バチカンと癒着して神の民を攻撃すると書かれています。

中野剛志さんが言われる通り、日本に対しこのアメリカは表向きは友好的ですが常に情報戦や経済戦争を仕掛け、日本の主権や国民の命、富を奪っています。
アメーバブログで数年間に亘り、日本がアメリカの隠れ植民地である実態を投稿し続けてきました。その記事が全てBANされてしまったのですが…_| ̄|○IIIガックリ
近い認識を纏めて下さっている小川賢治教授(京都先端科学大学・政治社会学)の論文を引用させて頂きます。アメーバブログを読んで下さっていた方には同じ内容になります。(画像は管理人)
目 次
はじめに
1 .問 題
2 .天皇の布告文と「人間宣言」
6 .建築基準法改正
7 .商法改正
(文献、補注、資料はコチラの頁の末尾)
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は じ め に
2015年の日本の夏は安保法制に揺れた。安倍政権は安保関連法の成立に執着したが,それは事前に米国と約束していたからであった。
まず米国と約束をして,それを実現するために法律の成立にこだわる,というのは本末転倒であるが,このような政治手法は安倍政権に限るものではなく,戦後歴代の自民党政権の政治にはいつも見られたものであった。
本稿は,そのように日本政府の政策は米国の政策に合わせるように決定されている,という説を検証しようとするものである。
時代を遡り,第二次大戦敗戦時に,天皇の布告文と「人間宣言」が,米国から示された文書にもとづいて作成されたことについて説明する。更に米国からの日本政府への要望をまとめて日本政府に制度改正を迫る文書である「年次改革要望書」と,日米間の密接な人的関係を表すものとして「日米合同委員会」を紹介する。
そして,米国との秘密の約束に日本政府が拘束されている例(密約)について考える。
1 .問 題
「日本政府の政策は米国の政策に合わせるように決定されている」と書いたが,他にどのような類似の表現が可能であろうか。米国の果たす役割が大きい順にいくつか挙げる。

1 .日本政府の政策は米国によって決定されている(これは,米国が決定の主体であるという言い方である。現代の主権国家には有り得ないことである)。
2 .日本政府の政策は米国の政策に沿って決定されている(これは,決定しているのは日本であるが,米国の政策の果たしている役割が大きいことを表している)。
3 .日本政府の政策決定は米国の政策によって影響を受けている(影響を受けている,という言い方は,どのような影響なのかを明らかにすることを求められる曖昧さがある)。
4 .日本政府の政策決定がなされる前に米国の方針決定が行われている(これは影響関係には触れず,時間の前後関係を語るのみである)。
2015年の日本の夏は安全保障法制で揺れた。この法案に関しては国民の間に反対の意見も多かったが,政府は衆議院の委員会で強行採決をしてまで成立させた。国民の間には,反対でないまでも,もっと時間をかけて慎重に審議すべきだという意見もあったが,通常国会で成立させることを安倍政権は急いだ。
なぜ反対意見や慎重審議を求める声があったのに,それらを無視して成立を強行したのか。その理由は,国会で審議が始まる前に政府が米国と約束していたからだ,ということになる。この点が本稿のテーマである。
一国の政策は,国民(の代表である国会)の意見にもとづいて決められるべきものである。内閣が何らかの政策方針を持っていたとしても,それをまず表明する相手は外国政府ではなく,国会である。その点で今回の安保法制は根本的に問題である。
日本政府の政策が米国の政策に合わせて決定されてきたことは,単に安倍政権だけのことではなく,第二次大戦敗戦以降のほとんどの自民党政府がしてきたことである。しかも,安全保障のような,国民の生活と安全に根底から影響するような重要な政策ほど,米国の影響が大きく働いている。このような政策決定のあり方は明らかに本末転倒であるが,残念ながら,日本政府が従来おこなってきたことにはそういうものが多い。このような問題点を指摘する文献がここ数年増えている。本稿は,それらを参照しつつ,この問題に検討を加えようとするものである。
安倍首相による安全保障法制の推進がその数カ月前に米国側と約束されていたことを示す2015年 4 月28日の日経新聞の記事では,国内で審議するより前に米側と約束をしてしまうことへの疑問は一切持たれていない。しかし,「防衛協力のための指針(ガイドライン)」を 2 + 2 で決めたからと言って,それに拘束されて国会でそれを反映した法律を作らなければならない,というのは本末転倒であり,順序が間違っている。まず国民の(代表の)意思として国会で決定し,その後それにもとづいてガイドラインが決められるのが順序として本来であるはずである。
日本政府が政策を決定する前に,それの元になるものを米国が決めていた例は多数あるが,特に次のようなものを挙げることができる。まず,第二次大戦の敗北時と,それに続く占領期には,この例は多い。占領期であるのだから当然のことではあるが,周知のものとしては日本国憲法が挙げられるし,一般に知られていないものとして,いわゆる天皇の「人間宣言」がある。このような,第二次大戦後の新しい日本の国家の特質を象徴的に表すようなものすら,基本的な部分は米国が原文を示したのである。
