その際日本人でただ一人絞首台に立会った浄土真宗の僧侶であり東大教授であった花山信勝師、その目撃談です。
自分から手を差し出して握手を求めたんです。
イエスが十字架で亡くなられる時、殺害する側にいたローマ兵が
アメリカ人の将校達は、殉国七士のあまりにも崇高な姿に
今こそ、77年間も属国だったアメリカから脱却しなければ!!
東條英機(首相・陸軍大将)遺書全文
開戦当時の責任者として敗戦のあとをみると、実に断腸の思いがする。
今回の刑死は個人的には慰なぐさめられておるが、国内的の自らの責任は死を以もって贖あがなえるものではない。
しかし国際的の犯罪としては無罪を主張した。今も同感である。
ただ力の前に屈服した。
自分としては国民に対する責任を負って満足して刑場に行く。
ただこれにつき同僚に責任を及ぼしたこと、又下級者にまで刑が及んだことは実に残念である。
天皇陛下に対し、又国民に対しても申し訳ないことで深く謝罪する。
元来日本の軍隊は、陛下の仁慈の御志に依より行動すべきものであったが、一部過ちを犯し、世界の誤解を受けたのは遺憾であった。
此度の戦争に従事してたおれた人及び此等これらの人々の遺家族に対しては、実に相済まぬと思って居る。心から陳謝する。
今回の裁判の是非に関しては、もとより歴史の批判を待つ。
もしこれが永久平和のためということであったら、も少し大きな態度で事に臨のぞまなければならないのではないか。此の裁判は結局は政治的裁判で終わった。
勝者の裁判たる性質を脱却せぬ。
天皇陛下の御地位は動かすべからざるものである。
天皇存在の形式については敢えて言わぬ。
存在そのものが絶対必要なのである。
それは私だけではなく多くの者は同感と思う
空気や地面の如ごとく大きな恩めぐみは忘れられぬものである。
東亜の諸民族は今回のことを忘れて、将来相協力すべきものである。
東亜民族も亦他の民族と同様に天地に生きる権利を有もつべきものであって、その有色たるを寧ろ神の恵みとして居る。
印度インドの判事には尊敬の念を禁じ得ない。
これを以もって東亜諸民族の誇りと感じた。
今回の戦争に因(より)て東亜民族の生存の権利が了解せられ始めたのであったら幸いである。列国も排他的の感情を忘れて共栄の心持ちを以て進むべきである。
現在日本の事実上の統治者である米国人に対して一言するが、どうか日本人の米人に対する心持ちを離れしめざるよう願いたい。又日本人が赤化しないように頼む。
大東亜民族の誠意を認識して、これと協力して行くようにされねばならぬ。
実は東亜の他民族の協力を得ることが出来なかったことが、今回の敗戦の原因であったと考えている。
今後日本は米国の保護の下に生きて行くであろうが、極東の大勢がどうあろうが、終戦後、僅か三年にして、亜細亜大陸赤化の形勢は斯(かく)の如くである。
今後の事を考えれば、実に憂慮にたえぬ。
もし日本が赤化の温床ともならば、危険この上もないではないか。
今、日本は米国より食料の供給その他の援助につき感謝している。
しかし、一般人がもしも自己に直接なる生活の困難やインフレや食料の不足などが、米軍が日本に在るが為なりというような感想をもつようになったならば、それは危険である。
依って米軍が日本人の心を失わぬよう希望する。
今次戦争の指導者たる米英側の指導者は大きな失敗を犯した。
第一に日本という赤化の防壁を破壊し去ったことである。
第二には満州を赤化の根拠地たらしめた。
第三は朝鮮を二分して東亜紛争の因たらしめた。
米英の指導者は之を救済する責任を負うて居る。
従ってトルーマン大統領が再選せられたことはこの点に関し有り難いと思う。
日本は米軍の指導に基づき武力を全面的に抛棄した。これは賢明であったと思う。
しかし世界国家が全面的に武装を排除するならばよい。
然(し)からざれば、盗人が跋扈する形となる。
(泥棒がまだ居るのに警察をやめるようなものである)
私は戦争を根絶するためには慾心を人間から取り去らねばと思う。
