_^*)v (アメブロでアカウント削除(BAN)によりこちらにお引越ししました(^-^)♪ )

2021年04月

陽が昇る国
大好きな日本が世界に貢献できる「人格大国」となることを願って!
昨日のつづきを書きます。
日本が主権回復したとされる「サンフランシスコ講和条約」に署名した同じ日の午後5時、日米安保条約が署名された経緯について前回書きました。
前日深夜に突然言われ、予定外の出来事であった「日米安保条約への署名」
日本はこのアメリカの身勝手に対し、独立ムードから一転し
『不快』に思ったのです。
しかしこういった認識を持ったのは日本側だけではありませんでした。
「もし安保条約が締結されたら
日本側代表団の少なくともひとりは暗殺されることは確実だ
…この言葉は当時ダレスの補佐官であったアリソンが日米安保条約締結の二ヶ月前の1951年7月3日イギリスの外交官に対して言った言葉です。
(アリソンは後に「対日秘密洗脳工作」の総責任者となる)
つまりそれほど迄に日本に対し不条理な不平等条約ですから
日本国民に知られたら怒り狂って、締結した日本の責任者を暗殺するぞ
と言ったのです。
おそらく近い認識をアメリカ政府は共通して持っていたでしょう。
我欲覇権主義国家・アメリカはそれを明確に認識しながらも、日本に対する良心の呵責は欠片もないことが分かります。
〔※〕この理不尽な内容は『密約』により、60年安保改正以降も活きています。
   →(1959年12月3日 基地権密約 藤山外相×駐日米国大使)

では具体的に内容を見てみましょう。
戦後体制の本質は旧安保条約第一条
【アメリカは米軍を
 日本およびその周辺に配備する権利を持つ】
これが全てです。「要望」ではなく『権利だ!』と一方的です。
占領軍は日本に居続け、国境を越えて東アジアで軍事行動ができる状態にした。
これが日米安保条約の狙いです。
これを独立ムードの日本政府に突きつけたのが「サンフランシスコ講和条約署名の日」でした。
現代日本に於ける最大の洗脳、それは
「安保条約は、日本がアメリカにお願いして、守って頂いている」というマヤカシです。
日本を永久に占領し続けたいアメリカが書いたのです。
この条約を、占領から解放された筈の講和条約と同時に結びました。
----- ----- ----- ----- ----- ----- ----- ----- -----
★安保条約原案(1950年10月)カーター・B・マグルーダー陸軍少将により作成(後に陸軍大将、在韓国連軍事司令官→朝鮮戦争)
①「この協定(=旧安保条約)が有効な間は、日本政府は陸軍・海軍・空軍は創設しない(自己防衛能力を持たせない)。
ただし(略)、アメリカ政府の決定に、完全に従属する軍隊を創設する場合は例外とする。
↑コレが密約としてその後担保されてきた。これを実現させたのは2015年アメリカの指図の通りに、集団的自衛権行使を容認。(要するに自衛隊はアメリカの指揮下に=属国のカタチ)

②戦争の脅威が生じたと米軍司令部が判断した時は
日本の全ての軍隊は、アメリカ政府によって任命された最高司令官の指揮の下に置かれる。(→吉田茂首相の口頭密約)
1950年10月に米軍が書いたこの条項は、吉田茂の口頭密約として、
その後は、国連の地位協定として成立してゆく。

③日本軍が創設された場合(略)日本国外で戦闘行為を行うことは出来ない。
ただし、前記の『アメリカ政府が任命した』最高司令官の指揮による場合はその例外とする。(→2015年アメリカの指図の通りに、集団的自衛権行使を容認)
日本は軍事的に主権を放棄させられている属国。
戦争協力をさせる。
アメリカが米中覇権戦争をした際、日本は断る権利はない。
アメリカの指揮権下に自動的に入るという条約を結ばされている。

現在、米海兵隊が2020年3月に立てた米中覇権戦争の戦略「デザイン2030」では、戦場は日本、日本だけを犠牲にする戦略となっています。
今日本が抱える国難の原点は「日本が主権回復した」とされる日にあったとも言えます。
私たち日本国民は、先ず何を以て主権回復すればよいでしょう?
知情意の、先ずは知的改革に挑戦しませんか!
移民なき静かな革命による日本再興!

芹沢光治良著(1972年)「人間の運命『遠ざかった明日』」
サンフランシスコ講和条約の締結により、日本は何から『遠ざかった』のでしょう?『真の主権国家となる日』です。
そもそも吉田茂首相は何故署名したのでしょう。
サンフランシスコ講和条約(インド首相)
更に吉田首相は同日、日米安保条約にも署名しました。
つまり占領軍が『居座り続ける』ことが決まった日です。

「主権はまだ回復出来ていない」…そう、芹沢治良は『遠ざかった明日』と題した本に書きました。
(6年前の投稿 アメーバブログでBANされた為、再掲します)
この小説は明治から昭和の終戦、その後の占領下の日本の現実を描き、サンフランシスコ講和条約が締結するところで閉じられている、その最終章を少し引用しながら書こうと思います。
■サンフランシスコ講和条約とは?
サンフランシスコ講和条約
作者と思われる主人公が締結のニュースをパリで知った時の様子が次のように書かれています。
親しいモンパルナスのレストランのソムリエから
「今日はムッシュと日本の悲しみに共感を表すためにおごらせてください」
と赤葡萄酒を一ビン食卓に乗せた。 
驚いて「日本と私の悲しみって?」と問うと 
「ムッシュは夕刊をご覧になりましたか?
サンフランシスコ講和条約が締結されましたね。」(略)
「いいえお祝いではありません。講和条約の条文をよく読んでご覧なさい。
あれでは日本は独立国ではありません。アメリカの属国になったんですよ」 
「アメリカの属国だって?」 
日本全土、北から南まで重要な場所にはどこにもアメリカ軍が駐屯して、
陸も海も空も全て日本の安全をアメリカ軍が保障するなんて、
これではアメリカが日本を属国にすることです。
私はムッシュが気の毒で今晩はお慰みするために、私にご馳走させてください」
「かつて日本は世界を相手に最後まで戦った強国です。
これではあまりにもアメリカの思い上がりですよ」
「得体の知れない悲しみと憤りを一身におさえて、日本に早く帰って同胞とともに真実を確かめたいと思います。
そしてこれからこの国が完全に独立を得るために、どれほど長く苦しい国民的努力がいるか」
          芹沢光治良著(1972年)「人間の運命『遠ざかった明日』(277頁)
教科書では独立したと教わりますが、事実は違っていました。
長文を避け、流れをザっと画像にしてみました。
ジョン・フォスター・ダレス 一瞥して不快感を禁じ得なかった

日米地位協定は、何故できたのか?
日米安保条約は、何故できたのか?
それはまさにサンフランシスコ講和条約を結んで占領政策は終わる。その終わった後、米軍基地はどうなるのか?と。
基地を失いたくない(占領し続けたい)アメリカが「講和条約は結ぶが基地を置き続ける為に作った
それが日米安保条約です。
そしてその基地を維持する為の基本的な枠組みが地位協定です。
つまり占領政策を延長する為に地位協定を作り、
それを正当化し、力を維持する為に日米安保条約を突き付けました。
そうしてアメリカはサンフランシスコ講和条約の場に立ちました。「日米安保条約を受け入れなければ独立させないぞ」と恫喝して…
上の画像を時系列に右から見てゆきますと、
1951年1月、ジョン・フォスター・ダレスは戦後原爆利権で暴利を貪ったロックフェラー三世らを引き連れて来日しました。
余談ですが、ロックフェラーと言えば彼の財団はGHQ占領時の1948年にも来日し
背後で政治家を操り悪名高き「優生保護法」と罰則付き「予防接種法」を制定させました。
つまり戦後のベビーブームを強制終了させた立役者です。
同年南アフリカのアパルトヘイト政策として、同様の事をして黒人の人口削減に関与しました。
この様な者達が日本へ来て何をしたか?
先ず事前に作成していた
日米安保条約の原案米軍カーター・B・マグルーダーが作成)
カーター・B・マグルーダー陸軍少尉
これを突き付けてジョン・フォスター・ダレスはアメリカの意図を明確に日本に伝えました。
「我々が望むだけの兵力を、望む場所に、望む期間だけ駐留させる権利を有する。
これがアメリカの目標である」

これは属国状態を実質継続させるという強い意志の現れです。
さすがにこのアメリカの言い分は、日本国民に知れると不都合である為
秘密裏に交わされた密約で規定されました。
密約の方程式 都合の悪い取り決め=新しい取り決め+密約
この内容は今も尚生きています。
この事は「在日米軍基地に関する秘密報告書」1957年2月14日 でも明らかです。
(※駐日アメリカ大使館から米本国に出されたもの)

内容は、
「駐留米軍の権利について、占領期から独立以降にかけて、ほとんど変わることなく維持され軍事的には占領体制をそのまま継続する」
というものです。

米軍が日本に居座る口実をつくる為にアメリカは
同時並行で朝鮮戦争を仕掛け、ワザと米軍(国連軍)が負ける事で共産主義勢力の脅威を見せつけました。
米ソはヤラセ冷戦で水面下で繋がっており、スターリンは国連軍の編成に賛同していた為、
国連安保理にソ連代表を欠席させました(グロムイコ回顧録)。
敵国が使用したロシア製の兵器は、アメリカの資本家が建設した工場やアメリカの技術でまかなわれていました。(ベトナム戦争も同様)
我が国は占領中であり、米国から参戦しろと強要され参戦、戦死者も出ました。
勿論当時日本兵に対する指揮権は米軍(←この属国のカタチは、今も有事の際は同じ)です。

そしてこのアメリカが仕掛けた戦争で
米軍の指揮の下で戦死した日本人
〔アメリカが製造した武器=敵の武器〕で戦死したのです。
国連軍は不自然な戦い方をして、敢えて敗戦しました。
お蔭で占領軍は日本に居座り続けることが出来ています。
日本の戦後体制(アメリカの属国)は、朝鮮戦争レジームとも言い換えられます。
その本質は旧安保条約第一条
【アメリカは米軍を日本およびその周辺に配備する権利を持つ】
これが全てです。
占領軍はサンフランシスコ講和条約後も、
日本に居続け、国境を越えて東アジアで軍事行動ができる状態にした。
これが日米安保条約の狙いです。