また,戦後の日本の安全保障体系を決めた日米安全保障条約も同様であるが,それと関連する地位協定,行政協定も,米国の方針の下に(米国の利益に合うように)作られ結ばれている。日米安保に関わる日米間の取り決めは,国内法の上位に位置づけられ,国内法に制約を加えている。例えば航空法では,国内の航空機は米軍の利用する空域以外しか飛ぶことができない。

本稿での議論は,日本国憲法はアメリカが作って日本に押しつけたものだという「押しつけ」論と関係があるが,それに留まらないもっと大きな日本の政策決定における米国の影響問題である。憲法だけでなく重要な日本の政策の少なからぬものが米国の方針に合うように決定されているということであり,日本国憲法は単に一つの例に過ぎない。
(注) 2015年12月24日に公開された米国の外交文書において,1983年 1 月の訪米時の首脳会談で中曽根首相が,米国に日本の武器技術を供与することを表明したことが明らかになった。その訪米の後,国会では違憲などと追求を受けたが,その政策が決定され,武器輸出三原則が緩和される最初となった。これも,特定の政策について,国会で審議するより前に米国から強要されていたことの一例である。
2 .天皇の布告文と「人間宣言」
米国は戦争中から,終戦後は天皇を利用して日本統治を進めようと考えていたが,その試みは,1945年 8 月15日の敗戦後,すぐに始まった。正式な降伏手続きのために,マニラにいたマッカーサーのもとに呼びつけられた軍使(陸軍参謀次長・河辺虎四郎)が 8 月21日に三つの文書を持ち帰った[矢部:127]。これらは全て英文であり,それを日本語に翻訳して公表させた。その三つの文書とは,
①降伏文書(ポツダム宣言受諾のための)(稿末の(資料 1 )に英文・日本文の全文を
掲載している)
②一般命令第一号(陸軍と海軍に対して降伏や武装解除をどのように行うかを,
米軍側から具体的に指示した文書)(これも稿末の(資料 2 )に英文・日本文の全文
を掲載している)
③天皇の布告文(ミズーリ号での降伏文書へのサインと同時に発表するよう指示
された天皇の声明文)
である。
③の一部は以下のようなものである[矢部:127]。「私」は天皇を指す。
「…日本政府および大本営に対し,連合国最高司令官が提示した降伏文書の内容に私にかわってサインし,かつ連合国最高司令官の指示にもとづき,陸海軍に対する一般命令を出すことを命じた。」(米軍が書いて突き付けた作文を天皇陛下がお読みになった)
降伏するのは米国ではなく日本なのだから,日本の主体性のもとにそのための文書を作成するのがごく当然のはずであるが,そうではなく,こういうものにまで米国側が指示を下していた。軍隊の武装解除についても同様である。
(注) 有名な昭和天皇とマッカーサーの第 1 回会見は1945年 9 月27日におこなわれたが,その 2 日前に開かれたアメリカ・メディア(NY タイムズと UP 通信)への昭和天皇の「記者会見」においても,一問一答形式の「インタビュー」は,事前に日米間でよく検討され,練り上げられたものだった。質問は許されなかった[矢部:135]。
(日本国憲法の制定について)「GHQ は,国会法案の帝国議会提出までに 4 次にわたる指示を行った。その内容は広範かつ詳細で,意義不明な内容もあったが日本側は従順であり,指示を反映する草案改定を重ねていった。日本側が占領下にあることを考慮すれば,これは合理的な態度であり,…」と言われている[梶田:30196]。ここに見られるように,GHQ からの指示が力を持っており,日本側はそれに従って法案を作成していったことがわかる。
「人間宣言」
米軍の日本占領において思想面での国家改造を担当したのは民間情報教育局(CIE。Civil Information and Educational Section)であったが,CIE は1945年12月15日に「国家神道廃止令」という指令を出す。が,その指令には「天皇は神ではない」という内容は書かれていなかったので,それを天皇本人に言わせようということになった[矢部:142]。それはいわゆる「人間宣言」の中で昭和天皇が語ることになるので,次にそれを見る(「人間宣言」は,昭和21年 1 月 1 日に官報により発布された昭和天皇の年頭の詔書の通称である)。
昭和天皇の「人間宣言」も最初は英文で書かれたものが米国が突きつけたということは大部分の日本人が知らないことである。英文の全文は稿末の(補注 1 )を参照のこと)。なお,英文にない「五箇条の御誓文」が日本文では冒頭に付け加えられたが,それは昭和天皇の意向によるものだと言われている。
3 .年次改革要望書
日本政府の政策決定における米国からの影響を考える際,「年次改革要望書」が決定的に重要である。それは日本に対する恒常的な内政干渉としか表現しようのないものだ[関岡:50-57]。
「年次改革要望書」の正式名称は,「日米規制改革および競争政策イニシアティブ
The US-Japan Regulatory Reform and Competitive Policy Initiative に基づく日本国政府への米国政府要望書」である[和田:24-][関岡:55]。
「年次改革要望書」は,アメリカ政府が毎年10月に日本政府に突きつけてくる文書で,2001年版まで 5 つの優先分野(通信,金融,医療機器・医薬品,エネルギー,住宅分野)が指定されていた。それ以降は住宅分32野が姿を消した。要望が実現したからだと関岡は言う。
武富薫もこれと同じ見方をしている。「年次改革要望書」の実態は,「米国が一方的に日本に突きつける「対日経済要求」に過ぎない。」