現に世界各国、何いずれも自国の存在や自衛権の確保を主として居る
(これはお互い慾心を抛棄しておらぬ証拠である)。
国家から慾心を除くということは不可能のことである。
されば世界より今後も戦争を無くするということは不可能である。
これでは結局は人類の自滅に陥るのであるかも判らぬが、事実は此の通りである。
それ故ゆえ、第三次世界大戦は避けることが出来ない。
第三次世界大戦に於いて主なる立場にたつものは米国およびソ連である。
第二次世界大戦に於いて日本と独乙(ドイツ)というものが取り去られてしまった。
それが為、米国とソ連というものが、直接に接触することとなった。
米ソ二国の思想上の根本的相違は止むを得ぬ。
この見地から見ても、第三次世界大戦は避けることは出来ぬ。
第三次世界大戦に於いては極東、即ち日本と支那、朝鮮が戦場となる。
此(こ)の時に当たって米国は武力なき日本を守る策を立てねばならぬ。
これは当然米国の責任である。
日本を属領と考えるのであれば、また何をか言わんや。
そうでなしとすれば、米国は何等かの考えがなければならぬ。
米国は日本八千万国民の生きて行ける道を考えてくれなければならない。
凡(おおよ)そ生物として自ら生きる生命は神の恵である。
産児制限の如ごときは神意に反するもので行うべきでない。
なお言いたき事は、公、教職追放や戦犯容疑者の逮捕の件である。
今は既に戦後三年を経過して居るのではないか。
従ってこれは速やかに止めてほしい。
日本国民が正業に安心して就くよう、米国は寛容の気持ちをもってやってもらいたい。
我々の処刑をもって一段落として、戦死傷者、戦災死者の霊は遺族の申し出あらば、これを靖国神社に合祀せられたし。
出征地に在る戦死者の墓には保護を与えられたし。
戦犯者の家族には保護をあたえられたし。
青少年男女の教育は注意を要する。
将来大事な事である。
近事、いかがわしき風潮あるは、占領軍の影響から来ているものが少すくなくない。
この点については、我が国の古来の美風を保つことが大切である。
今回の処刑を機として、敵、味方、中立国の国民罹災者の一大追悼慰霊祭を行われたし。
世界平和の精神的礎石としたいのである。
勿論、日本軍人の一部に間違いを犯した者はあろう。
此等これらについては衷心謝罪する。
然(こ)れと同時に無差別爆撃や原子爆弾の投下による悲惨な結果については、米軍側も大いに同情し憐憫して悔悟あるべきである。
最後に、軍事的問題について一言する。
我が国従来の統帥権独立の思想は確に間違っている。
あれでは陸海軍一本の行動は採れない。
兵役制については、徴兵制によるか、傭雇兵制によるかは考えなければならない。
我が国民性に鑑みて再建軍隊の際に考慮すべし。
再建軍隊の教育は精神主義を採らねばならぬ。
忠君愛国を基礎としなければならぬが、責任観念のないことは淋しさを感じた。
この点については、大いに米軍に学ぶべきである。
学校教育は従前の質実剛健のみでは足らぬ。
人として完成を図る教育が大切だ。
言いかえれば、宗教教育である。
欧米の風俗を知らす事も必要である。
俘虜のことについては研究して、国際間の俘虜の観念を徹底せしめる必要がある。
辞世
我ゆくもまたこの土地にかへり来ん 国に報ゆることの足らねば
さらばなり苔の下にてわれ待たん 大和島根に花薫るとき
『祖父東條英機「一切語るなかれ」』東條由布子 著 (文藝春秋)
より
~~~~~~~~~~~
東條英機 処刑前の遺書 「以て天日復明の時を待たれんことを」https://www.youtube.com/watch?v=j5OmYky5Lvs
◆英米諸国人に告げる
今や諸君は勝者である。我が邦は敗者である。
この深刻な事実は私も固より、これを認めるにやぶさかではない。
しかし、諸君の勝利は力による勝利であって、正理公道による勝利ではない。
私は今ここに、諸君に向かって事実を列挙していく時間はない。
