さくら子

日本(ひのもと) さくら子です。 国難を乗り越え、美しい日本を取り戻す「モデル都市建設」に挑戦中です(*^_^*)v (アメブロでアカウント削除(BAN)によりこちらにお引越ししました(^-^)♪ )

カテゴリ:◆愛情主義~日本、大好き > 教育、家庭、女性の聖職

(過去の日記を転載します)
青空 05

蒼い空を見ると想い出すことがある。
幼い頃から 運動神経は悪くはなかったにもかかわらず球技の才能はなかった。
それに未だ不幸にも気付かなかった頃、父や姉がテニスがとても上手だったものだから何も考えずにテニス部に入部した。
人一倍の練習量と本を買って研究したり、あらゆる努力をしたにもかかわらず
いっこうに上手くならない、、、
だから、もっと頑張った。
2年、3年とやっていくうちに、
いくら鈍感な私でも自分に才能のない事にようやく気付いた。

そこで常識的な判断がつく人ならば、もっと自分に合ったものを探して、さっさとやめていくものだ。
無駄な動きは避けたほうがいい。
でも… 私は懲りもせず、その意味の無い事にがむしゃらになって頑張った。

ある日の事…
嘘のようにボールがラケットの芯にスパッ!と当たった!!
無論、たまたま偶然だと思った。
しかしそれは、夢のようだけれど、
どうやら偶然ではない事がその後分かった。

厚く、絶対晴れることのないような重たい雲を突っ切って、
スーッ!と真っ蒼な空へ抜け出た感覚・・・ 
その爽快感は今だに鮮明にこの体が覚えている。
青空 02

中学生の頃の事だけれど、その後社会に出て本番の人生を出発する前に示唆を与えてくれたのかも…。
必ず、神のご計画の中で実を結ぶa

━―━―━―━―━―━―━―━
我欲主義世界が鉛の雲のように人類歴史を覆ってきました。
この光が閉ざされた世界に、一気に朝を迎える事を可能にするのは、
日本の愛情主義精神です。
日本精神が蘇えり、一気に起き上がれば
相手はどんなに大国といっても悪は悪です。
真理の光に暗闇は勝つことができません。
彼らは一気にその勢いを失い、巨大に見えた悪魔は小さくなりやがて消えていきます。


ご感想をお待ちしています。
 ↓
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(再投稿します)
アメリカを牛耳る勢力の悪辣さを指摘していたカダフィ大佐が生前日本に対し

広島、長崎に原爆を落とした米軍を日本に駐在させていることを嘆き

「あなた方はなぜ、自分たちの祖父たちを殺したアメリカと仲良くできるのか。」

と言っておられました。

これは素晴らしい日本の国民性もあるのですが、
アメリカが戦後日本人に仕掛けていた転覆(=工作用語)(国家破壊工作)というのがあります。

 

国際金融資本が人工的に造った「ソ連」の元KGB役員が40年ほど前

ロサンゼルスで行った講義(1983年)です。

----- ----- ざっくり要点(一部) ----- -----

スパイの表の顔は

留学生、外交官、俳優、アーティスト、ジャーナリストなど…です。

スパイが行っている8割以上は、「転覆(国家破壊工作)」です。

■例えば、日本を例に挙げると(2:06-)

以前、日本は閉鎖的な社会でした。(鎖国)

外国船が日本に入港すると、日本の武士は礼儀正しく言います。

    ・・・「失せろ」

もしアメリカのセールスマンが日本の港に行っても

「素晴らしい掃除機を持ってきました。ローンも組める」

と売り込むと

「要らぬ。お帰りなさい。」と言われるでしょう。

もし立ち去らねば、斬ります。

日本文化、思想、伝統、価値観を護る為に

日本を(外国の汚れによって)転覆させるわけにはいかない。

国境が閉鎖されているのです。

そこで… 

最も賢い戦術とは「一切、戦わずして敵国のあらゆる価値観を転覆させること」

です。

(日本人の)頭をポンコツにして敵(米国)を敵と認識できなくさせる迄ね。

「自国の文明や政府よりも敵国の方が良い、望ましい」

と認識させる迄です。

「死ぬよりマシだろう」

これが「転覆」の最終ステージであり、究極目標です。

「銃弾を一発も使わずに敵に勝つ」

これが出来れば(日本の)転覆は成功です。

これが基本的な「転覆」の概念です。

「転覆(国家破壊工作)」の第一段階、それは「堕落」

社会を堕落させるには15~20年かかります。

何故か?