先ずサンフランシスコ講和条約の調印式(1951/9/8) の前日、
日経新聞(2012/12/29)によりますと、深夜11時頃、西村熊雄 外務省条約局長がGHQ外交局長シーボルト大使から呼び止められ、翌日午後5時に安保条約の調印をするよう指示されました。
西村氏は後にこの件について「代表団の多くが失望感を懐いた」と記録しているそうです。
当然です、一見独立したかのように見せかけて、占領を続行させる。「隠れ植民地・日本」を喜べるわけがない。
ところが吉田茂首相は違ったとのこと。議員団の一員として現地にいた吉田側近の福永健司衆院議員によると、吉田は賛成だったそうです。
↓そうして吉田首相が一人で臨んだ日米安保条約の調印式。
日米安保条約調印
吉田首相を後ろから見下ろすアメリカの要人の表情は嬉しそうですね。
真ん中にいるのがジョン・フォスター・ダレスです。新世界秩序樹立に熱心でした。ちなみに彼の息子はローマカトリックの枢機卿でした。
19510908 日米安保条約に一人で署名する吉田茂全権ss
ケネス・ウォルツ(米国際政治学者。カリフォルニア大学バークレー校名誉教授)はこう述べています。
過去300年間、米等の覇権主義国家は同盟国を何度も騙したり、裏切ったりしてきた。自立する努力をしない国(日本)は、その無責任な外交態度をいずれ後悔する事になるだろう。
さて、今米中が覇権を争っています。
これについて偶々お二人の元陸将のご見解が近いものでした。
「米中覇権戦争の戦場は、日本。
日本を犠牲にし、米中は傷つかない。米国は日本を守るフリするが
日本人が死のうが破壊されようが、知ったコトではない」