「米国は,小泉政権時代には,300兆円の資金量を誇る郵政民営化のほか,医療分野(混合診療解禁や医薬品の早期認可など)を要求。小泉政権は「構造改革」の名の下に,米国の要求通りの経済改革を段階的に推進した。」[武富:102-]。
「年次改革要望書」は単なる形式的な外交文書でも,退屈な年中行事でもないと言われる[関岡:55]。各項目は,日本の各省庁の担当部門に振り分けられ,それぞれ内部で検討され,やがて審議会にかけられ,最終的には法律や制度が改正されて着実に実現されていく。そして日本とアメリカの当局者が定期的な点検会合を開く。この外圧の成果は,最終的にはアメリカ通商代表部が毎年 3 月に連邦議会に提出する『外国貿易障壁報告書』のなかで報告される。
野口裕一は,2008年10月15日に出された年次改革要望書の一部の日本語仮訳を示している[野口:30-]。年次改革要望書のもっている意味がよく現れていると言える。
「米国は,今年 8 回目となる規制改革イニシアティブの要望書で,新たに進展が見込める分野について概説している。こうした進展は,例えば,貿易や経済活動に対する不必要に負担が重い障壁の撤廃や簡素化に寄与し,規制プロセスの透明性を高めること等でビジネス環境を改善し,競争の促進を通じて,また,消費者のニーズに応えるために新しい市場を創出することを通じて,新たなビジネス機会を刺激することになるであろう。
米国は,通信,情報技術,知的財産,医療機器・医薬品,競争政策,商法および司法改革,透明性,公社の民営化,流通,農業などの分野で,上記の目標に即した新たな措置を日本が取るよう幅広い提言を行っている。」
作成の経過
「年次改革要望書」は,『外国貿易障壁報告書』2000年版によると,1993年 7 月の宮沢首相とクリントン大統領の首脳会談で作成することが決まったものだという。個別産業分野の市場参入問題や,分野をまたがる構造的な問題の是正を日本に迫るための,アメリカ政府の包括的なアプローチである,と説明されている[関岡:52]。
1994年の最初の「年次改革要望書」は「32ページの英語の文書で,個別産業分野としては農業,自動車,建築材料,流通,エネルギー,金融,投資,弁護士業,医薬・医療,情報通信など,分野横断的なテーマとしては規制緩和や行政改革,審議会行政や情報公開,独占禁止法と公正取引委員会,入札制度や業界慣行,そして民事訴訟制度などが網羅され,まさに日本の産業,経済,行政から司法にいたるまで,そのすべてを対象にさまざまな要求を列挙したものだった。」
2002年までに「年次改革要望書」を担当していた米国通商代表部の「日本部」は廃止されたが,その後も2002年や2003年に年次改革要望書は発行されている。
それらには,電源開発を民営化せよとか,支配的電気通信事業者(NTT)に独禁法を適用できるようにせよとか,郵政公社の民営化計画に関して外資系保険会社にも意見を言わせよなどと書かれている。
日本で大きな議論になっている医療制度改革についてもかなりのページをさいている。
数年後の日本になにが起きるかを知りたいときには必読の文献であると関岡は言う[関岡:59]。
民主党・鳩山由紀夫政権は2009年 8 月,この要望書の受取窓口だった「日米規制改革委員会」を廃止して年次改革要望書を廃止した。
しかし,次の菅首相はオバマ大統領との首脳会談で,2010年 3 月から新たに「日米経済調和対話 United States-Japan
Economic Harmonization Initiative」という二国間協議の枠組を作ることで合意した。
「年次改革要望書」は鳩山首相の退陣にもつながっている。
「鳩山内閣が 1 年で倒れたのは,…年次改革要望書の廃止により「日本の経済主権」を握る米国の虎の尾を踏んだからという側面がある。」
他方,野田政権のような米国の要望に従順な政権は安泰である。
「安倍政権になってからこの「日米経済調和対話」は開かれていない。
理由は安倍首相が TPP 交渉参加を表明したから。」外務省 OB は言う。
「米国にとって TPP は日本にこれまでの年次改革要望書を一気に実行することを迫るものだ(後に日米FTAというもっと悪質な形で現実化した)。
…安倍政権としては日本国内で“米国追従”との批判が強い要望書はない方が好都
合だ。」[武富:102-][和田:24-]。
日本政府もアメリカ政府に対して要望書を提出することになっていて,表面上は対等かつ双方向という建前になっているが,もともとこの要望書は外圧の一手段としてアメリカから提案されたものであり,ことの発端からして双方向ではなかった[関岡:53]。
外務省の公式ホームページには,日本政府が毎年アメリカ政府へ送った「年次改革要望書」が掲載されているが,アメリカ政府が日本政府へ提示した方は公開されていない。
しかし,アメリカ政府の日本政府に対する年次改革要望書は,全文が日本語に翻訳され,在日アメリカ大使館の公式ホームページで公開されていると関岡は言う[関岡:54]。
年次改革要望書は日米双方から出されているが,では,日本側からはどのような要望が出されているのか。2004年の年次改革要望書を見ると,要望事項として,日本国民が円滑に米国に入国できること,ビザの発行や更新をスピード化すること,メートル法の使用を拡大すること,米国での外国人弁護士受入れを全州で拡大すること,WTO 協定違反が確定した貿易措置を早急に撤廃すること,が挙げられている[石川:27-]。