これが一世代を教育するのに要する時間だからです。

勉強、外見、思想、人格を形成するのに要する時間です。

  宗教

  教育

  社会生活

  権力構造

  労働者支配

  法と秩序

…この六つの分野を「転覆」の為に利用する。

具体的にどうしたか?

~~~ 詳しくは動画をご覧くださいm(_ _*)m

【ご参考】対日心理戦戦略計画<暗号名:パネルDジャパン>

日本人への改造計画

「日本は悪い国、アメリカは正義の国だ」

と日本国民を洗脳するのに成功


1951(昭和26)年11月から、トルーマン大統領指令による「パネルDジャパン」という対日心理戦が実施された。
日本のあらゆるメディアを使って、反米感情を抑える事を目的にした、洗脳的情報操作である。

ジョンMアリソン駐日大使を委員長に、映画・テレビ・ラジオ・出版等メディア制作の補助金の名目で約180億円の予算が投入され、PSB(心理戦略評議委員会)がその任務を担当した。


アメリカに憧れ、尊敬している日本人は、まんまと…


出・アメリカしましょう。
日本はアメリカ中国を捨てました


移民なき静かな革命による日本再興!

中等修身教科書 巻四  
第三課 偉大なる自己

中等修身教科書 巻四
自己とは必ずしも自己の身体を以て限るものにあらず。

各自の経験・教育・修養等によりて、自覚の進むに随い、自己の内容も亦拡張されるものなり。

最も小さな自己を有するものは、一身の安逸を貪り、口腹の欲を充たすを以て満足すべきも、苟(いやしく)も教養あるものは、斯かる低級なる自己に止まる能わず
)

少なくとも自己の家族の幸福を希い、

父母兄妹の禍福を以て直ちに自己の禍福と感ずるに至るべし。

是れその自己が家族大に拡張せられたるものにして、換言すれば、

自覚の進歩によりて家族の中に真の自己を発見したるものなり。

 

この自覚が一歩を進める時は、その自己は家族内に止まらずして社会的に拡張せらるべし。

社会には大小広狭種々ありて、各人の自己拡張の範囲にも亦無数の差等あり。

近隣又は一町内の利害を以て直ちに自己の利益となす者あり。

或いは一地方の休戚(きゅうせき:喜びと悲しみ。幸と不幸の意)を以て自己の休戚となす者あり。

或いは国家の盛衰隆替を以て自己の責任となすものあり。

或いは世界人類の幸不幸を以て、一身の幸不幸以上に痛切に感ずるものあり。

これ等はそれぞれその自己が地方大に国家大に及至人類大に

拡張せられたるものにして、身を殺して国家又は人類の為に尽すものは、

国家又は人類の中に真の大なる自己を発見したるものなり。

 

之を時間の上より見るも、低級の人は僅かに眼前の快苦を思うのみなれども

教育ある者は過去を回想し未来を翹望(ぎょうぼう: 《「翹」は挙げる意》首を長くのばして待ち望むこと)し、その自己は過去及び未来に迄拡張せらるべし。

かくして遂に現代の社会の幸福を念とするのみならず、

遠く祖先の偉業を思い、遥かに後世子孫の幸福を願うに至るべし。

この境に至る時は、その人は宇宙大にして且つ永遠的なる自己を発見したるものにして、

真に偉大なる人格というべし。

苟(いやしく)も志を立つる者は、眇小(びようしよう:小さい)なる一身の利害に拘泥(こうでい:こだわる)せず、

一時的の快楽に悩まされず、須(すべか)らく偉大なる人格者たらんことを期すべきなり。









今、統一教会の霊感商法の被害者を救済する為に、政府が法務省などと連携し、電話相談を受け付けているそうですね。

電話はひっきりなしにかかってきているとのことです。

私は引っかかる被害者の側にも、責任があると思うのですね。

地上で詐欺師の人は、死んで霊界(があるとして)に行っても詐欺師です。

我欲に生きた殺人犯も皆、霊界に行けば、誰もが仏様になるなんて、あり得ないでしょう。

仮に、霊界がらみで起こる不思議現象があるとして、

それは悪霊の巧妙な罠の仕掛けだと捉えるようにすべきと思うのですね。


「幸福の科学」もそうですが、多くの宗教の教祖は霊界がらみの神通力、
霊界の作用を根拠として人を集めています。

統一教会も、霊能者(?)が、「先祖の霊ガ~」と言って

壺をボッタクリ価格で売りつけているようです。
霊感商法
集まっている人たちは、教理に納得してというよりも不思議さとびっくりと霊界に対する恐れとが重なって信者となっているように思います。

しかし

霊的なものを判断の根拠としては危険です。

そういうものを信じてしまえば、後は悪霊の思うまま操られるでしょう。 

■コリント人への手紙2  11:15
しかし、驚くには及ばない。サタンも光の天使に擬装するのだから。

と聖書にあるように、

最初は素晴らしく思えたことが途中から悪霊に変わることはいくらでもあります。

とにかく、霊界を主体として物事が動くようになったらおしまいです。

それでことが片付くなら、霊界に行かれたイエスや釈尊は

霊界からどんな事も出来る筈です。

「わたしは、また来る」と約束される必要はありません。

幻や霊言で何かを聞いたり語ったりすると凄い事であるかのように思わるのですが、