我が国は今こそ、真の主権国家として立ち上がるべきです。
弱肉強食主義の米中の争いではなく、
『人格大国・日本』を目指して!


~~~ご参考~~~
19450815-19510908 サンフランシスコ講和条約まで
19510411-1224 ダレスに台湾国民政府との講和確約(吉田書簡)
その2につづく

欧州ラビ緊急会議にて講演 ラビノヴィッチ
「1952年に一通の文書が西側民主主義国に到着した。
その文書は、非ユダヤ人に対する独裁権の確立という計画を、
早急に推し進めようと、ユダヤがやっきになっている様子を伝えていた。

それは、「1952年の1月12日にハンガリーのブダペストで開かれた、
欧州ラビ緊急会議にて講演」と記された、
ラビ=エマニュエル・ラビノヴィッチの確固たる次のような演説の筆記録であった。

「わが子よ!諸君はここに、我らが新計画の重要な段階を要約するためにお集まり頂いたのである。
すでにご承知のように、我々は第二次世界大戦によって獲得した偉大な成果を強化するためには、
次の戦争までに20年の余裕があることを願って来た。
だが、核心地域におけるわがユダヤ民族の目覚ましい増加は、
我々に対する敵対勢力を覚醒させつつある。
そのために、ここにきて我々はもてるあらゆる手段を総動員して、
5年以内に第三次世界大戦を勃発させる処置を講じなければならなくなった。

三千年間にわたって一致協力しながら奮励してきた目標が、
ついに手の届くところに迫った。
目標の実現は明白であるがゆえに、
努力と警戒をさらに10倍に増大させることが我々にとっての義務である。
私は諸君に確かに約束する。
10年以内にわが民族は、世界ですべてのユダヤ人が王となり、
すべての非ユダヤ人が奴隷となる正当な地位を得るだろうことを(会場からの拍手により是認)。

諸君は、成功裡に完遂した1930年代のわが宣伝戦を想起しなければならない。
すなわち、ドイツの反アメリカ熱を刺激すると同時に、
アメリカの反ドイツ熱を刺激することにより、
遂に第二次世界大戦に突入させた宣伝戦をである。
それと同様な宣伝戦を、我々は今世界中で徹底して遂行している。
ロシアでは、絶え間のない反アメリカ弾幕をはることにより、
ロシアの戦争熱を煽っている。
一方アメリカでは、全国規模の反共産主義人心攪乱戦術が国内をなめ尽くしている。
この宣伝戦は、すべての弱小国家に対して、ロシアの衛星国になるか、
それともアメリアの同盟国になるかという選択を強いている。

現時点での我々の緊急の課題は、
いまだくすぶっているアメリカの軍国主義を燃え上がらせることである。
総国民軍事教練法の失敗は、われらが計画にとっての一大後退であった。
だが、1952年の選挙の後、
適切な施策がすみやかに議会を通過するであろうと我々は確信している。
アジアの諸国民と同じくロシアの国民も十分な支配下に置かれており、
戦争に対しては一切反対はない。

だが我々はアメリカ国民をガッチリと掌握するまで待たなくてはならない。
ここにおいて我々は、かってアメリカ国民をドイツに敵対統合させる上で、
多大な貢献をした反セム主義(*反ユダヤ主義)を使って処理しようと思っている。
我々は合衆国の内部に義憤を煽り立て、
ソビエト権力に対して連帯戦線を構築するためには、
ロシアにおける反セム的な侮辱行為の報告が重要であるとみなしている。

同時に、反セム主義の実体をアメリカ国民に見せつけるために、
新たな財源から巨額の資金をアメリカ国内の公然たる反セム分子に融通して、
連中の有効性を増大させる所存である。
我々は、アメリカの大都市数か所で、反セム暴動を計画的に実行する予定である。
これは二つの目的に役立つことになろう。
一つは、アメリカ国内における反動的な地区を暴露し、
しかる後に沈静化することができるという目的、
もう一つは、合衆国を熱心な反ソ部隊へと一体化させるという目的である」

②数千人のユダヤ同胞を生贄(いけにえ)にすることは、ささやかな代償に過ぎない
「5年以内に、この計画は第三次世界大戦という目的を達成することになろう。
そして大戦は、これまでのあらゆる戦争を遥かに凌駕する破壊的なものとなるであろう。
もちろんイスラエルは中立国としてとどまる。
そして、両陣営が荒廃し疲弊したとき、我々が仲裁に現れ、
破滅した全ての国々へわが管理委員会を送り込むであろう。

この戦争は、非ユダヤ人に対する我々の苦闘を永遠に終息させることになるであろう。
我々は、アジア人種及びアフリカ人種とつながっている我々の正体を公然と世間に示すであろう。
私は、白人の子供の最後の世代が今生まれつつあると確信をもって述べることができる。
わが管理委員会は、平和の維持と人種間の緊張を一掃するために、
白人が白人と結婚することを許さないであろう。
白人の女性は有色人種の構成員と同棲し、
白人の男性は黒人の女性と同棲しなければならない。
このようにして、白人人種は消滅するであろう。
なぜなら、有色人種と白色人種が混血すると、白人はおしまいになるからである。

すなわち我々の最も危険な敵は、単なる記憶となろう。
そして我々は平和と豊穣の一万年時代に旅立つのだ。
それは、パックス・ジュダイカ(ユダヤの平和)であり、
そこでは当然の如く、わがユダヤ民族が地球を支配するのである。
わが優秀なる知性は、有色人種世界に君臨する支配者としての、
我々の立場を容易に維持し続けることになるであろう」
                 ★
【質問】
「第三次世界大戦後の宗教はどうなるか?」
【回答】「もはや一切の宗教はなくなる。僧侶階級の存在は我々の支配にとって、
絶えざる危険であるばかりでなく、死後の世界を信じることは、
多くの国々にいる非妥協分子に精神的な力を与えることになり、
連中が我々に反抗することを可能にするからだ。

だがユダヤ教の儀式と習慣は、我々世襲支配階級の徴(しるし)として存続させることになる。
わが民族の掟を強化し、その結果ユダヤ人は、わが民族以外の誰とも結婚することは許されず、
またいかなる異邦人も我々は受け入れないことになろう」

「第二次世界大戦で、我が同胞の一部をあえてヒットラーの悪党どもに
生贄として捧げざるをえなかった。
あの辛い日々を我々は再び繰り返さねばならぬかもしれない。
なぜなら、やがて我々は和平を命令した後に、
アメリカとロシアの指導者を戦争犯罪人として、
裁判にかけ処刑することになるが、
その時、我々が法的に正当であることを証明する十分な記録と証拠を残すためである。

私は、諸君がそうした義務を果たすための覚悟をいささかも必要としないと確信する。
なぜなら、生贄は常にわが民族の合言葉だったのであり、
世界の主導権と引き換えに数千人のユダヤ人を犠牲にすることは、
むしろささやかな代償に過ぎないからである。

この主導権を我々が確実に掌握することを諸君に納得してもらうために、
私は、白人のすべての発明品を
我々がどのようにして白人攻撃のための武器に転用してきたか
ということについて指摘しておきたい。

すなわち、白人の発明した印刷機とラジオは我らが宿願の代弁者となっている。
白人の重工業は兵器を製造し、アジアとアフリカ諸国を武装するために送られ、
白人を攻撃することになる。
ワシントンのわが関係者たちは、現在、世界の後進地域の産業を発展させるための
〈ポイント・フォー計画〉に全力を傾けている。
それは、ヨーロッパとアメリカの産業プラントと諸都市を核戦争によって破壊した後に、
白人たちが人口優勢な有色人種へ反抗できないようにするためである。
有色人種の技術的優位性は、やがて追随を許さないレベルに維持されるであろう。

そこで諸君、眼前に横たわる世界制覇の展望を胸に抱き、
それぞれの国に戻って諸君の任務をいよいよしっかりと果たしてもらいたい。
イスラエルが〈世界の光〉として輝かしき運命において、
あますところなく姿を現すであろうその日まで」
----- ----- ----- ----- ----- ----- ----- ----- -----
 この文書は、もともとイディッシュ語(*ユダヤ人の言語)でわが国に届いたが、
それをヘンリー・H・クラインが翻訳した。
クラインは、核戦争を勃発させようとする自国民の計画に恐怖を抱いたユダヤ人であった
(クラインは、後にCIA職員の訪問を受けた後、ニューヨークで不可解な死を遂げた。
CIAは現在、ワシントンのファイルにこの文書のオリジナル(原本)を保管している)」

③文書を呼んで激怒したスターリン、ユダヤの手によって謀殺される
「二重スパイのPは、ブナイ・ブリズのADL(名誉棄損防止連盟。ユダヤ人のアメリカの組織)の
内部中枢に潜入した人物であるが、1956年に筆者(ユースタス・マリンズ)に対して次のように語った。
『一握りのアメリカ人愛国者が、1952年のラビ=エマニュエル・ラビノヴィッチの演説を
出版し配布したことが、ユダヤ人がその全計画を延期する原因となり、
そのおかげで第三次世界大戦の恐怖を避けることができたのである』と。

またCIAは、このラビノヴィッチの演説が、
スターリンの間接的な死の原因になったと報告している。
スターリンは、秘密警察が入手したこの文書を見て非常に激怒し、
ソビエト共産主義指導部内の重要なユダヤ人達に対して強硬な処置を執るよう命じた。

この処置が実行される前に、ユダヤはお茶の中に麻酔剤を入れてスターリンに投与した。
そして9人のユダヤ人医師がスターリンを治療するために呼び入れられ、
スターリンの意識が二度と回復しないよう面倒を見たのである(1953年3月)。

1958年に、〈ロンドン・タイムス〉誌は、ラビ=エマニュエル・ラビノヴィッチの死を報じた。
しかし、ヨーロッパで何カ国語にも翻訳され、あらゆる国で知られていたにもかかわらず、
この有名な演説に対する言及は一言もなかった。
ユダヤ人に第三次世界大戦の恐怖を延期させる原因となった、
ラビ=エマニュエル・ラビノヴィッチの演説の出現と、それに続く暴露の配布は、
ひとえにイエス・キリストの慈悲深い顕現のおかげとするほかない」
(ユースタスマリンズ(著)「ユダヤのユダヤ5000年の秘密」 1995年1月1日)

FacebookのTLの広告に、最近頻繁に出るので、再掲します。
国境なき医師団は胡散臭い
綺麗な顔をして、親切な言葉を騙り、警戒されることなく、世界中の国に入っていける偽装集団。
大東亜戦争の原因となった白人による植民地支配の手法がそうでした。
バチカンがスペイン王やポルトガル王をローマカトリックに改宗させる。
そして狙った国に先ず、侵入させるのは修道服を着た侵略者達。
お話は逸れますが彼らは「正定事件」で被害者を装い、日本に歴史戦を仕掛けていましたね。
※正定事件とは
侵略目的で中国に入り込んでいたカトリック宣教師が
善人の被害者を装い「日本兵に被害を受けた」と嘘の歴史戦で日本バッシングした事件。日本のカトリック司祭がやってもいない事で謝罪し、先人を貶めた。
正定事件 カトリックによる捏造!」
彼らは凝りもせず、今も尚 似た手口を使っています。
その一つが「国境なき医師団」です。
7年前にユニセフと一緒に投稿した記事がアメーバブログでBANされたので
また一から書きます。

「国境なき医師団」の創設者の一人、フランスの元外務大臣クシュネル氏は
アメリカ共和党のネオコン系重鎮と一緒にシリアを訪問して、
イスラム国の司令官たちと記念撮影をしていました。
その写真が最近流出しています。
彼らが行く先々で、必ず石油などの地下資源が見つかるのは偶然でしょうか(・。・;?
手順はこうです。
先ずは、狙いを定めた資源豊富な地域に、紛争を起こさせる(←仲良しのイスラム国にヤラセる)
  ↓
秩序が崩壊し、国力が弱まったところに、巨大な銅鉱山が見つかる;   ↓