これに対して石川は,幼稚な感じ,という感想を述べているが,先の元 USTR 職員は,日本の方が規制が多いということの証明であり,米国にはそれほど日本が要求するほどの改善点がないということだ,と語っている。
この要望書の本質が透けて見えるように思われる。
(注) 年次改革要望書で米国がとりあげたもので,その後日本で法改正や制度改正が行われたものは,主なものだけでも以下のように多数に上る[荒井:22-][和田:24][石川:27]。
「年次改革要望書」での米政府の要望と,日本の対応(実施年)の順に示す。
電信電話事業の民営化
NTT の分離・分割(1997年)
大蔵省の分割 金融監督庁の設置(1997年)
建築の規制緩和 建築基準法改正(1998年)
人材派遣の自由化 労働基準法改正(1999年)
会計制度改革 時価会計制度導入(2000年)
談合排除 公正取引委員会法改正=同強化(2003年)
法曹人口の増大 法科大学院の設置(2004年)
郵政民営化 郵政民営化法(2005年)
近代的合併導入 新会社法=合併・買収の容易化(2005年)
貸金業 貸金業法改正(2006年)
これら以外に,
持ち株会社解禁(1997年),
大規模小売店舗法の廃止(2000年),
確定拠出年金制度導入(2001年)
も挙げられる。
4.日米合同委員会
目的・特色
「日米合同委員会」は,日米安保条約と,その下にある日米地位協定
(在日米軍の法的な特権について定めたもの)に基づき,在日米軍の具体的な運用について会議をするために設置されたもので,日本の安全保障の根幹に直接かかわる問題から,米軍基地と周辺住民の諍いまで協議される。
毎月2 回会議がおこなわれているが,会合の中身は明かされない[矢部:50][SAPIO 編集部:47-]。
日米合同委員会は「…日米の協議機関と規定されながら,アメリカの指示にしたがうことが実質的役割であった。
それは当時,ラスク米上院議員が
「合同委員会の決定がアメリカの権力行使を妨げるような事態があると,
米の主権に対する重大な制限として,米議会の承認を経なければならない」と発言したことからも明らかである。」[日米地位協定研究会:137-]。
前泊博盛に依れば,日米合同委員会での取り決めは
「基本的に軍事関連の取り決めなので米軍側は情報を出したくない。
また,米軍に有利に推移した合意内容を表に出して,日本人の神経を逆なでしたくないという思いもある。
日本側としても,米国との交渉に負けた,との誹りを避けるために,できるだけ隠密に事を収めたい。」
「必然的に日米合同委員会は「密約」の温床になってしまう。」[SAPIO
編集部:47-]。
〔経緯〕
もともと,この日米合同委員会が作られた経緯は以下のようなものである[末浪,2012][矢部:262]。
吉田首相が1952年 7 月と1954年 2 月の二度,アメリカに口頭で約束したこととして,日本国内で有事つまり戦争状態になったとアメリカが判断した瞬間,自衛隊は在日米軍の指揮下に入る(管理人加筆:属国のカタチ)とされていることがある[古関,1981][矢部:274-275]。
この「統一指揮権」の取り決めを見せられた時,吉田首相が,これが国民の眼に触れたら大変だから削除してほしいと頼んだが入れられず,その代わりに,合同委員会を設けたいと提案してできたのが日米合同委員会であるという。
日米合同委員会は協議のための機関なので,それが決定したことを日米両政府の代表者が政府間の合意として確定する行為が必要になるが,日米合同委員会の日本政府代表者は通常の政府の代表者としての地位をかねそなえており,政府の代表者として署名する。政府間で締結した条約・協定は国会で承認されるのが普通であるが,日米合同委員会は国会への報告をおこなわない[日米地位協定研究会:137-]。
(注) 日米合同委員会の委員は,平成24年 2 月時点での外務省の HPでは次のような役職者である。
日本側(官僚)
代表:外務省北米局長,
代表代理:法務省大臣官房長,
平委員:農林水産省経営局長,防衛省地方協力局長,外務省北米局
参事官,財務省大臣官房審議官
米国側(米軍)
代表:在日米軍司令部副司令官,
代表代理:在日米大使館公使,
平委員:在日米軍司令部第五部長,在日米陸軍司令部参謀長,在日
米空軍司令部副司令官,在日米海軍司令部参謀長,在日米
海兵隊基地司令部参謀長。
この親委員会の下に多数の下位委員会がある。
日本政府は日米合同委員会についていかなる認識を持っているのか。
衆議院において次のような認識が示されている[衆議院調査局:222]。
2008年 1 月の「沖縄及び北方問題に関する特別委員会」における政府側の説明である。
「(日米)合同委員会における合意事項には法的拘束力がなく,その運用については米軍側の裁量に任されている。米軍兵士による事件の際,地位協定上の問題となるのが,被疑者の身体拘束をめぐる問題である。」

日米合同委員会の扱う案件ではあらゆる問題で米軍の要求を優先している。
例えば,那覇空港を離発着する民間航空機は米軍機を優先するために,米軍の嘉手納基地から進入管制を受けている(1972年 5 月15日の日米合同委員会合意による)[日米地位協定研究会:137-]。
1957年のジラード事件や2004年の沖縄国際大学への米軍機の墜落は
日米合同委員会が決定的な役割を果たした事件である[矢部:82]。
●ジラード事件とは,
1957年に群馬県で21歳の米兵ジラードが46歳の日本人主婦を基地の中で遊び半分に射殺したという事件であったが,その扱いに日米合同委員会が大きくかかわった。