それがそもそもの間違いだと思うのですね。
もし霊界があるとするなら、その霊界を神さまは、最高に便利な世界として創造されたでしょう。

それに比べ、地上世界はとても不便ですね。

それでも地上世界でしかできない目的があるのだと確信します。
人間が責任を果たし、愛の人格を完成させる為に、わざわざ不便な地上世界があるのだと!

地上生活は五感生活であり霊感生活ではありません。
人間には耳があり口があります。

これらはあくまでも、人間と人間は音声を媒介として耳で聞いて口で語って

愛を完成させなさい

という神さまのご計画があってのことと思うのです。

この五感の全てを駆使して愛の人格を育み完成すれば
天国で神さまが迎えて下さる
のではないでしょうか。

┃霊界には失敗者しかいない
仮に本物の釈尊が霊界からある人に何かを伝えたとして、

どうしてそれがすごいことでしょうか。

■マタイによる福音書16:19
「あなたが地上でつなぐことは、天でもつながれ、あなたが地上で解くことは天でも解かれるであろう」。

このようにイエスは言われ、天国の鍵を弟子のペテロに預けました。

地上で完成してこそ、霊界の完成があるのであり、その逆ではないんですね。

倫理道徳で四大聖人について学びました。
もしその聖人達が生前目的を成就し、完成して霊界に移動したとすれば

既に地上に理想の世界はできているはずではないでしょうか。

「わたしはまた来る」と言い残して、残念な思いで霊界におられるとすれば、

一体何を霊界に期待すべきなのでしょうか。

地上で生きる私たちは

その聖人たちが成し遂げられなかった使命を託された立場であり、
霊界に依存してはいけないのだと思います。

人間の人間たる所以は

「最終責任は私が背負う」という腹をもって一切誰にも依存せず
自らの責任で人格を完成させることです。

霊的なものに依存し、霊現象に右往左往されたら、その時点で
一度しかない自分の人生を放棄した失敗者だと思うのですね。
霊感商法に騙されない私たちになりたいと思います。







(アメーバブログで削除処分された記事から)
戦後GHQは日本の精神伝統の基である教育を奪いました。
彼らが消し去った不都合な真実を、このシリーズで復活させます。
墨塗り3

国立国会図書館HPより

尋常小學國語讀本 小さなねぢ  1尋常小學國語讀本 巻十二 文部省 1931.6

第十二課 小さなねぢ

尋常小學國語讀本 小さなねぢ  2
暗い箱の中にしまひ込まれてゐた小さな鉄のねぢが、不意にピンセットにはさまれて、明るい処へ出された。ねぢは驚いてあたりを見廻したが、いろいろの物音、いろいろの物の形がごたごたと耳にはいり目にはいるばかりで、何が何やらさつぱりわからなかつた。 

しかしだんだん落着いて見ると、此処は時計屋の店であることがわかった。自分の置かれたのは、仕事台の上に乗つてゐる小さなふたガラスの中で、そばには小さな心棒や歯車やぜんまいなどが並んでゐる。きりやねぢ廻しやピンセットや小さな槌やさまざまの道具も、同じ台の上に横たはつてゐる。周囲の壁やガラス戸棚には、いろいろな時計がたくさん並んでゐる。かちかちと気ぜはしいのは置時計で、かつたりかつたりと大やうなのは柱時計である。 
尋常小學國語讀本 小さなねぢ  3

ねぢは、これ等の道具や時計をあれこれと見比べて、あれは何の役に立つのであらう、これはどんな処に置かれるのであらうなどと考へてゐる中に、ふと自分の身の上に考へ及んだ。 

「自分は何といふ小さい情ない者であらう。あのいろいろの道具、たくさんの時計、形の大きさもそれぞれ違つてはゐるが、どれを見ても自分よりは大きく、自分よりはえらさうである。一かどの役目を勤めて世間の役に立つのに、どれもこれも不足は無ささうである。唯自分だけが此のやうに小さくて、何の役にも立ちさうにない。何といふ情ない身の上であらう。」 

不意にばたばたと音がして、小さな子どもが二人奥からかけ出して来た。男の子と女の子である。二人は其処らを見廻してゐたが、男の子はやがて仕事臺の上の物をあれこれといぢり始めた。女の子は唯じつと見まもつてゐたが、やがてかの小さなねぢを見付けて、

「まあ、かはいゝねぢ。」

男の子は指先でそれをつままうとしたが、余り小さいのでつまめなかつた。二度、三度。やつとつまんだと思ふと直に落としてしまつた。子どもは思はず顔を見合はせ。ねぢは仕事台の脚の陰にころがつた。

 尋常小學國語讀本 小さなねぢ  4

此の時大きなせきばらひが聞えて、父の時計師がはいつて来た。時計師は、

「此処で遊んではいけない。」

といひながら仕事台の上を見て、出して置いたねぢの無いのに氣が附いた。

「ねぢが無い。誰だ、仕事台の上をかき廻したのは。あゝいふねぢはもう無くなつて、あれ一つしか無いのだ。あれが無いと町長さんの懐中時計が直せない。探せ、探せ。」
ねぢは之を聞いて、飛上るやうにうれしかつた。それでは自分のやうな小さな者でも役に立つことがあるのかしらと、夢中になつて喜んだが、此のやうな処にころげ落ちてしまつて、若し見附からなかつたらと、それが又心配になつて来た。