しかし諸君がもし、虚心坦懐で公平な眼差しをもって最近の歴史的推移を観察するなら、その思い半ばに過ぎるものがあるのではないだろうか。
我れ等はただ微力であったために正理公道を蹂躙されたのであると痛嘆するだけである。
いかに戦争は手段を選ばないものであるといっても、原子爆弾を使用して無辜の老若男女数万人もしくは数十万人を一挙に殺戮するようなことを敢えて行ったことに対して、あまりにも暴虐非道であると言わなければならない。
もし諸般の行いを最後に終えることがなければ、世界はさらに第三第四第五といった世界戦争を引き起こし、人類を絶滅に至らしめることなければ止むことがなくなるであろう。
諸君はすべからく一大猛省し、自らを顧みて天地の大道に恥じることないよう努めよ。
◆日本同胞国民諸君
今はただ、承詔必謹する〔伴注:終戦の詔を何があっても大切に受け止める〕だけである。私も何も言う言葉がない。
ただ、大東亜戦争は彼らが挑発したものであり、私は国家の生存と国民の自衛のため、止むを得ず受けてたっただけのことである。
この経緯は昭和十六年十二月八日の宣戦の大詔に特筆大書されているとおりであり、太陽の輝きのように明白である。
ゆえにもし、世界の世論が、戦争責任者を追及しようとするならば、その責任者は我が国にいるのではなく彼の国にいるということは、彼の国の人間の中にもそのように明言する者がいるとおりである。
不幸にして我が国は力不足のために彼の国に敗けたけれども、正理公議は厳として我が国あるということは動かすことのできないことである。
力の強弱を、正邪善悪の基準にしては絶対にいけない。
人が多ければ天に勝ち、天が定まれば人を破るということは、天道の法則である。
諸君にあっては、大国民であるという誇りを持ち、天が定まる日を待ちつづけていただきたい。
日本は神国である。
永久不滅の国家である。
皇祖皇宗の神霊は畏れ多くも我々を照らし出して見ておられるのである。
諸君、願わくば、自暴自棄となることなく、喪神落胆することなく、皇国の命運を確信し、精進努力することによってこの一大困難を克服し、もって天日復明の時が来ることを待たれんことを。
◆日本青年諸君に告げる。日本青年諸君各位
我が日本は神国である。この国の最後の望みはただ諸君一人一人の頭上にある。
私は諸君が隠忍自重し、どのような努力をも怠らずに気を養い、胆を練り、現在の状況に対処することを祈ってやまない。
現在、皇国は不幸にして悲嘆の底に陥っている。
しかしこれは力の多少や強弱の問題であって、正義公道は始終一貫して我が国にあるということは少しも疑いを入れない。
殉国の烈士は、決して犬死したものではない。
諸君、ねがわくば大和民族たる自信と誇りをしっかり持ち、日本三千年来の国史の導きに従い、また忠勇義烈なる先輩の遺旨を追い、もって皇運をいつまでも扶翼せんことを。
これこそがまことに私の最後の願いである。
思うに、今後は、強者に拝跪し、世間におもねり、おかしな理屈や邪説におもねり、雷同する者どもが少なからず発生するであろう。
しかし諸君にあっては日本男児の真骨頂を堅持していただきたい。
真骨頂とは何か。忠君愛国の日本精神。これだけである。
アメリカの反日教育、捏造された歴史教育は、中韓に引けを取りません。
先の大戦に関しても…
しかし史実はこうです。大東亜戦争とは、
アメリカによる「オレンジ計画(日本殲滅戦略 1897~1945年 8回改定)」を実行する為に日本に仕掛けた戦争でした。
オレンジ計画は米政府が1994年に公開した史料です。それによると…
この流れで日中戦争もアメリカが首謀者であり、中国の背後から我が国に戦争行為をしていました。
アメリカが宣戦布告無しに日本に戦争行為をしたのが、日中戦争です。
真珠湾攻撃は、それに対する「反撃」であり
当然、宣戦布告などは不要である。
----- ----- ----- ----- ----- ----- ----- ----- -----
繰り返します。