日米合同委員会の秘密合意事項として,
「(日本の検察が)ジラードを殺人罪ではなく,傷害致死罪で起訴すること」,
「日本側が,日本の訴訟代理人(検察庁)を通じて,日本の裁判所に対し判決を可能なかぎり軽くするように勧告すること」が合意された。
それに従って,懲役 5 年という求刑に対して,地裁は懲役 3 年執行猶予 4 年という判決を下した。
懲役が 3 年であれば執行猶予をつけることができるのである。
この判決に検察は控訴せず執行猶予が確定し,
そのあと 2 週間後にジラードは帰国した。(無罪放免)
●沖縄国際大学への米軍ヘリの墜落事故では

米軍が現場を封鎖し,日本の警察,外務省幹部の立ち入りも拒否した[矢部:108]。その後,それが問題になったので,日米合同委員会が新しいガイドラインを取り決めた。その新しい「米軍基地外での米軍機事故に関するガイドライン」とは,
①事故現場の周囲に,内側と外側の 2 つの規制ラインを設ける。
②外側の規制ラインは日本側が管理する。
③内側の規制ラインに「立ち入りポイント」を定め,人の出入りを日米共
同で管理する。
④事故機の残骸と部品は,アメリカ側が管理する。
というものであった。
このガイドラインによって, 3 つの規制ゾーンができ,
米軍が設定した規制ラインの内側は米軍が独占的に管理できることになった。
●1995年の少女暴行事件の後も
地位協定の改定をすることはなく,日米合同委員会は起訴前の犯人の引き渡しに「好意的考慮を払う」という趣旨の合意をおこなったのみで,国会承認案件として提出されることもなかった。

ドイツでは NATO 地位協定の補足協定を改定して米軍機の超低空飛行の禁止などの措置を講じたのと全く異なっている[日米地位協定研究会:137-]。
日米合同委員会はごく初期から,必要なことは迅速に決定を下していたことを示す資料がある[神田・久保田]。1952年に米軍基地反対闘争が闘われていた石川県の内灘では,「内灘村では駐留米軍の用地接収係が現地視察にやってきた。それからたった十日余り後にはもう日米合同委員會で接収が決っていたらしい。」と言う。
比較的最近(2008年)には,次のような日米合同委員会の合意がある。まず,北関東防衛局に依ると,「東京都の災害時等の赤坂プレスセンターのヘリポート使用」という記事において,「昨年 4 月,都道府県等による災害準備及び災害対応のための在日米軍施設への立ち入りについて,日米合同委員会において合意されました。」という記述がある[北関東防衛局]。
2011年には佐世保市長が[朝長],前畑弾薬庫の移転・返還に関しては,これまで日米合同委員会の下部機関である「施設調査部会」で調整が進められてきましたが,2011年 1 月17日,移転に関する基本的内容について,日米合同委員会で正式に合意されました。これは,大きな前進と捉えています。と語っている。
5 .密 約
日本政府の政策決定が米国の政策に合わせてなされている,という問題に関しては「密約」の問題を忘れることはできない。公開された日米の取り決めによって日本が拘束されている事例は十分に多いが,それとは別に,秘密の約束によってそれが行われているものも多い。こちらは公開のものより格段に問題である。
密約で有名なのは沖縄返還時の米軍による核兵器持ち込みであるが([西山][澤地][若泉]),それ以外に非常に多くの密約がある(あった)ことが近年では,米国で機密解除された文書の公開に伴って明らかになっている([新原,1990][新原,2011][末浪,2012][末浪,2015])。
一例として,1959年の砂川事件の際の田中耕太郎最高裁長官による判決([吉田ほか,2014][布川・新原]),日米地位協定に関わるもろもろの問題([琉球新報社][吉田,2010])がある。
安全保障体制に関しては,安保法体系に明記されていない隠された法体系すなわち密約法の体系があり,この密約法体系の存在を考えに入れて議論しないと,沖縄や福島での人権侵害をストップできないし,裁判所はなぜ不可解な判決を出すのかが判らないと矢部は言う[矢部:65]。
上記の文献によると以下のような密約が明らかになっている。


その報告は次のような内容を含んでいる[新原,2011:41]。
日本での米軍基地のもつ特徴の一つは「米国に与えられた基地権の寛大さにある。
安保条約第 3 条にもとづいて取り決められた行政協定は,米国が占領中に持っていた軍事活動遂行のための大幅な自立的行動の権限と独立した活動の権利を米国のために保護している。安保条約のもとでは,日本政府とのいかなる相談もなしに「極東における国際の平和と安全の維持に寄与」するためわが軍を使うことができる。

行政協定のもとでは,新しい基地についての要件を決める権利も,現存する基地を保持し続ける権利も,米軍の判断にゆだねられている。
それぞれの米軍施設に適用される基本合意が存在する。
これに加えて,地域の主権と利益を侵害する多数の補足取り決めが存在する。
多数の米国の諜報活動機関と対敵諜報活動機関の数知れぬ要員がなんの妨げも受けず日本中で活動している。


米軍の部隊,装備,家族なども,地元とのいかなる取り決めもなしに,
また地元当局への事前情報連絡さえなしに日本への出入を自由におこなう権限が与えられている。
日本国内では演習がおこなわれ,射撃訓練が実施され,軍用機は飛び,その他の日常的な死活的に重要な軍事活動がなされている。