親子は総掛かりで探し始めた。ねぢは「此処に居ます。」と叫びたくてたまらないが、口がきけない。三人はさんざん探し廻つて見付からないのでがつかりした。ねぢもがっかりした。

尋常小學國語讀本 小さなねぢ  5
其の時、今まで雲の中に居た太陽が顔を出したので、日光が店一ぱいにさし込んで来た。するとねぢが其の光線を受けてぴかりと光つた。仕事臺のそばに、ふさぎこんで下を見つめてゐた女の子がそれを見付けて、思はず「あら。」と叫んだ。
父も喜んだ、子どもも喜んだ。しかも一番喜んだのはねぢであつた。
時計師は早速ピンセットでねぢをはさみ上げて、大事さうにもとのふたガラスの中へ入れた。さうして一つの懐中時計を出してそれをいぢつてゐたが、やがてピンセットでねぢをはさんで機械の穴にさし込み、小さなねぢ廻しでしつかりとしめた。

龍頭を廻すと、今まで死んだやうになつてゐた懐中時計が、忽ち愉快さうにかちかちと音を立て始めた。ねぢは、自分が此処に位置を占めたために、此の時計全体が再び活動することが出来たのだと思ふと、うれしくてうれしくてたまらなかつた。時計師は仕上げた時計をちよつと耳に当ててから、ガラス戸棚の中につり下げた。

尋常小學國語讀本 小さなねぢ  6
一日おいて町長さんが来た。
「時計は直りましたか。」
「直りました。ねぢが一本いたんでゐましたから、取りかへて置きました。工合の悪いのは其の為でした。」
といつて渡した。ねぢは、
「自分もほんたうに役に立つてゐるのだ。」
と心から満足した。
(おわり)
人格大国 01


目指せ!教育大国日本

バターン死の行進の責任を問われて処刑された本間雅晴陸軍中将夫人富士子さんについて
フェイスブック友達の永井 とさんの投稿より転載します。 ◆本間中将の銃殺刑は、マッカーサーの復讐の為に、ちょうど四年前、本間の口より総攻撃の命令が下された同じ月日、同じ時刻にあわせて執行された。 本間雅晴陸軍中将02
◆マニラ軍事法廷の最終日の最後に、本間雅晴陸軍中将の夫人である本間富士子(当時、四十二歳)が弁護側証人として証人席に立った。 本間雅晴陸軍中将夫人富士子01 「私は東京からここへ参りました。
私は今も本間雅晴の妻であることを誇りに思っております。 私には娘がひとりおります。いつの日か、娘が私の夫、本間雅晴のような男性とめぐり会い、結婚することを、心から願っております。 本間雅晴とはそのような人でございます。 本間は、小さなことでも逃げ口上を言う男ではございません。 彼は心の広い人で、細かいことにこだわりません。 また彼は平和的な雰囲気を創り出し、その中で過ごすことを好みます。 彼の行為はすべて、このような姿勢に基づいているのです。 たとえば、外で嫌なことがあっても、彼は、けっして家に持ち込んだことはありません。常に微笑を浮かべて帰宅しました。 本間はそのような性格の人です。 彼の趣味の第一は、読書でございます。古今東西の書物を読みます。また詩作もいたします」
彼女は、マニラの気候に合わせ、夏向きの和服姿で、終始、理知的な表情を崩すことなく毅然とした姿勢で証言をした。
◆この言葉が通訳によって伝えられると、法廷のあちらこちらからすすり泣きの声があがり、米軍検察官の中にも感動のあまり涙をぬぐう者がいた。
そして本間中将自身も、妻の自分に対する絶対的な尊敬と愛の言葉に接し、ハンカチを顔にあて嗚咽していた。
当時の法廷の様子を描いた諸記録が伝えるところである。
◆終戦直後のマニラは、日本人とみれば罵声が浴びせられ、石が飛んでくるほど、反日感情が充満していた。
しかし、夫人の証言を聞いたフィリピン人たちまでもが、証言を終えた彼女に争って握手を求めた。
翌日のマニラ・タイムスをはじめとする地元紙も、彼女に対する好意に満ちた記事をこぞって掲載した。
◆《夫人が東京からマニラへ出発する時の新聞記事》
◎「本間がどういう人間であるか、真実の本間を全世界の人々に一人でも多く知っていただきたいのです…裁判の結果などは念頭にありません」
◎「私の責任の重大さは十分認識しています。
日本の家庭婦人としての面目を少しでも傷つけるようなことがあったら日本の皆様に本当に申し訳ないことだと思います。
日本の女として初めて世界の視線に立つだけの覚悟は十分致して参るつもりでおります」                     
彼女は、夫の命乞いではなく、“日本の誇り”を決然と示すため、マニラに行った。
◆夫人は、帰国する直前の夜、夫と最後の面会を行った。
時間は三十分と制限されたが、監視役の米憲兵大尉はわざと酒に酔い、二時間後に帰ってきた。
夫妻のために時間を作ったのである。
本間を身近に接した米軍人は、いずれも彼に敬愛の念を持つようになっていた。 本間雅晴陸軍中将03
◆今 日出海(こん ひでみ、明治36年生。初代文化庁長官)は、
帰国直前に本問と面会した際、本間が収容されていた房に、警備のMPが自分の小遣いで買って差し入れたチョコレートの缶の山を見ている。
また、MPが「あんな立派な人に接して名誉だ」と語ったことも記している。
◆この裁判がどういったものかよく現しているのが、