そこに、いきなり慈善を装った「国境なき医師団」が登場する。
 
逆に、撤退したところは
もう資源のプロジェクトが終わってしまったとか。。。
あまりにも、そういう『偶然(?)』が重なるという、不思議な団体ですよね。

(ご参考)「国境なき医師団」創設者とテロリストのつながり 丸谷元人氏
元 CIA 局員の Michael Scheuer(マイケル・シャウワー)氏は、
米国のフォード元駐シリア大使がシリア国内の反政府勢力を、
「おまえら一緒にアサドをやっちまえ」とたきつけていたと批判していました。

アメリカの大使などが時々駐在した国の反体制派・反政府派に協力をしたり
一緒にたきつけて政府転覆活動をします。
彼もそういうことをやっていました。
これをアメリカの元 CIA の人たちが批判しているようです。
  
フォードさんは当然ながらシリア政府に睨まれますから、身の危険を察知して
アメリカの当局が帰国命令出しました。
その後にエジプト大使になっているということです。
 
もう 1 つ、少し前に亡くなったアメリカ共和党のジョン・マケインさん。
この方、多分2013 年ぐらいだと思うのですがホワイトハウスの国家安全保障チームの全員が
イスラム国に武器を提供することを提案したとFOX News で言ってしまったのです。
この方もだいぶお年を召されていて、ベトナム戦争の時に捕虜になってベトナムに捕まっていた方です。
かなりこういった過激派組織とかいろいろな裏の工作などにも通じていた方ですが晩年少し失言が多かったのです。

彼はまた
「私はこれらの人々(IS)」と親しくしており、いつも連絡を取り合ってるんだよ」とまた FOX News でポロッと言ってしまいました。
2013 年、イスラエル系ロビー団体の支援を受けて、ジョン・マケインさんはシリアに密入国をしたのです。
この時に一緒に入ったのが、フランスの元外務大臣ベルナール・クシュネル氏で『国境なき医師団』を創設したメンバーの 1 人です。
そこで彼らが面会した中の 1 人は「北の嵐旅団」の指揮官の男でして、
レバノンでシーア派の民間人 11 人を誘拐した犯罪者なのです。

おそらくヌスラ戦線のメンバーだと言われていますが
この同じ写真の中に、何とイスラム国の指揮官であったバグダディとそっくりの人がいたということから、一時期インターネットでもかなり話題になりました。
ジョン・マケイン元議員は、イスラム国メンバーと仲良し
ジョー・バイデン大統領は当時こう言っています。
「湾岸諸国(クウェート、カタールなど)の政府や裕福な人々は、
アサド政権に対するシリアの反政府勢力に資金を与えている」。

これをバイデン大統領は 2014 年にハーバード大学の講演で言いました。
この資金供給の相手にはアルカイダ系ヌスラ戦線も含まれていたということをバイデンさんは言ったのです。
(この人が今は民主党を率いて、大統領になったということです。)

国難にあって、特攻隊から学ぶことは、 最後の決着をつける鍵は、神へ完全捨て身の祭物となり愛情主義を貫くこと、
以下、偉大な科学者アインシュタインが娘さんに宛てた手紙です。
----- ----- ----- ----- ----- ----- ----- ----- -----
「私が相対性理論を提案したとき、ごく少数の者しか私を理解しなかったが、 私が人類に伝えるために今明かそうとしているものも、世界中の誤解と偏見にぶつかるだろう。 必要に応じて何年でも何十年でも、私が以下に説明することを社会が受け容れられるほど進歩するまで、お前にこの手紙を守ってもらいたい。 現段階では科学がその正式な説明を発見していないある
極めて強力な力がある。 それは他のすべてを含みかつ支配する力であり、 宇宙で作用しているどんな現象の背後にも存在し、しかも私たちによってまだ特定されていない。 その宇宙的な力はだ! 科学者が宇宙の統一理論を予期したとき、彼らはこの最も強力なまだ見ぬ力を忘れてしまった。 愛は光だ。 それは愛を与えかつ受け取る者を啓発する。 愛は引力だ。 なぜならある人々が別の人々に惹きつけられるようにするからだ。 愛は力だ。 なぜならそれは私たちが持つ最善のものを増殖させ、 人類が盲目の身勝手さのなかで絶滅するのを許さないからだ。 愛は展開し、開示する。 愛のために私たちは生き、また死ぬ。 愛は神であり、神は愛だ。 この力はあらゆるものを説明し、生命に意味を与える。 これこそが私たちがあまりにも長く無視してきた変数だ。 それは恐らく、愛こそが人間が意志で駆動することを学んでいない宇宙の中の唯一のエネルギーであるため、私たちが愛を恐れているからだろう。 愛に視認性を与えるため、私は自分の最も有名な方程式で単純な代用品を作った。 「E = mc2(二乗)」の代わりに、私たちは次のことを承認する。 世界を癒すエネルギーは、光速の2乗で増殖する愛によって獲得することができ、 愛には限界がないため、愛こそが存在する最大の力であるという結論に至った。 私たちを裏切る結果に終わった宇宙の他の諸力の利用と制御に人類が失敗した今、 私たちが他の種類のエネルギーで自分たちを養うのは性急である。 もし私たちが自分たちの種の存続を望むなら、 もし私たちが生命の意味を発見するつもりなら、 もし私たちがこの世界とそこに居住するすべての知覚存在を救いたいのなら、愛こそが唯一のその答えだ。 恐らく私たちにはまだ、この惑星を荒廃させる憎しみと身勝手さと貪欲を完全に破壊できる強力な装置、 愛の爆弾を作る準備はできていない。 しかし、それぞれの個人は自分のなかに小さな、しかし強力な愛の発電機をもっており、 そのエネルギーは解放されるのを待っている。 私たちがこの宇宙的エネルギーを与えかつ受け取ることを学ぶとき、 愛しいリーゼル、私たちは愛がすべてに打ち勝ち、 愛には何もかもすべてを超越する能力があることを確信しているだろう。 なぜなら愛こそが生命の神髄だからだ。 私は自分のハートの中にあるものを表現できなかったことを深く悔やんでおり、それが私の全人生を静かに打ちのめしてきた。 恐らく謝罪するには遅すぎるが、時間は相対的なのだから、 私がお前を愛しており、お前のお陰で私が究極の答えに到達したことを、お前に告げる必要があるのだ。」 お前の父親 アルベルト・アインシュタイン
----- ----- ----- ----- ----- ----- ----- ----- -----
愛情主義モデル都市の全国化

(加瀬英明氏のメルマガより)
 私は1950年代末に、アメリカに留学した。
 ニューヨークのコロンビア大学に通ったが、ヒュー・ボートンという教授がいた。 教授は戦前、国務省の若い省員だった。私はボートン教授から、日本国憲法の成立の経緯をきいた。
 コーデル・ハル国務長官が日米開戦の6ヵ月前に、日本と戦って屈服させた後に、日本をどのように処理するか研究するチームを、極秘裏に省内に作った。

 このあいだ、昭和天皇、東條英機首相をはじめ日米開戦を回避しようとして、日米交渉を通じて最後まで必死の努力をした。
19411117 東條英機内閣総理大臣施政方針演説
 ところが、ハル長官が開戦前月の11月に、日本軍の中国全土からの完全な撤退をはじめ、この春にワシントンにおいて始まっていた日米交渉で、一度も机上にのらなかった要求を日本に突きつけた。
 日本は蒋介石政権が大軍によって、国際的に認められていた上海の日本租界を攻撃するなど、さまざまな不法を働いたために、今日であれば国際的に容認される平和維持活動(PKO)を、中国大陸で進めていた。

 11月26日に、唐突に手交されたアメリカの要求は、「ハル・ノート」として知られる。日本に対する最後通牒だった。
 若い省員だったボートン教授は国務省のチームに極秘を誓わされたうえで、その一員となった。ルーズベルト政権は日本が真珠湾を攻撃する半年以上も前だったが、日本と戦って屈服させることを決定していた。

 ルーズベルト大統領は日米開戦の6ヶ月前に、蒋介石政権のマークを機体に塗り、アメリカ軍飛行士が操縦するアメリカの150機の爆撃機と350機の戦闘機によって、中国大陸から発進して、東京、横浜、京都、神戸、大阪に奇襲爆撃を加えることを、陸海軍合同委員会に立案するように命じ、7月に作戦命令に署名している。
フライングタイガース
宣戦布告なしに戦争を始めたのはアメリカ02
 ルーズベルト大統領が日本奇襲爆撃命令に署名した文書が、1980年代にアメリカのABCテレビによってスクープされたが、なぜか、NHK、朝日新聞をはじめとする日本の大手マスコミは、報道しなかった。これらの爆撃機を急遽、イギリスに供与したために、この騙し討ち作戦は実現しなかった。
 対日戦争が始まると、国務省の研究チームに陸海軍からメンバーが加わり(まだ空軍がなかった)、日本が降伏する前年に第一次対日講和条約案がまとめられた。
 その内容は、第一次世界大戦でドイツが敗れた後に強いられたベルサイユ条約よりも、はるかに過酷なものだった。

 日本は軍備を一切持ってはならない、軍需産業も禁じる、民間の航空機さえ、1機も持ってはいけない、原子力の平和利用を含めて、核の研究を永久に禁じるという内容だった。

 日本占領が始まると、アメリカは占領軍総司令官のマッカーサー元帥に、それを下敷きにした政策を取るよう指示した。現行の日本国憲法は、ハル国務長官の研究チームが作った第一次講和条約案に近いものとなった。
 当時、アメリカは日本を徹底的に弱体化し、再起不能な国家とするために、現行憲法を強要した。
現行の日本国憲法は憲法と装った、日本を無力化する不平等条約なのだ。

 先の日米戦争の責任は、いっさいアメリカにある。
 日本国民は目を覚ましてほしい。

特攻隊員の宮川三郎「俺ホタルになって帰ってくるよ3」
陸軍第104振武隊、宮川三郎軍曹
九十九式襲撃機
万世飛行場より一回目出撃。
機体不良により帰還。
その後、知覧に移る。
そして富屋食堂の鳥濱トメさんと出会った。
出撃前夜、空襲警報が鳴り防空壕に避難し、
そこから富屋食堂に戻る際、
宮川軍曹は鳥濱トメさんに
「死んだらまた小母ちゃんのところに帰ってきたい」
「明日夜9時にホタルになって帰ってくるから
食堂の入り口を開けておいて」と。
翌、昭和20年6月6日
宮川三郎軍曹は出撃した。
その晩9時になったころ
富屋食堂に本当に一匹の一際大きなホタルが入ってきた。
トメの娘が叫んだ
「お母さん、宮川さんが帰ってきたわよ!」
みんなは涙を流しながら同期の桜を歌った。
宮川三郎軍曹は成績優秀、運動神経抜群で、
性格も温厚だったと言われています。
九十九式襲撃機は、
車輪が引っ込まない固定脚の古い戦闘機です。
 九十九式襲撃機 

マクスウェル・テイラー・ケネディ氏(ケネディ元大統領の甥)が特攻隊について

ご自身の本に次のように書いています。

「特攻 空母バンカーヒルと二人のカミカゼ―米軍兵士が見た沖縄特攻戦の真実」

米国の若者は、米国軍人の犠牲は、自由を守る為に必要だったと教えられる。

日本軍の上層部が敗北を認識した上で、

大勢の若者を特攻隊員に任命したのは、

絶望的な大義に命を捧げた若者達の先例が

以後、何千、何万年と、人々の自己犠牲精神を掻き立て続けるだろう

と考えての事だった。

彼らの最後の望みは、

未来の日本人が、特攻隊の精神を受け継いで

何事にも屈しない、強い心を持ち続ける事だった。

特攻は至上の博愛2
この敵をも感動させた特攻精神の、戦果として

沖縄の島(宮古島、石垣島)を占領する計画だったイギリスが断念したとのことです。

今世界は、我欲主義勢力同士で覇権争いをしています。
軍事力や経済力も勿論たいせつですが、
彼ら我欲主義勢力に立ち向かうには
愛情主義国家、人格大国を目指すべきです。