すべてが行政協定で確立した基地権にもとづく米側の決定によって。
米軍施設の維持をすすんで黙認する日本側の過去ならびに今日までの姿勢は心強い…。」
この報告では,米軍のもつ権利の大きいこと,日本政府との相談を必要とせずに軍が行動でき,日本国内への出入りも自由であること,日本政府は米軍維持を黙認していること,があからさまに書かれている。
日本国内への出入りが自由であるという点に関しては,現在でも米軍やCIA の関係者は直接,横田基地や横須賀基地にやってきて,そこから都心(青山公園内の「六本木ヘリポート」)にヘリで向かう。さらに六本木ヘリポートから,日米合同委員会の開かれる「ニューサンノー米軍センター」(米軍専用のホテル兼会議場)やアメリカ大使館までは,車で五分程度で移動することができると言われる[矢部:76]。
2012年に沖縄への配備が問題になった垂直離着陸輸送機オスプレイは,アメリカ本土では「遺跡に与える影響」や「コウモリの生態系にあたえる影響」を考慮して,訓練が中止されているが,日本ではそれらのことが問題にされたことはない。配備直前の2012年 7 月,野田首相は,「配備自体はアメリカ政府の方針で,同盟関係にあるとはいえ,どうしろ,こうしろという話ではない」と語った[矢部:71]。野田首相がこのように語ったのは,上に示した秘密報告書で,「安保条約のもとでは,日本政府とのいかなる相談もなしに「極東における国際の平和と安全の維持に寄与」するためわが軍を使うことができる。」「米軍の部隊,装備,家族なども,地元とのいかなる取り決めもなしに,また地元当局への事前情報連絡さえなしに日本への出入を自由におこなう権限が与えられている。」と定められて
いるからである。
時代を遡ると,1960年の新安保条約を調印する直前( 1 月 6 日)に,岸政権の藤山外務大臣とマッカーサー駐日アメリカ大使がサインした「基地の権利に関する密約(基地権密約)」がある。それは次のようなものである[矢部:69]。
「日本国における合衆国軍隊の使用のため日本国政府によって許与された
施設および区域内での合衆国の権利は,1960年 1 月19日にワシントンで調
印された協定(矢部注:新安保条約のもとでの「日米地位協定」)第 3 条 1 項の改
定された文言のもとで,1952年
2 月28日に東京で調印された協定(矢部注:
旧安保条約のもとでの「日米行政協定」)のものと変わることなく続く。」
すなわち,安保条約が改定されても,合衆国の権利は変わらず維持されるということである。
密約と似た性格のものに,矢部が「裏マニュアル」と呼ぶものがある。
自国内の外国軍にほとんど無制限に近い行動の自由を許可する三つの裏マニュアルがあるというのである[矢部:80-83]。その三つとは
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①最高裁の「部外秘資料」(1952年 9 月。正式名称は「日米行政協定に伴う民事
及び特別法関係資料」,最高裁判所総務局/編集・発行)
②検察の「実務資料」(正式名称は「外国軍隊に対する刑事裁判権の解説及び資
料」1954年10月,のちに,「合衆国軍隊構成員等に対する刑事裁判権実務資料」
1972年 3 月,法務省刑事局/作成・発行)
③外務省の「日米地位協定の考え方」(1973年 4 月。外務省条約局/作成)
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である。
三つの裏マニュアルは,ウラ側での権力行使を,オモテ側の日本国憲法・法体系の中にどうやって位置づけるか,また位置づけたふりをするかという目的のためにつくられたものであると矢部は言う[矢部:84]。
国家の中枢にいる外務官僚や法務官僚たちが,オモテ側の法体系を尊重しなくなり,その結果,ウラ側の法体系を無視した鳩山政権は 9 ヶ月で崩壊し,他方,官僚の言いなりにふるまった野田政権は 1 年 4 ヶ月つづいた。アメリカの方針と異なる政治を行おうとした首相は退陣に追い込まれる。
鳩山首相が退陣に追い込まれた時には外務省等幹部の次のような裏切りがあった[矢部:18]。
「普天間の「移設」問題が大詰めをむかえた2010年4 月 6 日,鳩山さんが外務省と防衛省,内閣官房から幹部を二人ずつ首相官邸に呼んで秘密の会合をもち,「徳之島移設案」という最終方針を伝えた。そのあと酒をくみかわしながら,「これからこのメンバーで,この案で,最後まで戦っていく。力を合わせて目標にたどりつこう。ついてはこういった話し合いが外にもれることが,一番ダメージが大きい。とにかく情報管理だけはくれぐれも注意してくれ」と言った。「これからの行動は,すべて秘密裏に行ってくれ」と念を押したわけです。
しかしその翌日,なんと朝日新聞の夕刊一面に,その秘密会合の内容がそのままリークされた。
つまり,「われわれは,あなたの言うことは聞きませんよ」という意思表示を堂々とやられてしまったわけです。」
この事態は,鳩山退陣 1 年後ウィキリークスのサイトがこの問題に関するアメリカ政府の公文書を公開したことで裏付けられた。それによると,トップクラスの防衛官僚や外務官僚がアメリカ側の交渉担当者に対して次のように語っている[矢部:19]。
「(民主党の要求に対し)早期に柔軟さを見せるべきでない」(高見澤將林・防衛省防衛政策局長)。「(民主党の考え方は)馬鹿げたもので,(いずれ)学ぶことになるだろう」(齋木昭隆・外務省アジア大洋州局長,のちに外務事務次官)という発言である。