昭和20年12月18日の起訴状を読み上げるに先立ち、
首席検察官フランク・E・ミーク米陸軍中佐が裁判官たちに向かって、
この訴訟手続きは厳密に法律的なものではないことになっていると通告した。
そして、マッカーサーの定めた裁判規定の一節を読み上げ、裁判官に注意を促している。
つまるところ、マッカーサーは、裁判の判決が気に入らなければ、その決定をほとんど完全に無視することができるというわけである。
「マッカーサーの復讐」として、結果は決まっていると言っているのである。
◆最終弁論にたった本間の弁護人スキーン少佐は、
最後に凄まじい警告を持ってその弁論を締めくくっている。
『我々弁護人全員は、本間将軍の誠実さと高潔さを完全に信ずるにいたり、彼の代理人たることを誇りとするものであります。
(中略)
もし彼の生命が奪われるようなことになるならば、世界は、平和の維持に多大の功績をなし得る一人の人物を失うことになるのであります』。
◆紀元節の2月11日に、判決が下され、
処刑は、4月3日午前0時53分。
ちょうど4年前に第14軍司令官であった本間の口より総攻撃の命令が下された同じ月日、同じ時刻にあわせて執行された。
この日にち合わせは、マッカーサーの復讐心を物語っている。
史上最年少の米国陸軍参謀総長を務め、フィリピンを第二の故郷と呼ぶマッカーサーにとり、バターン半島で傷つけられた誇りへの復讐の念が深くこもっていた。
のちに連合軍総司令官として厚木に乗り込んだマッカーサーの使用機は「バターン号」と名付けられていた。
本間中将を裁く5人の裁判官は、いずれもバターン半島で日本軍に白旗を揚げた将校だったことでも、裁判という名前の復讐劇だった事がよくわかる。
◆東京に進駐してきたマッカーサーは、判決後の3月11日に、弁護人ファーネスト大尉とともに尋ねてきた富士子と会い下記のような会話をしている。
「あなたが最後の判決をなさるそうですが、そのときは裁判記録をよくお読みになって、慎重にしていただきたい」
「私の任務について、あなたが御心配なさる必要はありません」
「夫の裁判に関する全記録をいただきたい」
「よろしい、コピーをとってあげましょう。生活に不自由なことがあれば、なんでも援助したい」
「お気持ちだけで結構です」
富士子夫人は、夫である本間中将の助命を嘆願にいったのではない。
裁判記録をきちんと読めば「りっぱな軍人である」死刑になる理由などないと確信していた。
後日、富士子夫人はこの日マッカーサーと会ったことについて、
「本間家の子孫に、本間雅晴はなぜ戦犯として軍事法廷に立ったかを正確に知らせるため、裁判記録がほしかったのです。
あれを読めば雅晴に罪のないことがわかり、子孫は決して肩身の狭い思いなどしないはず、と思いましたので」
と語っている。
◆マニラに連行されて以来3か月の間に、本間は待遇のせいもあろうが、
別人のように痩せ衰え、やつれ果てていたが、
4月2日の日没時、カンルバンの収容所から、刑場ロス・バニョスに運ばれた時の本間は、日本の将軍としての威厳をとりもどしていたという。
刑執行の前、彼はビールと、ビフテキとサンドイッチを要求し、さらにコーヒーを注文した。
そしてトイレに行き、「ビールとコーヒーだけはアメリカに返した」と笑ったという。
「目隠しはいらない」と本間は言ったが、強引にかぶせられた。
黒い袋をかぶせられたまま、「天皇陛下万歳、大日本帝国万歳」と三唱し、日本の方角へ向かって最敬礼をした。
本間の心臓部には4インチの白い標的がつけられた。
この時米軍の軍医は、本間の心臓が、平常通りの速度で鼓動していることを知って驚いたという。
◆《辞世の句》
「戦友眠る バタンの山を眺めつつ マニラの土となるもまたよ志」
「栄えゆく 御國の末疑わず こころゆたかに宿ゆるわれはも」
「予てより 捧げし命いまここに 死所を得たりと微笑みてゆく」
享年58歳。
本間雅晴陸軍中将
本間中将の長女尚子さんの悲願であった将軍の慰霊碑が、将軍終焉の地であるロス・バニョスの刑場跡に建立され、鎮魂の旅が、昭和49年3月24日から27日まで当時第14軍の参謀であった6名の方を招待し行われた。
※「酒たまねぎや」さんのHPから抜粋、追加。
《参考及び引用文献》
◎「正論」平成十七年七月号に掲載された米田健三帝京平成大学教授の「米軍検察官が泣いた 凛とした本間雅晴中将夫人の『戦犯』法廷証言」
◎「将軍の裁判」ローレンス・テイラー著 立風書房 昭和五十七年刊
◎「南十字星に抱かれて」福富健一著 講談社 平成十七年刊
----- ----- ご参考 ----- ----
●「バターン半島死の行進」での司令官・本間雅晴中将は、マニラ裁判で死刑になっている。でもこの行進はトラックがなかったからで、日本兵だって歩いていた。決して捕虜を殺すために歩かせたわけではない。

●ここで重要なのは、フィリピン戦でマッカーサー軍は本間軍に破れており、マッカーサーは命からがらオーストラリアに逃げている。これは「復讐」である。
     《渡部昇一 「自ら国を潰すのか」》
   渡部昇一(他著書「決定版人物日本史」)