日本は人格大国
我欲に生きてきた全ての人類は、重い愛情欠乏症です。

英霊達が敵国の兵士をも感動させたように
日本の愛情主義を世界化するのです。
偉大な科学者アインシュタインは彼の人生の結論として
神の愛こそが宇宙に存在する最大の力であると述べました。
アメリカや中国の軍事力、経済力に打ち勝つ秘訣は
特攻精神で完全な捨て身になって、愛情主義を貫くこと。


愛情主義国家の金型づくりに挑戦中です。

昨日の投稿でベンジャミン・フリードマンの証言をご紹介しました。
ではあの “お気の毒なドイツ” から「何故?」「どのようにして?」悪名高きヒトラーが登場したのでしょうか?

パレスチナへの偽ユダヤによる侵略計画は、フリードマンの証言にあった「バルフォア宣言」よりずっと以前からありました。
1897年最初のシオニスト会議が、スイスのバーゼルで開催されました。
シオニズムとは、前回も書きましたが
『聖地』とは縁もゆかりもない偽ユダヤ人(アシュケナージ)による政治活動です。彼らは共産主義や社会主義の後ろに数百年間隠れて活動してきました。
このシオニスト会議で偽ユダヤ人国家の建設が決定されて場所を探し始めました。
その時英国がアフリカを提供しました。しかし、シオニストたちは断ってパレスチナを望みました。
結局シオニストたちがパレスチナを自分たちの土地と決定したのです。
 シオニスト会議  1897年バーゼル パレスチナの植民地化を決定s
シオニスト会議  1897年バーゼル)
そうは言っても国際世論が気になります。
ところがその後、第二次世界大戦での「ユダヤ人に対するホロコースト」
が起こり1947年国連は、アラブとユダヤ人にパレスチナの領土をそれぞれ半々ずつ分割統治するよう提案しました。 
当時ユダヤ人はパレスチナに住むアラブ人の10%にも満ちませんでした。
それなのに半分ずつ分けるというこの決定を、アラブ人たちは当然反対しましたが、
結局、国連と米国の後見で1948年5月14日、ユダヤ人たちはイスラエルの独立を宣言しました。

このようにしてイスラエル建国がなされた裏で
第二次世界大戦前、当時ドイツと敵対していたアメリカがドイツに莫大な資金を流していました。
世界の悪の根源―アメリカとバチカン(イエズス会) より抜粋します。

「わが国家銀行の預金者らに属する莫大な金額が、一切の担保保証もなく、ドイツに贈与された。・・・

1932 年4月27 日、連邦準備団体は、米国銀行の預金者らに属する75万ドルを、金でドイツに送った。

一週間後、さらに30 万ドルが、同様の方法でドイツに送られた。

5月中旬ごろには、連邦準備銀行により、1200 万ドルが金でドイツに送られた。ほとんど毎週、おびただしい量の金塊がドイツに運ばれたのであった」(H・S・ケナン著、連邦準備銀行、158 ページ)。

ヒトラーが行った数々の残虐行為は、法王教の「原則」であると専門家は述べています。

アフロ・マンハッタン著「バチカンとモスクワとワシントンの同盟」

バチカンは、ヒトラーの手助けをして権力を握らせ、それからさらに、ドイツでの支配力を強化する手助けをした。

ドイツのカトリック政党に、ナチスの候補者に投票するよう助言することで、これを成し遂げたのである。

1933 年、合法的に政府を組織するのに必要としていた過半数票をヒトラーに与えたのは、カトリック票であった。

これに加えてバチカンは、ヒトラーに支配権を与える法律を支持するために、国民議会のカトリック議員らに命令を出した。

この処置が、ドイツ共産党をやっつけるためにヒトラーが必要としていた

独裁権力を、彼に与えたのである。

1933 年1月、ヒトラーがドイツの長官になる前、バチカンとヒトラーの取引は、秘密裏に行われていた。

同年6月、ヒトラーとバチカンは、教会はナチス政権に忠誠を誓うという文言を入れて、政教条約に署名した。・・・

その後、間もなくして、序列においてヒトラーの次の地位にある、カトリック信者のフランツ・フォン・パペンは、ヒトラーとバチカンの同盟について、極めて簡潔に『第三のドイツ帝国』と呼び、さらに『それは、法王教の高い諸原則を認めるだけでなく、実践する最初の権力である』

と述べた」(42、43 ページ)

 

The GODFATHERS」教父達より

ドイツの新しいローマ・カトリックのスターが準備されつつあった。彼の名前は…アドルフ・ヒトラーである

司祭は「我が闘争」と呼ばれる本の執筆に忙しくしていた。

イエズス会の神父で(略)、この本はヒトラーがドイツを乗っ取るための、イエズス会の基本計画であった。

------ ------

ヒトラーはバチカンによって選ばれた。

教皇ピウス11世がヒトラーを支持していることが知られるようになった時、ローマ・カトリック信者の票は、1933年ヒトラーを権力へと押し上げた。

------ ------

ドイツが戦闘機製造に忙しくしている間に、イエズス会はヒトラーの侵略のスケジュールに間に合うように、侵略予定の国において忙しくしていた。

------ ------

イエズス会士はカトリック信者に、教皇がヒトラーの背後にいるから、その時が来たら、カトリックのナチ軍隊に仕える準備をしなさい、と言っていた。

------ ------

教皇ピウス12世が権力の座に就いた。彼はナチの勝利を祈っていた。

ヒトラーはヨーロッパにおいて急襲を開始した。すると第二次世界大戦が勃発した。

ドイツ、イタリアそして日本が世界と戦い、何百万人もの人が殺され、傷つき、致命傷を負った。6年もの血みどろの間、戦争は続いた。

リベラ博士(元イエズス会士)は、ヒトラーの最大の軍の情報源はバチカンからで、世界中のローマ・カトリックの告解によってもたらされたものだと信じている。

ドイツの諜報部、あるいはゲシュタポは、ハインリッヒ・ヒムラーによって組織されていたが、イエズス会の制度の原則に副ったものだった。

ヒトラーは彼の友人にこう言っている。

ヒトラー:「ヒムラーは我らのイグナチオ・ロヨラ(イエズス会創設者)のようだ。」

多くのローマ・カトリックの司祭は諜報部の黒い制服を着ていた。

イエズス会の神父ヒムラー(ハインリッヒ・ヒムラーの叔父)は、上級士官の一人だった。

650万人のユダヤ人が拷問に掛けられ、死んでいったのは、主にこの組織を通してである。

異端審問はどんどん進行していった。

聖書を信じるプロテスタント(ユダヤ人のために祈り、助けようとした)は

同様に強制収容所行きとなった。

イエズス会に率いられたカトリックのファシズム政党「ウスタシャ」によって殺された。

犠牲者達が受けたものすごい拷問と殺戮は、いずれにせよ書くに忍びない。

多くの司祭達が、カトリックの「ウスタシャ」の殺戮部隊のメンバーだった。

 

1933 年にヒトラーを権力の座へと据えたのは、カトリック政党でした。

ヒトラー 私はイエズス会の命令から全てを学んだ

ヒトラーの登場と同時並行して

アメリカが敵国ドイツに流したのは資金だけではありませんでした。
戦略物資もユダヤ系企業が全面的に支えていました。
●1939年
アメリカでは合成ゴムが不足なのにロックフェラー財団系スタンダード・オイルは
ヒトラーと契約を結び、ヒトラーはスタンダード・オイル製の何種類かの合成ゴムを取得
----- ----- ----- ----
●1940年にフォード社ナチス占領地域にあるポアシー(フランスの都市)に
自動車工場を建設
1942年
ナチス・ドイツで使用されていたトラックのうち、約3分の2がフォード製
自動車王ヘンリー・フォードとヒトラー
----- ----- ----- ----
●デュポン一族が経営するGMはオペルを通してドイツで
ナチスの軍需用トラック・装甲車、戦車・軍用航空機の本格的な生産
----- ----- ----- ----- ----- ----- ----- ----- -----
(国立公文書館と議会図書館の所蔵文書)
ジョージ・W・ブッシュの祖父、プレスコット・ブッシュ
1926~42年にナチス軍拡戦争体制の財政基盤のビジネスパートナー
米国の銀行経営者としてもナチスを支援
ブッシュとヒトラー
----- ----- ----- ----- ----- ----- ----- ----- -----
またノーマン・フィンケルシュタインが2000年6月に出版した
『ホロコースト産業―同胞の苦しみを「売り物」にするユダヤ人エリートたち』で、
ホロコーストを利用してお金もうけをしているユダヤ人エリート中心の諸団体と機関を告発したそうです。
彼の両親はホロコーストの生存者であるにも関わらず、です。
また、ラルフ・スェンマンが書いた『残忍なイスラエル』は、
エリートのユダヤ人たちが、むしろナチスと協力してユダヤ人虐殺を公認していた
という衝撃的な主張をしたそうです。
むしろユダヤ人たちが、ユダヤ人救出に積極的に反対することまでしたという話です。
ホロコーストが起きた時、米国にいるユダヤ人達は
既に世界の実力者でした。
ホロコーストを通して得ようとする政治的な目的があったのではないでしょうか?

更にドイツとアメリカの深い関係が
ナチスのトップ・スパイが、CIA設立に関与した
こうなれば私たちは、
ホロコーストが単にヒトラーだけの思惑から来ているのではないということが理解できます。
もしかしたら、偽ユダヤ人がナチスという名前でユダヤ人を虐殺したのであって、
ホロコーストは結局、偽ユダヤが作り出したものだとしたほうがスッキリするのではないでしょうか?

国連と米国の強力な支援で、
2千年間住んでいたパレスチナ人を追い出してイスラエルを建国しましたが、
事実上それはパレスチナに米軍基地を建てたことです。
イスラエルのパレスチナ侵略について ジョン パーキンス

現代のイスラエルは『聖地奪還』ではなく、
主にアメリカを牛耳るユダヤ系国際資本家達とバチカンの<作品>ではないでしょうか。

ベンジャミン・フリードマン 02
ベンジャミン・H・フリードマン(Benjamin H.Freedman)は20世紀で最も興味深く、素晴らしい人物の一人です。
同氏は1890年生まれ。
ニューヨークで成功したユダヤ人実業家で、ウッドベリー石鹸会社の社長をしていたこともあります。
1945年にユダヤ共産主義者が勝利を収めた後、同氏はユダヤ組織と決別しました。
そして残りの人生を賭け、また、莫大な資産約250万ドル(当時の日本で9億円)を費やして、アメリカを支配するユダヤ人の権力構造を暴露しました。

フリードマン氏の証言は特に重要です。
それは彼が、アメリカの権力を得ようと企んでいるユダヤ組織の中で、トップレベルの当事者であったからです。
フリードマン氏は、バーナード・バルーク、サミュエル・アンターマイヤー、ウッドロウ・ウィルソン、フランクリン・ルーズベルト、ジョセフ・ケネディ、ジョン・F・ケネディなど、時代を動かしていた人々と個人的に知り合いでした。

このスピーチは1961年にワシントンのウィラード・ホテルで愛国的な聴衆に向かい、
コンデ・マギンリーの愛国的新聞「コモン・センス」のために行われました。
フリードマン氏のメッセージは欧米への警告であり、状況は以前にも増して緊迫してきています。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ここアメリカで、シオニストたちはアメリカ政府への支配を完成しました。
その理由について踏み込むには余りにも複雑すぎますが、彼らは既に絶対的君主のようにアメリカを支配しています。
こんなことを言うと、えらく大まかな話だと思われるでしょうが、私たちが眠り込んでいるうちに何があったかをお話させてください。