総理大臣が最も権力をもった存在であるという自明のはずの真理がここでは成立していない。
これらの密約は検証がなされない。調査が行われた場合も「有識者委員会」が「合意文書は存在したが,現実の状況には影響をあたえなかった」
というような非論理的な結論を,まともな証明もなしに出して終わりにされる[矢部:110]。鳩山政権も密約についての調査をしようとしたが,外務省の委嘱を受けた「有識者委員会」(座長・北岡伸一)は2010年 3 月,厳密な意味での密約はなかったという報告を出した。アメリカは公文書を開示しているのにである[新原,2011]。
2015年 7 月 1 日に安倍政権が閣議決定した「解釈改憲による集団的自衛権の行使容認」の先にあるのは「密約の現実化」である。だから,「オモテ側の役者」である安倍首相を批判しても,大きな流れを食い止めることはできないのだと言われる[矢部:275]。
米国の政策が日本の政策決定に絶対的と言える大きな力をもっていることや,国内では裏マニュアルが厳然とした力を持っているのが今の日本の現状である。
その他米国の要望に合わせて国内の法律を改正した比較的最近の例。1998年に改正された建築基準法と2002年改正の商法について検討する。
6 .建築基準法改正
こんなものにまで米国の意向が反映している例として建築基準法の改正を挙げる。日本政府は阪神淡路大震災の 3 年後の1998年 6 月,建築基準法を全面的に改正した。改正を答申した建築審議会は,改正が必要となった背景として,阪神淡路大震災の教訓とは別に,「海外の基準・規格との整合等を図ること」と「我が国の建築市場の国際化を踏まえ,国際調和に配慮した規制体系とすること」を挙げていると関岡英之は述べている[関岡:43-45]。
ここで言う「市場の国際化」とは,おもに米国からの投資の対象にするという意味である。
改正の結果の一つとして,「仕様規定」が「性能規定」に変えられたことがある。「仕様規定」とは,国土交通省のホームページによれば,「構造物の材料や工法,寸法を具体的に規定するもの」であり,それに対して「性能規定」は,構造物に要求される「性能」を規定するものである。仕様規定は高度で精妙な木造建築の伝統工法を前提としているため,建築方法の異なる外国の基準とは非常に異なっている[関岡:46]。よって,この「仕様規定」を「性能規定」に変更することは,建築物の建て方そのものを変えてしまうことにつながり,日本古来の匠の技を不要にし,外国の工法や建材が大量に日本に入ってくる道を開くことになる。また,地震が多い日本の建築基準は海外の基準より厳しいが,それを緩和することにもなる,と言われる[関岡:45]。
建築基準法の仕様規定から性能規定への歴史的転換のきっかけは,日米通商摩擦に発端をたどることができる[関岡:47]。阪神淡路大震災の 6年前の1989年 5月,アメリカは通商法スーパー301条を日本に対して発動した。この時標的とされた 3 品目は,スーパーコンピューター,人工衛星,木材(建築材料)であり,この 3 つの分野で外国企業の市場参入を阻む不公正をおこなっているとアメリカは日本を攻撃した。これに対して日本政府は初め,建築基準法は災害の教訓から日本の状況に即して定められているのだから基準を緩和する意思はないと抵抗したが,アメリカは圧力をかけ続け,ついに日本政府は,在米日本大使館の村田大使の名前でアメリカ通商代表部のカーラ・ヒルズ代表宛に書簡を出した(1990年 6 月15日付)。「木材製品に関連して日本政府が講じる措置」というタイトルの書簡だが,その中で,日米両国間の合意内容として,「建築基準は原則として性能規定とすることが好ましい」と書かれていた[関岡:48]。
この性能規定への改正方針は,建築審議会答申が出される 7 年も前に,日米両政府間で合意されていた。そのことは,建設大臣官房政策課監修『日米構造問題協議と建設行政』(大成出版社,1990年)にも記載されている。
その文書の第 3 節「最終報告書要旨(公共投資,土地利用関連部分)」には,基本方針として,米国政府を重視していること,(米国からの)輸入機会が拡大すること,外国企業も含めた新規参入機会を増大させること,が謳われている(最終報告書とは『日米構造問題協議最終報告書』(90年 6 月発行)を指す)[建設大臣官房政策課:22-]。
より詳しく見ると,「( 3 )貯蓄・投資パターン」「Ⅱ対応策」「2 今後の日本の政策決定における米国の影響積極的な取り組み」の,「社会資本整備の必要性,公共投資」の( 7 )に,
「今後とも,建設市場に係る制度について内外無差別の原則を維持するとともに,引き続き米国政府と日米合意の誠実な実施及びそのレビューを行っていく。」と書かれている。
また,「( 4 )土地利用」の「Ⅰ基本認識」には,「日本政府は,昨年12月,土地基本法を成立させた。…これらの措置により,住宅需要等が増大し,輸入機会の拡大につながることも期待される。」とある。
さらに,「( 6 )排他的取引慣行」の「Ⅰ基本認識」に,「公正かつ自由な競争を維持,促進することは,消費者の利益となるばかりか,外国企業を含め,新規参入機会を増大させるものであり,…」という文言が見られる。