●自分たちでさえろくに食べられないでいた日本軍に、いきなりその統制下に入った8万の捕虜に十分な食糧を与えられる余裕があるはずはないし、ましてこれだけの人数を運ぶトラックやガソリンも持っていなかった。食うや食わずでひたすら歩くのが日本軍の常であったため、これを虐待だとは思わなかった。
      《若槻泰雄 「日本の戦争責任」》
    (他著書「『在中二世』が見た日中戦争」)


●敵の大将マッカーサーはさっさと逃げ出し、残った7万将兵も殆ど消耗なしで手を上げた。そんな大人数を運ぶトラックなんて持ち合わせがあるでなし。で、彼らを歩かせた。1泊2日で80キロの行程だ。
西村知美だって日テレの「24時間100キロマラソン」を走っている。大の米兵がそうしんどがる距離ではないと思う。

●笹幸恵女史が「バターン死の行進」を歩いてみた。「風邪気味でも歩けた」と文芸春秋で書いている。
バターンでは休息もなかった、休めば日本兵が銃把で殴りつけた、彼らは疲労で倒れた捕虜を容赦なく殺した、という。日本軍はそんな振る舞いはしないし、だいたい80キロを徹夜で歩いたわけでもない。一泊している。そんなゆるい死の行進があるだろうか。

●そう呼べるのは、例えばチェロキー・インディアン1万5千人をジョージアからオクラホマまで2千キロを歩かせたケースくらいではなかろうか。
冬をまたぐ半年の過酷な旅で、死者は8千人を数えた。米国ではこれを「Trail of Tears」(涙の旅路)と呼ぶ。 
       《高山正之 週刊新潮2008/7/3》


●『大東亞戦争 陸軍報道班手記-バタアンコレヒドール攻略戦』(→焚書)の中で、「バタアン半島總攻撃従軍記」と題する長い文章を書いているのは作家の火野葦平である。彼はその中で敵の食糧不足を指摘している。これはいったいどういうことなのか…

●日本軍はバターン半島を北の方から南に向かって攻めていく。大量の敵がバターン半島の尖端にあるコレヒドール島の方へ逃げていき、そこにたてこもったからである。
アメリカ軍とフィリピン軍は雪隠詰めのような格好でコレヒドールに追い込まれてしまう。その数は両軍合わせて8万3千。そこに、なんと2万6千もの難民、民間のフィリピン人も逃げ込んだ。だからたちまち食糧問題が深刻になってしまったのである。

●米国の「オレンジ計画」(対日戦争計画=管理者注)では、もし日本と戦争になったら、フィリピンは必ず日本軍の攻撃を受けるに違いない。そのときは首都マニラを捨てて、バターン半島に立てこもって迎え撃つ、コレヒドールの要塞は難攻不落だ。それがこの計画の考え方だった。

●昭和16年12月8日、ハワイが日本軍の攻撃を受ける。そのニュースをマニラで耳にしたマッカーサーは、「どうせアメリカの大勝利に決まっている。ジャップはさんざんな目に遭っているはずだ」といって知らん顔をしていたという。
副官がしきりに、フィリピンからB17の編隊を飛ばして台湾を攻撃するように具申するが、マッカーサーはそうしない。そのうち、台湾を飛び立った日本軍の大編隊がやってきて、米軍の飛行機はみな叩き潰され、飛行場も使いものにならなくなってしまった。

●マッカーサーは「オレンジ計画」通りに行動する、と宣言している。つまり、主力部隊をバターン半島に撤退させ、難攻不落のコレヒドールに立てこもる。当然、食糧が大きな問題になるはずだが、どうも米軍にはその用意がなかったようである。
…「死の行進」の前提になった飢えは、米軍の戦略の間違いにあるのではないのか。

●そうした流れの中で、日本軍は4月9日にバターン半島を完全攻略、米極東軍司令官ウェーンライト中将は無条件降伏を申し出てくる。マッカーサーは戦局不利と見た3月中旬、コレヒドールから魚雷艇を利用してミンダナオ島へ逃げてしまった。さらにそこから飛行機でオーストラリアへ逃走している。
“I shall return”という有名な言葉を残しているが、ともかくも将軍が真っ先に逃げ出してしまったのである。フィリピンのケソン大統領も一緒に逃げている。

●そのあといわゆる「バターン死の行進」になる。半島の南端にあるマリベレスから後方のサンフェルナンドまでの112キロを米比軍の捕虜に歩かせたら、2千人以上の死者が出たという出来事である。

●しかし考えてみるに、前年12月のマニラ陥落から4月11日の降伏までの間に、長い期間がある。この間、米比軍は食糧不足にあえいでいたのだから、わずか100キロ余り行進させられただけで倒れてしまったのは、基本的にはコレヒドールの要塞に立てこもるという「オレンジ計画」にのっとった作戦の失敗、というべきではないだろうか。アメリカ軍が食糧不足で体力を失っていたのだから。

●また、飢えとマラリアで苦しんでいる傷病兵を歩かせたために2千3百余人の兵が死んだ、ということになっているが、その最大の原因は、日本軍・米比軍ともに死闘を演じて体力を消耗しきっていた直後のためだと思う。
     《西尾幹二 「GHQ焚書図書開封2」》



●第14軍参謀長・和知鷹二中将は戦後次のように述懐している。