何が起きたのでしょうか?
第一次世界大戦は1914年夏に勃発しました。
この会場には私と同年代でそれを覚えている人はあまりいないでしょう。
戦争は、イギリス、フランスとロシア 対 ドイツ、オーストリア=ハンガリー帝国とトルコによって繰り広げられました。

開戦後2年で、ドイツは戦争に勝利を収めました。
名目上勝っただけではなく、実質的にも勝利を収めたのです。
世界の驚愕の的となったドイツの潜水艦は大西洋から船団を一掃しました。
イギリスは兵士に与える弾薬もなく、食糧補給も1週間分しか残っておらず、立ち往生していました。その後、飢餓に苦しみます。

当時フランス軍には反乱が起こっていました。
ソンム地方のベルダンの守備戦でフランスの若者の命が60万も失われました。
ロシア軍は逃亡していました。
おもちゃのような武器を持って家に帰ろうとしていました。
ロシア兵はもはや、戦争ごっこなどしたくなかったのです。彼らは皇帝が嫌いでした。
イタリア軍は崩壊していました。

ドイツの国土には一発の弾丸も打ち込まれていませんでした。
国境を越えてドイツに入った兵士は一人もいませんでした。
ドイツはイギリスに和平条項を持ちかけていました。
ドイツがイギリスに対して示した和平の交渉は、旧状を保持するというものでした。
これは、「戦争を止めて、すべてを戦争前の状態に戻そう」ということです。
イギリスは1916年夏にはこの申し出を真剣に検討していました。他に選択肢がありませんでした。ドイツの寛大な和平交渉を受け入れるか、もしくは、完全に敗北している戦争を継続するか、どちらかでした。

和平交渉が進んでいる中、ドイツのシオニストたちは、東ヨーロッパのシオニストたちを代表して、イギリス戦争内閣を訪問しました。
管理人加筆:シオニズムとは、共産主義や社会主義の後ろに数百年間隠れて活動した、
欧州系ユダヤ人グループであるアシュケナージの政治的な活動です。 
彼らは「聖地奪還」の『聖地』とは縁もゆかりもない人達であり、世界を欺いています。

この話は長くなるので端折りますが、私は、私の話を証明できる文書を全部残してあります。
シオニストは言いました。
「ちょっと待ってください。イギリスはこの戦争にまだ勝つことができます。あきらめる必要はありません。今、ドイツが提案している和平交渉を受け入れる必要はありません。アメリカ合衆国が同盟軍として参戦すれば、あなたたちは勝てます。」
当時アメリカは参戦していませんでした。
アメリカは元気で、若く、お金もあり、強かったのです。

シオニストはイギリスに言いました。
「イギリスの同盟国としてアメリカを参戦させ、あなたたちの側で戦わせることを保証しましょう。条件は、勝利の後に「パレスチナを我々に与える。」と約束してもらうことです。」

シオニストたちは次のような取引をしました。
「アメリカを同盟国として参戦させる。その代わり勝利を収めたら、その代償として、パレスチナを差し出さなければならない。」
パレスチナについて、イギリスが誰かに約束できるような権利はありません。
例えて言うと、アメリカが日本に対してアイルランドを約束するようなものです。
イギリスには、パレスチナに対して利害も権利も全くありませんでした。
そのイギリスが、シオニストがアメリカを参戦させる見返りとしてパレスチナを提供する。
そんなことは、まったく不条理です!
しかし、イギリスは1916年10月、そのような約束をしたのです。
皆さんの中で覚えておられる方が何人いるか分かりませんが、その後すぐ、アメリカはそれまで親ドイツであったにもかかわらず、イギリスの同盟国として参戦したのです。

アメリカの新聞はユダヤ人が支配していましたし、銀行も、マスコミ媒体すべてユダヤ人が支配していました。
そのユダヤ人はみんな親ドイツでした。
ユダヤ人がドイツを支持したのは、彼らの多くがドイツ出身で、それに加えて、ユダヤ人はドイツがロシアの皇帝を負かすところを見たかったからです。
ユダヤ人はロシア皇帝が嫌いで、戦争に勝たせたくありませんでした。
アメリカのクーン・ローブなど、ドイツ-ユダヤ系の銀行家たちは、フランスやイギリスに1ドルたりともお金を出すことを拒んでいました。
傍観して次のように言っていました。
「フランスとイギリスがロシアと組んでいる以上、1セントも出せない!」と。
そして、ユダヤ人銀行家たちはドイツにお金をつぎ込んでいました。
ロシア帝政体制を倒すために、ドイツ側についてロシアと戦っていたのです。

それが、それがですよ、同じユダヤ人たちが、今度はパレスチナを手に入れられる可能性が見えたといって、イギリスに行き、このような取引をしたのです。
そのとき、すべてが変わりました。
交通信号が赤から青に変わったようにです。
新聞は全部ドイツ支持で、国民に対してはいろいろな商業メディアでドイツを応援していたのに、それが、突然ドイツが悪いと言い出しました
ドイツは悪党だ。ドイツは野蛮なフン族だ。
ドイツは赤十字の看護婦を銃撃している。
ドイツ人が赤ん坊の手を切断している。
ドイツは悪だ。
その後すぐ、ウィルソン大統領はドイツに宣戦布告しました。

ロンドンにいるシオニストがアメリカの合衆国最高裁判所判事ブランダイス(ユダヤ人)に電報を打っています。
「ウィルソン大統領に取り掛かってくれ。我々の望みのものはイギリスから手に入れた。ウィルソン大統領がアメリカを参戦させるように動いてくれ。」
これがアメリカが第一次大戦に参戦した経緯です。
アメリカは大戦に対して利害関係はありませんでした。
アメリカが第一次大戦に参戦する正当な理由など全くありませんでした。
私たちは騙されて引き込まれたのです。
ただ、シオニストたちがパレスチナを手に入れるためだけに……。
合衆国国民は何も知らされていません。
アメリカが第一次大戦に参戦した理由を全く知りません。

アメリカが参戦した後、シオニストはイギリスを訪れ、次のように言いました。
「我々はアメリカの参戦を実現しました。約束通り、戦争に勝利した後、パレスチナを我々に与えると書いた証明を何らかの形でください。」
戦争は1年で終わるか、もしくは10年続くか分かりませんでした。
そこで、イギリスは承諾書を作りました。
この承諾書は手紙の形をとりました。
この手紙は非常にあいまいな暗号のようで、世界の大部分はその意味が分かりませんでした。
これが、「バルフォア宣言」と呼ばれるものです。

バルフォア宣言
「バルフォア宣言」はイギリスの約束に過ぎません。
アメリカを第一次大戦に参戦させた報酬としてシオニストに合意したものを支払うという約束。
だから、この偉大な「バルフォア宣言」は3ドル札が実在しないように全くのペテンです。
この話に、誇張は全くありません。

これが厄介な問題の始まりでした。
アメリカ合衆国は参戦した。アメリカはドイツを破った。そうなりましたよね。
1919年に戦争が終わり、ドイツ側がパリ講和会議のためパリに行きました。
そこには117人のユダヤ人がいました。
バーナード・バルークを代表としたユダヤ人代表団でした。私はその一員でした。

それからどうなったでしょうか?
講和会議で、領有を主張するすべての国々にドイツを切り刻んで分配しようとしていたのですが、そこに参加したユダヤ人たちは「我々のパレスチナはどうなるの?」と言いました。
ドイツ人には初耳となるこの「バルフォア宣言」を提示しました。
ドイツ人は初めて気がつきました。
「そうか、汚い取引だった! アメリカが参戦した理由はこれだったのか!」
ドイツ人は初めて認識しました。
自分たちが敗北し、恐ろしい金額の賠償金を課せられたのは、
「シオニストがパレスチナを手に入れる為の策略だった。」
と。

興味深いことがあります。
ドイツ人がこれに気づいた時、当然憤慨しました。
それまでドイツに居たユダヤ人は、世界のどこの国でも受けられないほどのいい暮らしを享受していました。
ドイツのラーテナウ氏は、アメリカの産業や金融界を占めているバーナード・バルークより、ずっとずっと100倍も重要な人ではないかと思います。
バリン氏は2つの汽船航路、北ドイツ-ロイド航路とハンブルグ-アメリカ航路を所有していました。
ブライヒレーダー氏はホーヘンゾレン一族のための銀行家でした。
ハンブルグのウォーバーグ氏は世界最大の商業銀行家でした。
ドイツでユダヤ人は繁栄を享受していました。
これは間違いありません。
そこで、ドイツ人は「これは完全な裏切りだ。」と感じました。

この裏切りは、こうたとえてみるとよく理解できるでしょう。
アメリカがソ連と戦争をしているとします。
アメリカが勝っている。
そして、アメリカはソ連に次のように言います。
「さあ、もう戦争を止めましょう。和平条項を結びましょう。これまでのいきさつはすべて水に流しましょう。」
そこへ、突然、中国がソ連の同盟国として参戦してきます。
この中国の参戦によって、アメリカは敗戦に追い込まれます。
惨敗で、賠償金は人間が想像できないような額で、一国が支払い切れないような額です。
そこで、この敗戦の後に、次のようなことに気がついたとしたら……。
アメリカにいる中国人、中国系市民が敗戦の原因だった。
中国系市民はアメリカ人と一緒に仲間として暮らしてきたと思っていたのに、実は、彼らはアメリカをソ連に売り、彼らを通して、中国が対アメリカ戦争に参戦した。
想像できますか?
アメリカは、彼らに対してどんな気持ちになるでしょうか。
裏切った中国人が顔をさらして通りを歩けるとは思えません。
私たちがどんな気持ちになるか想像してみてください。

そうです、これこそがドイツ人がユダヤ人に対して感じたことです。
ドイツ人はユダヤ人に大変良くしていました。
1905年にロシアで最初の共産主義革命が失敗した後、ユダヤ人たちはロシアから急いで逃げなければなりませんでした。
ユダヤ人たちは皆ドイツに向かいました。
ドイツはユダヤ人を受け入れ、非常に親切に扱いました。
それなのに、ユダヤ人は「ユダヤ国家」としてパレスチナが欲しかった為に、ドイツを売り、川の中に投げ込んでしまいました。

今日、シオニズム関係の本に出てくる、ナホム・ソコロウや偉大な指導者、有名人たちは1919年から1923年の間に全ての論文を書き、新聞は彼らの声明文で埋め尽くされていました。
ドイツのユダヤ人に対する反感は、「アメリカ参戦の仲立ちをしたユダヤ人によって、ドイツが敗戦したと気が付いた」からです。
ユダヤ人自身がそれを認めていました。
ドイツ人は、1919年になって初めて、ユダヤ人に対する悪感情を持ちました。
すべて政治的なもの、経済的なものでした。
決して宗教的ではありませんでした。
ユダヤ人が帰宅し、幕屋を降ろし「イスラエルよ、聞け」だとか「わが父よ」と言おうが、ドイツ人は誰も気にしていませんでした。
アメリカで彼らが気にする程ドイツでは誰も気にしていませんでした。

ドイツで広まった悪感情の原因はたった一つ。
ドイツの惨敗がユダヤ人のせいであると認識したことです。

また、第一次大戦の開戦自体が、ドイツの責任ではありませんでした。
あるとすれば、ドイツが成功していたことでしょう。
ドイツは大艦隊を建造しました。
世界貿易を始めました。
フランス革命の時、ドイツは300ものばらばらな小国の集まりに過ぎませんでした。
それがナポレオンからビスマルクの時代に1つに統合されました。
そしてたった50年で世界一の強国となりました。
ドイツ海軍はイギリス海軍と張り合うようになり、彼らは世界中でビジネスをし、彼らは誰より安く販売し、誰よりも良い製品を作る事ができました……。
その結果何が起こったのでしょうか?

イギリス、フランスとロシアは、ドイツを引き摺り下ろそうと考え始めました。
この3国がドイツを地図上から抹消しようとした正当な理由を示せる歴史家が、世界に何人いるでしょうか?