この点については,アメリカの公文書には堂々と記録されており,アメリカからの内政干渉であると関岡は言う[関岡:48-49]。日本側にはこのことを示す文書類は明らかになっていないが,アメリカ通商代表部が作成した『外国貿易障壁報告書』2000年版には,日本の建築基準法改正はアメリカ政府の要求に応じてなされたとか,アメリカの木材供給業者のビジネス・チャンス拡大につながったと書かれているという。また,建築基準法改正以外にも,たとえば賃貸住宅市場の整備を目的とする「定期借家権制度」の導入や,中古住宅市場の活性化を目的とする「住宅性能表示制度」も同様であるという(『外国貿易障壁報告書』とは,米国が他国の政策のうち貿易上の障害と考えるものを列挙して,それを除去するように各国に求めた文書である。稿末の(補注 2 )外国貿易障壁報告書,を参照のこと)。
7 .商 法 改 正
2002年に商法が改正されたが,それはアメリカ型の経営組織を導入するための改正であると関岡は言っている[関岡:116]。アメリカ型経営組織とは,ひとつには社外取締役制の導入であり,それによって,株主(管理人加筆:愛国心も愛社精神の欠片もない外資含む)から送り込まれた社外取締役が生え抜き社長を解任して外部から社長を招聘できることにつながると言う。
商法改正も「年次改革要望書」の要求事項のひとつであった[関岡:119-200](「次改革要望書」とは,米国政府が日本政府に対して改革を求める項目を列挙した文書である。(補注 1 )をも参照のこと)。
2000年版の「年次改革要望書」に書かれているのは,
●取締役の条件として特定の国籍や,その会社の社員に限るといった規定を禁止せよ。
●電話やビデオ会議や書面による取締役会の決議を認めよ。
●電話やファックスや電子的手段による株主総会の投票を認めよ。
という要求である。
これらは日本企業の社外取締役に就任したアメリカ人が,アメリカに居ながらにして経営をコントロールできるようにしようとしていることだと言える,と関岡は言う。
商法改正にこのような狙いがあることは,別の論者によっても指摘されている[橋本:16-19]。「2002年春の商法改正では,企業の不祥事への対応といった観点から改正が行われてきたコーポレートガバナンスのあり方を,企業の国際競争力を高める観点から見直すと同時に,新しいガバナンスシステムを提示しようとしている。」「2002年春の商法改正では,米国における取締役会のあり方に習った新しいコーポレートガバナンスシステムが導入され,従来のガバナンスシステムといずれかを選択できることになる。」「改正商法に盛り込まれる新型ガバナンスシステムは,米国の制度に習うものといわれている。」
この商法改正と関連する問題として以下の点が挙げられている[関岡:121-133]。
アメリカ型の社外取締役制度を日本に導入させる理由として,『外国貿易障壁報告書』2002年版には,日本では「企業幹部が株主より会社への忠誠を優先させることが M&A の申し入れを早い段階で拒絶することにつながるため,こうしたことを減らす」ためと書かれていると言う[関岡:121]。
企業だけでなく企業を監督する官庁もアメリカのコントロール下に置かれそうな気配がある。
「年次改革要望書」は最初の1994年版以来一貫して,日本の公正取引委員会を問題にしてきた。具体的な人数まで指定して,公取委の職員数を増すよう日本政府に要求している。そして現実に,公取委は行革の方針にもかかわらず予算や人員を増やしてきた。また,国税庁並みの捜査権限を与えよとか内部告発者との司法取引などの捜査手段をあたえよ,摘発件数をもっと増やせ,などという注文を出してきている。独占禁止法についても,違反者や捜査妨害者に対する禁固刑の長さや罰金の金額まで具体的に指定して罰則を強化するよう法改正を要求してきている。公取委の所管官庁を総務省から内閣府に移せという要求もしてきて,これは2003年 4 月の法改正によってアメリカの要求通り実現している。
アメリカが規制緩和の原則に反して公取委の権限強化を迫る理由は次のようなものであると言う。
1988年 5 月に日本の建設市場の開放に関して日米が合意した。ところが実際にはアメリカの建設業者が仕事を受注できない。そこで,アメリカは受注業者を決める日本政府のやり方(指名競争入札制度)に問題があると考え始めた。そして,マスメディアを使って日本の公共事業の入札制度を「不透明で不公正」と非難の大キャンペーンを展開し始めた。
(管理人加筆:日本のメディアを支配しているのは在日米軍基地赤坂プレスセンター)
日本政府はアメリカなどからの非難にたえかねて,1994年 1 月「公共事業の入札・契約手続の改善に関する行動計画」を発表した。建設省は,日本の公共事業に透明性・客観性・競争性をもたらすことができると表明した。この結果,「指名競争入札制度」は談合と批判されて崩壊した。
「年次改革要望書」でアメリカは毎年,通信,郵政,電力,ガスといった公益事業分野での,新規参入者(たとえばアメリカ企業)への排他的行為の取締りを強化せよと要求してきている。アメリカが日本政府に圧力をかけて公正取引委員会の所管官庁を総務省から内閣府へ変更させた理由は,総務省は郵政などを管轄しているので,公取委が総務省傘下のままでは中立的に動くかどうか疑わしいとアメリカが考えたということだったと言う[関岡:133]。

●中川昭一、日本の真の独立の為に玉砕した男




















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ainiti
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