水筒一つの捕虜に比べ、護送役の日本兵は背嚢を背負い銃をかついで一緒に歩いた。できればトラックで輸送すべきであったろう。しかし次期作戦のコレヒドール島後略準備にもトラックは事欠く実情だったのである。決して彼らを虐待したのではない。もしこれを死の行進とするならば、同じく死の行進をした護送役の日本兵にその苦労の思い出話を聞くがいい》 (産経新聞 平成9年4月6日付)

●地元フィリピン人から聞かされた話によると、日本軍は「バターン死の行進」の終着点といわれるサンフェルナンドからカパスまで捕虜を汽車で護送しており、捕虜達を虐待するために故意に歩かせたのではなかったというのだ。

《井上和彦 「日本が戦ってくれて感謝しています アジアが賞賛する日本とあの戦争」》


●「バターン死の行進」…米側は「日本軍は歩けない者を殴り殺した」「差し入れする原住民を射殺した」と罪状を述べるが、日本側の記録は違う。
「炊き出しして捕虜に食わせた」「米兵が煙草をくれた」と、増田弘『マッカーサー』にある。
      《高山正之 週刊新潮2009/10/15》


●アメリカは、インディアンを強制移住させたときも、徒歩行進させて万単位の死者を出しているにもかかわらず、それは“トレイル・オブ・ティアーズ”だという。「涙の旅路」だと。

●第二次大戦で自分たちが日本軍に敗れてバターン半島を捕虜として歩かされたら、それは“デス・マーチ”だという。あちらは「涙の旅路」で、こちらは「死の行進」だとは、逆じゃないかと言いたい。インディアンを、女子供まで含めてジョージアからアリゾナまで雪の降る冬をまたいで、千何百キロ歩かせた。こっちはその何十分の一なのに。
  《高山正之 「日本はどれほどいい国か」》


昭和の日、おめでとうございます。
1歳当時の迪宮裕仁親王
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「皇室は日本の宝」 井上寛康より 昭和天皇は生まれながらにして天皇であられた。 私心というものがなく、いつも我が国の繁栄と国民の安寧を御心にかけておられた御方である。 台風や地震で災害を蒙った県知事などが上京すると必ず皇居に呼び、被害の状況や復興の様子をお訊ねになった。 大東亜戦争で戦死した兵士やその遺族に対する敬意を忘れず、靖国神社親拝の御意向を隠れになるまで持ち続けられた。 戦後、御自ら全国巡幸を発表された。 「一日も早く全国をまわり、一人でも多くの人と語り、すこしでも広く歩いて、なぐさめたりはげましたりしていきたい。日本の復興は一重に国民の力によるものだから、一人一人によくたのんでこなければならない」と仰せになって、昭和二十一年二月からお始めになられた。 適当な宿泊所がなければ校舎や客車に御休みになった。 陛下は沿道の人々の歓迎に応えるため御召列車の中で殆んど立ち続けておられた。 陛下は人が見ていても見ていなくても真心をもって国民に接せられた。 大好きな相撲も国民がこの時間は働いているからと仰って、五時を過ぎなければ決してテレビをおつけにならなかった。 このような御方であったから、大東亜戦争終戦のとき陛下の御命令一つで過激将校は矛を収め、陛下を裏切る重臣は一人もいなかった。 マッカーサー連合国総司令官も一度の会見で昭和天皇に敬服した。 我が国の天皇は、威厳と徳をもって立つ君主である。 他国の君主は人民の中から武力で上がり詰めたので、わが身を国民から守るために堅固な城に住んだ。 それに比べ京都に残る御所は無防備な宮殿に過ぎない。 現在まで125代連続と続く万世一系の皇室は国の始まりから君主であり、武力に依らず威厳によって皇統が維持されてきた。 絶大な権力を掌握した武将たちも決して天皇に取って代わろうとはしなかった。 天皇を国の中心に戴く我が国は、中国大陸における王朝の交替時のように人口が何分の一にも激減するような凄惨な闘争は生じなかった。 世界に類のない穏やかな君民一体の統治体制を造り上げて来たのである。 明治天皇、大正天皇、昭和天皇そして今上天皇が第一に御心に掛けておられることは皇祖皇宗への真剣な祈りである。 元旦の四方拝から始まって年に二十数回の祭祀を自らなさる。 天皇陛下は籾を播き、苗を植え、刈り取った稲を皇祖皇宗にお供えなさり、皇后陛下は蚕を御手ずから育てて神々に捧げ、国民を代表して国の繁栄をお祈りされている。 伊勢の内宮の御祭神である皇祖天照大神は天皇家の御祖先であるが、国民もまた伊勢の神宮にお参りする。 国民が君主の御祖先にお参りすることなど、外国にはない。 君民一体となって国の祖先をお祭りし国の安全と平和で豊かな暮らしを祈って来た。 これが我が国の国体である。 今上陛下は神々への祈りや英霊の鎮魂に取り分け熱心であられる。 遥か神代の時代から受け継いで来た豊で幸せなこの国を、子々孫々に伝えたいと切に願っておられるからではなかろうか。 昭和天皇古希の御製  よろこびもかなしみも    民と共にして年はすぎゆき      いまはななそぢ このような天皇を持つわが国は幸せである。
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ご行幸、広島s
ご行幸福井
昭和天皇の戦い 加瀬英明 昭和天皇皇后のスリッパ02