ただの 一人もいないでしょう。

ユダヤ人に敗戦の責任があると気づいたとき、当然、ドイツ人は恨みました。
それでも、ユダヤ人は髪の毛一本でさえ傷つけられていませんでした。
一本もです。
ジョージタウン大学のタンシル教授は、国務省の機密書類を全部読み、次のように本に書いています。
コーデル・ハルが1933年にヒューゴ・スコーンフェルトというユダヤ人をヨーロッパに派遣し政治犯の収容所を調査させました。
スコーンフェルトは国務省に「政治犯は非常に良い状態である。体調もよく、皆がよい待遇を受けている。収容所は共産主義者(=ユダヤ人)で一杯である。と報告しております。
収容所にいたほとんどの人がユダヤ人でした。
というのは、当時ヨーロッパの共産主義者の98%がユダヤ人でした。
牧師や聖職者、労働運動指導者、メーソン、国際的団体に加入していた者もいました。

ユダヤ人はこの事実を覆い隠そうとしました。
自分たちがドイツを裏切ったことを、世界の人々に知らせたくありませんでした。
ドイツ人はそのことに怒りを覚えました。

ドイツ人たちはユダヤ人に対してしかるべき行動をとりました。
ドイツ人は、そうです、それが可能な場所ではどこでも、ユダヤ人を差別するようになりました。
ユダヤ人を敬遠しました。
ちょうど、中国人、黒人、カトリック教徒など、アメリカにいてアメリカを敵に売り渡し、敗戦をもたらすような人たちを、アメリカ人が避けるようなものです。

1933年7月世界中の国からユダヤ人がアムステルダムに集まり会議を開きました。
会議では、ドイツに対して、
「ヒトラーを辞めさせろ。すべてのユダヤ人を元の地位に戻せ。共産主義者であろうが、どんな人であろうがユダヤ人全部だ。ユダヤ人をこんなふうに扱っていいのか。我々世界中のユダヤ人は、あなたたちドイツ人に最終通告をする。」
ドイツ人がどのような返事をしたか想像できますか? 
そして、ユダヤ人が何をしたか?

背景を時系列で述べましょう。
1917年、共産主義者が数日間ドイツ・バイエルンを占領しました。
ローザ・ルクセンブルグ、カール・リープクネヒトなどユダヤ人のグループが3日間政府を乗っ取りました。
実際、カイザー(皇帝)は戦争が終わってからオランダに避難していました。
共産主義者がドイツを乗っ取り、皆殺しにあったロシア皇帝と同じ運命が待っていると思っていたからです。
だから、安全を確保するためにオランダに逃げていました。
ドイツでの共産主義者の脅威が鎮圧された後でも、ユダヤ人はまだ活動を続けていて、以前の立場を取り戻そうとしていました。
ドイツ人は出来る限りの方法でユダヤ人と戦っていました。
それでも、ドイツ人はユダヤ人の髪の毛一本たりとも傷付けることはありませんでした。
それは、ちょうどアメリカで禁酒主義者がお酒に興味を持つ人々と戦っていたのと同じようなものでした。
ドイツ人とユダヤ人がピストルで戦うことはありませんでした。
これがドイツ人がユダヤ人と戦ったやり方でした。
当時、8千万から9千万人のドイツ人に対してユダヤ人はたった46万人、0.5%以下でした。
それでも、ユダヤ人はすべての報道機関を支配しており、経済の大部分を支配していました。
それは何故かというと、ユダヤ人はマルクが切り下げになった時、安いお金を持ち込んで、実質的にすべてのものを買い占めていたからです。

1933年、ドイツはアムステルダムの世界ユダヤ会議に降伏することを拒否しました。
アメリカの代表であり、会議全体の議長でもあったサミュエル・アンターマイヤー氏はアメリカに帰ってきました。
同氏は、汽船から降りるとABCのスタジオに直行して、アメリカ全土に向かってラジオ放送を行いました。
「世界中のユダヤ人はドイツに対して、今、聖戦を宣言します。我々は今、ドイツ人に対して聖なる戦いを行っています。そして、ドイツが降伏するまで、ドイツを飢えさせてやりましょう。ドイツは輸出に依存していますから、ボイコットすればドイツはつぶれるでしょう。」

ドイツの食糧の2/3は輸入されていました。
この輸入は、輸出で得た利益だけに頼るものでした。
だから、ドイツが輸出できないとなると、ドイツ人の2/3が飢えることになります。
ドイツには人口の1/3を養うだけしか食糧がありませんでした。
その聖戦宣言を私は今ここに持っています。
1933年8月7日ニューヨーク・タイムズの記事です。
アンターマイヤー氏は次のようにはっきりと言い放ったのです。
「この経済ボイコットは我々の自衛手段であります。ルーズベルト大統領もこれを支持しています。」
覚えておられる方もあるでしょうが、当時、国家復興政府では、ニューディールによって決められた規則に従わない、もしくは最高裁判所で憲法違反と宣告されない限り、誰もボイコットできなかったのです。
それにもかかわらず、国際ユダヤ人たちはドイツに対してボイコットを宣言したのです。
ボイコットは大変効果があり、「ドイツ製」と書かれた製品は世界中のどこの店でもひとつも見つけられない程でした。
実際、私がウールワース株式会社の重役から聞いた話では、同社は数百万ドル相当の陶器やお皿を川に投げ捨て、お客が一皿でも「ドイツ製」の文字を見つけたら、その店はボイコットされたそうです。
南部では、店の前で、「ヒトラー」「殺人者」などのプラカードを持った人たちがピケを張り、座り込みデモのようなことがあったのです。

シュトラウスというユダヤ人が経営していたR.H.メイシーのチェーン店で、ある女性が、「ドイツ製」の印があるケムニッツ産のストッキングを見つけました。
それは綿のストッキングで、20年以上前からその店にあったかもしれません。
私は長年女性の脚を観察してきましたが、綿のストッキングを見たことがありませんでした。
私はメイシーのボイコットを目撃しました。「殺人者」「ヒトラー主義者」などのプラカードを掲げて、何百人もの人が店の周りを行進したのです。
しかし、こんなことが行われている時でも、ドイツでは、ユダヤ人の髪の毛一本さえも傷つけられていませんでした。
苦痛も、飢餓も、殺人も、何もありませんでした。

ドイツ人なら当然次のように言うでしょう。
「我々に対してボイコットを宣言して、ドイツ国民を全部失業に追いやり、ドイツ産業を行き詰まらせたのは、誰なんだ?」
ドイツ人は当然ながら恨みを持ちました。
ユダヤ人の店にカギ十字の落書きをしました。
ドイツ人なら、どうして、自分たちの国を飢えさせ、ボイコットをする国際ユダヤ人たちの店に行き、お金を払うべきでしょうか?
そのユダヤ人たちがドイツの首相を誰にするかまで指図しようとしているのです。
そうでしょ、おかしいでしょ。
ボイコットは1938年までしばらくの間続きました。
1938年、ポーランド出身のユダヤ人の若者がパリのドイツ大使館に入り込みドイツ職員を銃撃するという事件が起こりました。
この事件こそがドイツ人がドイツのユダヤ人に乱暴な扱いをする発端となりました。
みなさんご存知でしょう。
窓ガラスを割ったり、街頭闘争などが起こりました。

「私は「反セム主義」という言葉が嫌いだ」と言う人がいます。
しかし、私はこの言葉を使わざるを得ません。
ドイツの反ユダヤ感情のたった一つの理由は、ユダヤ人に責任があったのです。
第1が第一次世界大戦、第2は世界規模のボイコットです。

最後に、ユダヤ人は第二次世界大戦にも関わっています。
状況が収拾のつかないところまで行き、ユダヤ人とドイツは戦争で角を突き合わせて、どちらが勝つか決める必要があったのです。
私はドイツで暮らしたことがあります。
当時、ドイツ人はヨーロッパがキリスト教でゆくのか共産主義になるのかを決めなければなりませんでした。
ドイツ人は可能ならキリスト教徒のままでいようと決めていました。
それで、再軍備を開始しました。
(補足 管理人加筆)
アメリカはユダヤが牛耳っていたメディアはあからさまにドイツを攻撃していたにも関わらず
この頃、ユダヤの資本家はナチスに莫大な資金を流していました。
----- ----- ----- ----- ----- ----- ----- ----- -----
「わが国家銀行の預金者らに属する莫大な金額が、
一切の担保保証もなく、ドイツに贈与された。・・・
1932年4月27 日
連邦準備団体は、米国銀行の預金者らに属する
75万ドルを、金でドイツに送った。
一週間後、さらに30 万ドルが、同様の方法でドイツに送られた。
5月中旬ごろには、連邦準備銀行により、1200 万ドルが金でドイツに送られた。
ほとんど毎週、おびただしい量の金塊がドイツに運ばれたのであった」
(H・S・ケナン著、連邦準備銀行、158 ページ)
----- ----- ----- ----- ----- ----- ----- ----- -----
そうしてこのナチスドイツの戦争戦略を作ったのは、
カール・ハウスホーファー。
彼は以前の投稿でご紹介したイエズス会神父、エドマンド・ウォルシュ(CSIS創設者)を弟子に持つ地政学者。
ちなみにヒトラーが書いたとされる「我が闘争」のゴーストライターはイエズス会司祭。
1933年11月
アメリカ合衆国がソ連を認知しました。
ソ連はたいへん強くなってきていました。
ドイツは「我々が強くならなければ、すぐに侵略される」と気付きました。
同じことが、今のアメリカでも言えますね。
「我々が強くなければ、すぐに我々の番が回ってくる。」
アメリカ政府は防衛費に830~840億ドル(当時の日本で約30兆円)もの血税を支出しています。
誰に対しての防衛ですか?
ロシアを支配しているモスクワの僅か4万人のユダヤ人に対する防衛ですよ。
そして、彼らはずるいやり方で、世界の多くの国々の支配権を乗っ取っているのです。
というのは、現在、アメリカは第三次世界大戦勃発の危機にあります。
そして、我々はその戦争の勝者になれないかもしれません。
こんなふうに想像すると動揺します。

核爆弾はメガトンという単位が使われます。
1メガトンはTNT火薬相当で100万トンになります。
アメリカの核爆弾は、開発当時、10メガトンつまりTNT火薬では1千万トンでした。
現在は200メガトンのものが開発されています。
ソ連が何メガトンの核爆弾を持っているか誰にも分かりません。

我々が、今、直面しているのはいったい何か?
核戦争につながる世界大戦の引き金を引けば、人類はおしまいです。
最終戦争は起こるのでしょうか?
それは第三幕が切って落とされる時です。
第一幕は第一次世界大戦、第二幕は第二次世界大戦、第三幕は第三次世界大戦です。
国際ユダヤ人、シオニストそして世界中のユダヤ教信仰者たちは、再びアメリカを使って、パレスチナを永久に自分たちのものとして確保し、彼らの世界政府の足がかりとしたいのです。
それは、今ここに、私が立っている、それと同じように確かなことです。
私だけでなく、ここにおいでの多くの方も読み取っておられるでしょうし、世界中で知られていることです。

私たちはどうしたらよいのでしょうか?
あなたの息子の人生が左右されます。
あなたの息子達が今夜にでもその戦争に行くかもしれません。

皆さんはご存知でしょう、1916年にロンドンでシオニストたちがイギリス戦時政府と取引をして、あなたたちの息子をヨーロッパ戦線に行かせたことを……。
果たして、1916年当時にそのことを分かっていましたか? 
アメリカ人で分かっていた人は一人もいなかったでしょう。
それを知ることが許されていなかったじゃないですか。
ウィルソン大統領は知っていました。
ハウス大佐も知っていました。
インサイダーも知っていました。

私はどうかって?
分かっていました。
ウィルソン大統領が選ばれた1912年の選挙キャンペーン当時、私はヘンリー・モーゲンソー卿の連絡係でした。