「一方的な国家間の友好関係の破棄がある以上、
真珠湾攻撃は宣戦布告無しでも合法である。」(田母神俊雄 元航空幕僚長)
そもそも毛沢東は、アメリカが日本を攻撃させる為に育てた。
毛沢東などは麻薬の売人であり、自身も麻薬中毒者だったのです。
(以下、「週刊新潮」に連載された高山正之氏のコラム「変見自在」より)
米国は十九世紀末、日本封じ込めの一環としてフィリピンを植民地にした。
米国支配を嫌う原住民はみな殺しにした。
米国の自己申告では「殺した地元民は二十万人くらい」(上院公聴会)という。
米国は恐怖で屈服させたフィリピン人に今度は銃を持たせて訓練した。日本軍がきたとき彼らを米兵の盾にして戦わせるためだった。
四十年後、予想通り日本車四万余がリンガエン湾に上陸した。
マッカーサー以下三万人の米軍は十二万人の現地兵を盾に戦ったが、殲滅されてしまった。
この戦いを日本軍は「米軍と戦った」と記録する。
戦ったのは半分以上現地兵だったが、「フィリピンと戦った」意識はない。
マレー半島では日本軍は英印軍十万をやっつけてシンガポールを落とした。
この戦いも日本はあくまで英国と戦った。
英軍の前衛はインド兵だが、インドと戦ったつもりはない。
日本は中国大陸でも戦った。そこの中国人とはかつて日清戦争で戦った。
その後は彼らを日本に留学させ、国造りを支援したが、あるときから彼らは反抗的になった。なぜかは中国だけ見ていても分からない。
たとえば米国を見る。
この国は日本が日露戦争に勝つとすぐ北京に清華大を建て、日本に流れる留学生を顎足つきで米国に誘った。
米国から戻ってきた留学生は蒋介石につき、米国の意向に副った反日政策を遂行した。
孔祥煕や胡適がその代表格で、とくに胡適は「米国を引き込め」と盛んに蒋介石に吹き込んでいる。
日本を潰さないとアジアの利権が危うくなると欧米諸国は認識していた。
それでドイツは中国陸軍を強くして日本にぶつけた。それが第二次上海事変だ。
米国は中国に空軍を持たせて日本を叩くことを考えた。
操縦は難しいが、歩兵がやっとのフィリピン人よりまだ中国人は使えると思ったからだ。
で、第一次上海事変直後に米国は抗州に飛行学校を作り、教官にクレア・シェンノートらを派遣した。
その成果が第二次上海事変だった。
日本軍はドイツ製の火器やトーチカ群にてこずったが所詮、中国軍は中国軍だった。
二十倍の兵力でも殲滅されてしまった。
米国が養成した中国空軍はもっとお粗末だった。
黄浦江にいた巡洋艦「出雲」をカーチス・ホークHとノー・スロップ爆撃機で襲わせたが、三機が撃墜され、二機は「出雲の弾幕が怖くて」(ジョン・パウェル『在支二十五年』)適当に爆弾を落とし、外灘にいた中国人ら数百人を殺した。
ウースン付近では中国空軍機が英巡洋艦を間違って爆撃したが、この中にシェンノートもいて危うく撃ち落とされそうになったと自伝にある。
中国人の操縦下手にルーズベルトも呆れ、
米軍操縦士に中国人を装わせて飛行機を飛ばすことになる。
世に言う「フライング・タイガー」がそれだ。
そのころにはドイツが手を引き、米国が代わって中国地上軍の強化も担当した。
つまりここもフィリピンと同じに
米国が装備から訓練まで面倒見て、中国兵を米軍の代りに日本軍と戦わせた。
それが見える形になったのが援蒋ルートの要衝、龍陵の攻防戦だった。
そこで戦った五十三師団の平田敏夫と現地を歩いた。
「中国兵は三日攻撃し三日休んだ。指揮する米兵の休暇に合わせていた」
「二万の中国兵が我々の守る山に取りついた。十分引き付けて撃った。
見る間に彼らは死体の山を築いた
浮足立つ中国兵に後方から米兵の「突っ込め」という声が聞こえ、
軽機銃の発射音が続いた。督戦隊が逃げる兵を撃つ音だった。
霞が晴れたとき、遠くに白マント姿の米兵を平田は見た。
「米兵は一個中隊に一人がついていた。中国兵はほとんど子供だった」。
米軍は子供でも鉄砲は撃てることを知っていた。
龍陵にはここで戦死した米兵二十八人を祀る記念館があり、