その事務所ではいろいろな話がありました。
私はフランス委員会の議長であったモーゲンソー卿の「信頼できる男」でした。
また、私はモーゲンソー卿と会計係ロロ・ウェルズとの連絡係でもありました。
だから、私はウィルソン大統領と一緒の会議に出ていました。
私や他の参加者は、ウィルソン大統領の脳みそに、増税や、後に連邦準備制度となるものを叩き込んだり、シオニスト運動を吹き込むのを聞いていました。
ブランダイス最高裁判所判事とウィルソン大統領はこの手の2つの指の様に親しい関係でした。
ウィルソン大統領は、赤ん坊のように無力でした。
こうして、皆が眠っている最中に、彼らがアメリカを第一次世界大戦に参戦させたのです。
彼らは、我々の息子たちを殺すためにそこへ行かせました。
何のために?
ユダヤ人の「祖国」としてパレスチナを手に入れるためです。
彼らはアメリカを騙し続け、みなさんはアメリカがどこに向かっているのか、分からないのです。

裁判官は陪審員に向かって、「陪審員のみなさん。嘘を一つでも言っていると思う証人に対しては、その証人の証言すべてを無視することができます。」と宣言します。
みなさん方がどの州からいらっしゃったのかは分かりませんが、ニューヨーク州では裁判官が陪審員にそのように宣言します。
「もし証人が一つでも嘘を言っているのなら、その証言を無視しなさい。」

「ユダヤ人」について何が真実でしょうか? 
私は皆さんに「ユダヤ人」という言い方をします。
彼らは「ユダヤ人」と呼ばれています。
でも、私は「ユダヤ人」とは呼びません。
いわゆるユダヤ人」と呼びます。
それは、彼らが誰であるかを知っているからです。
「東欧のユダヤ人」は、世界中の「ユダヤ人」と呼ばれる人々の92%を占めていますが、彼らの出自はカザール人です。
カザール人はアジアの真ん中に住んでいた好戦的な種族です。
あまりにも好戦的なため、アジアから東欧に追いやられました。
カザール人は200万平方キロ(日本の約5~6倍)という広大なカザール王国を打ち立てました。
当時、ロシアはありませんでしたし、他のヨーロッパ諸国もほとんどが存在していませんでした。
カザール王国はヨーロッパ全土でも最大の国でした。
他の国の君主が戦争をしようとするとき、カザールはそれらの王に4万人の兵士を貸し出したといわれているほど強大な国でした。

カザールは男根崇拝の民でした。
汚らわしいことで、今は、詳細に触れたくありません。
野蛮人は世界中のあちこちに存在していました。
カザールの王は自分の国の堕落がいやになり、いわゆる一神教を導入しようと決意します。
キリスト教、イスラム、現在ユダヤ教と呼ばれているもの(実際はタルムード主義ですが)、どれでもよかったのです。
「どちらにしようかな」と叫びながら、コマを回して、王はいわゆるユダヤ教を選びました。
ユダヤ教は国教となりました。
王はパンベディータやスラのタルムード学校に80万人を派遣し、数千人のラビを招聘し、シナゴーグ(会堂)や学校を開設しました。
そうして2千万人程の国民は、いわゆるユダヤ人」になったのです。

カザール人は、誰一人として聖地エルサレムの土地を踏んでいません。
旧約聖書の時代は勿論、天地創造まで遡っても一人もいません!
にもかかわらず、「ユダヤ人」はキリスト教徒のところにきて、パレスチナ紛争でイスラエルを支援するように要求しています。
「キリスト教徒は神に選ばれた民を約束の地に送還したいでしょう。祖先の土地にですよ。それはキリスト教徒の義務ですよ。我々は息子の一人をキリスト教徒の救世主として与えたではないですか。キリスト教徒は日曜日に教会に行って、一人のユダヤ人に跪き祈るじゃありませんか。我々はそのユダヤ人なのですよ。」

しかし、彼らは改宗した異教徒のカザール人です。
カザール人が自分たちを「聖地の民」と呼ぶのはとてもおかしなことです。
それは、5400万人の中国のイスラム教徒を
「アラブ」と呼ぶようなものです。
モハメッドは西暦640年に亡くなりました。
その後、5400万人の中国人がイスラム教を受け入れました。
考えて見てください。
メッカとモハメッドの生地アラビアから3千キロも離れた中国ですよ。
そこで5400万人の中国人が自分たちを「アラブ」と呼ぶことにしたら狂気以外の何ものでも無いでしょう。
この5400万人の中国人がアラブだなんて信じる人は気が狂っています。
彼らはアラビアのメッカ発祥の信仰を宗教として受け入れただけです。
同じことがアイルランド人にも言えます。
アイルランド人がキリスト教徒になったとしても、新しい住民として聖地エルサレムに送り届けようとはしないでしょう。
アイルランド人が別の人種になった訳ではありません。
同じ人種のままで、ただ、キリスト教を宗教として受け入れただけです。

異教徒、アジア人、トルコ、フィンランドはモンゴル人種でアジアを追い出されて東欧に来ました。
彼らの王はタルムード信仰を選びました。
カザール人に他の選択肢はありませんでした。
スペインでも同じことがありました。
王がカトリック教徒であれば、国民はすべてカトリック教徒にならなければなりませんでした。
カトリック教徒でないなら、スペインを追い出されます。
このようにして、カザール人が今日の「ユダヤ人」になったのです。

さて、世界で最大のキリスト教国アメリカ合衆国が「我々の力と威信にかけて神の選民「ユダヤ人」を約束の地である先祖の土地へ送還しよう。」と言うのはばかげています。
これほど大きな嘘があるでしょうか?
しかし、彼らは新聞、雑誌、ラジオ、テレビ、出版界を支配しています。
説教壇の聖職者もいます。
政治家も同じことを言うので、その嘘をアメリカ国民が信じるのは驚くべきことではありません。
何度も何度も聞かされていれば、黒も白と信じるようになるでしょう。
もはや黒を黒と言わないようになり、黒を白と言い出すのです。
誰もそれを非難しません。
歴史的大嘘です。
これこそが世界の惨事の根源です。

皆さんはユダヤ人がキリストの贖罪の日に何をするか知っていますか。
皆さんは神聖なことのように思っているようです。
私もユダヤ人でした。
だからこれは聞き伝えではありません。
私は、民衆扇動家としてここに立っているのではありません。
皆さんに真実を伝えるためにここにいます。
キリストの贖罪の日にシナゴーグ(会堂)に行き、最初にコル・ニドル(すべての誓い)という短い祈りを三回唱えます。

この祈りのなかで、全能の神と契約を交わします。
その契約は、これからの一年間で交わす誓約、公約は全く無効であるとするものです。
誓約は誓約ではなく、誓いは誓いではなく、公約は公約ではなくなります。
それらは全く効力も何もないとされます。

さらに、タルムードの教えでは、あなた方との誓約、誓いや公約はキリストの贖罪の日に唱えるコル・ニドルを思い出して、誓約、誓いや公約の実行を反故にするのです。

どうです、皆さん、ユダヤ人の誠実さにどれだけ信頼をおけますか?
ドイツ人が1916年に信頼した程度にはできるかもしれません。
しかしそれは、ドイツが味わった悲惨な運命をアメリカも味わうことを意味します。

非戦闘員を『狙って』日本の一般人に空爆を行ったり原爆を投下したアメリカが
      (↑国際法違反)
戦後は「勝った、勝った」と言って日本を占領しました。

その占領期間に彼らが9日間で書き、押し付けた作文「日本国憲法と称する文書」があります。

■小山常実『「日本国憲法」無効論』 …だが、この三月四日から五日にかけての「押し付け」のほうがはるかに強硬であったし、「日本国民の自由意思」をまったく尊重しないものであった…。
 ↑国際法違反
 日本国憲法は、国際法違反→無効

これを改めて検証してみたいと思います。

流れとしましては…
降伏文書の主旨を具体的に実現する為に東京裁判の起訴状が書かれ、

東京裁判の起訴状と降伏文書の目的を達成する為に

米国が、日本国憲法を書きました。

先ず、ポツダム宣言から確認しましょう。(一部抜粋・全文は各自ご確認ください)
ポツダム宣言 再軍備するな 産業も許さん 03
これに副ってアメリカは対日方針をたてました。(一部抜粋・全文は各自ご確認ください)
ポツダム宣言うけ対日方針 軍事に転用出来る経済は許さん 03
そうしてアメリカが書いた作文
「日本国憲法と称する文書」です。(日本政府が作成したように偽装した)
バイデン副大統領(当時)が明言されたように、日本の憲法草案は
GHQの民政局が九日間(1946年2月4日~12日)で書きあげました。
これを日本政府には極秘に行われていました。

バイデン米副大統領 日本国憲法は米国が書いた
繰り返しになりますが、これは日本が主権のない占領中の事です。

よって当然、無効であり、存在価値はゼロです。
無効な憲法は破棄する必要はない。しょんべんかけたら良いだけだs

この作文を書く行程で注目すべきは「マッカーサーノート」です。
マッカーサーが憲法草案を書く時の必須条件として挙げたもので
GHQの作文はこれに副ったものでした。

マッカーサーノート(抜粋)

1946年2月3日(憲法改正の「必須用件」として示された三つの基本点)

2、「国家の主権的権利としての戦争を放棄する。日本は、紛争解決の為の手段としての戦争、及び自己の安全を保持する為の手段としてのそれをも、放棄する。日本はその防衛と保護を、今や世界を動かしつつある崇高な理想に委ねる如何なる日本陸海空軍も決して許されないし、如何なる交戦権も日本軍には決して与えられない(国立国会図書館)

マッカーサーは当初から日本に対し一切の反論は許さないとする高圧的な態度でした。
交渉というものは存在しない。
小山常実『「日本国憲法」無効論』より

そして、ホイットニーは、軍事力を使ってでも自己の意思を通そうとする決意をもっていた。ホイットニーは、新憲法草案起草の宣言をした二月四日の民政局の会合では、吉田外務大臣らとの会談では、次のように振る舞う予定であると、覚悟を示していた。

(ホイットニー民政局長の言葉の引用)

「(略)説得の道が不可能なときには、力を用いるといっておどすことだけではなく、力を用いること自体の授権を、マッカーサー将軍からえている」

ホイットニーは日本の代表三名にGHQの作文を突き付け、読む間庭で日光浴をして待機しました。
15分ほど経ち、読み終えた白洲らに「私たちはアトミック・エナジーの暖かさを楽しんでいるのだ原爆をほのめかし威嚇した」と言ったとされています。

実際は、そうした言葉以上に力づくで「作文」を受け入れさせようとする空気があったようです。


まさかとは思いますが、ナント日本はこの主権のない状態が、今なお続いているのです。
戦後、真の主権を取り戻そうとした自民党が結党時にかざした「党の使命」です。

ポツダム宣言うけ自民党 結党時「党の使命」 1955年11月15日 05
自主憲法と同時に、自民党が当初から目指していたのは、
在日米軍撤退國軍創設です。
自由民主党の政綱(1955年11月15日)1
平和憲法は敵国にとって有利02

人は先ず、正しくなければなりません。

嘘やごまかし不正があってはなりません。

真実が貫かれていなければなりません。

大義が貫かれていなければなりません。


この日本を弱体化させたい勢力は

日本の正しさが許せません。

邪な勢力の思い通りに動かない日本が許せません。


アメリカや反日特亜三国は

マヤカシの真実で攻撃し続けています。


我が国は、どこまでも正しさを貫くべきです。

それでも誤解され、攻撃されることは耐え難いことですが、
最後には真実が勝ると確信します。

人格大国を目指し

日本の未来を力強く担ってくれる若者を育て、真の日本を取り戻す挑戦をしています。


このページのトップヘ