01 戦後広島へご行幸
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 歌会始昭和21











今日は主権回復の日。 世界平和の基本は親子の絆です。 親子の絆は宇宙の根幹です。 知情意の中で「情(愛)」の完成こそが人生の目的であり、存在そのものの本質です。 世界を一つにする最大の武器です。 愛を中心とした親子の絆こそが世界の機軸です。 宇宙の基本は家庭に帰結します。 家庭こそが世界平和実現への第一歩です。
日本の精神伝統に息づいている愛情主義こそが真に世界を一つにできます。

今から145年前の1877年(明治10年)に東京大学の教授としてエドワード・S・モースが来日し、日本の印象を認めました。
----- -----以下「日本その日その日」E・S・モース著 より----- -----
子供はうるさく叱られることもなく大切に育てられた。 日本の子供程、行儀がよくて親切な子供はいない。 また、日本人の母親程、辛抱強く、愛情に富み、子供につくす母親はいない。 他のどこの国の子供達よりも多くの自由を持っていた。 世界中で両親を敬愛し老年者を尊敬すること日本の子供に如くものはない。
日本女性 01s
貧しい家も清潔で品があるし、 下流に属する労働者も正直、節倹、清潔だ。 最も貧しい寒村の子供は不潔だったが、野獣性も悪性も、また憔悴した絶望の表情もなかった。 子供たちは大事にされ物優しく育てられている。 こども1
こども4
江戸近郊の農家 日本人の家は開放的で鍵をかけない、日本人の子供や召使いは触ってならぬ物には決して手を触れぬ。 部屋に子供や召使いが何度出入りしても物がなくならない。 泥棒や乞食が少ない。
日本女性 07
日本の町の街々をさまよい歩いた第一印象は、いつまでも消え失せぬであろう。
――不思議な建築、最も清潔な陳列箱に似たのが多い見馴れぬ開け放した店、店員たちの礼譲、いろいろなこまかい物品の新奇さ、人々の立てる奇妙な物音、空気を充たす杉と茶の香。我々にとって珍しからぬ物とては、足の下の大地と、暖かい輝かしい陽光と位であった。
外国人撮影 京都祇園 24
この地球の表面に棲息する文明人で、日本人ほど自然のあらゆる形況を愛する国民はいない。
嵐、凪、霧、雨、雪、花、季節による色彩の移り変わり、穏やかな河、とどろく滝、飛ぶ鳥、跳ねる魚、そそり立つ峰、深い渓谷。
自然のすべての形相は、単に嘆美されるのみでなく、数知れぬ写生図や掛け物に描かれるのである。
諏訪湖近くの千枚田 Fasari撮影
富士山頂から見る夕日H・G・ポンティング 撮影
日本人は行儀がよく働き者で正直で、親切で微笑みを絶やさない。 日本人は生れながらに善徳や品性を持っている。
呉服屋
日本人の暮らしぶりは見栄を張ることが全くない。 生活道具は少なく簡素だが洗練されている。 質素 01白黒
火事の災難にあっても涙を流す人も、いらだった様子の人も見ることはなく、意地の悪い言葉も一切聞かなかった。 そして持ち出した畳や襖をたて、その中で小さな火で魚を焼いたり汁を作ったりして彼らは普段通り幸福そうに見えた。 明治時代の写真家、玉村康三郎撮影 17 日本人はある神秘的な方法で、彼等の廃棄物や屑物を、目につかぬように埋めたり焼いたり利用したりする。 いずれにしても卵の殻、お茶のカス、その他すべての家の屑は、綺麗にどこかへ持って行ってしまうので、どこにも見えぬ。 質素 02白黒
東海道戸塚保土ヶ谷・間の焼餅坂Beato撮影
日本人の繊美な装飾芸術を見た後では、日本人が世界中で最も深く自然を愛し、そして最大な芸術家であるかのように思われる。
中島川風景 Beato撮影
衣服の簡素、 家庭の整理、 周囲の清潔、 簡素で魅力に富む芸術、 礼儀正しさ、 他人に対する思いやり、 自然に対する愛 これ等は恵まれた富裕な階級の人々ばかりでなく、 最も貧しい人々も持っている特質である。 質素 03
原町田Beato 撮影
花火大会でごったがえす隅田川の船頭たちは、
長い竿で舟を避け合ったり、助け合ったりして、怒声や罵声もなくただただ「ありがとう」「ごめんなさい」と優雅で温厚にふるまう。
わが米国なら大変だ。
舟 01
morsu1
外国人撮影 13
『この国のあらゆるものは、日ならずして消え失せてしまうだろう』 ヒュースケンの日記 

モースは西洋の近代化がもたらす弊害を案じていました。
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そして一気に現代の日本に飛びます。
そろそろ長い冬眠から醒めなければ。
(以前も文字おこしした動画ですが織坂濠さんがまとめて下さったのをシェアします)

30年間ワシントンに在住して国際政治を分析している伊藤貫氏の見解は、下記のとおりです。
米国は、建国以来、きれいごとは言うが、本質は覇権主義国家。世界を「一極支配したい」と考えており、「米国はヨーロッパと中東と東アジアを支配する」というのが基本。
米国の Defence Planing Guidance は、 「中国やロシアなど米国に対抗できるかもしれない国を封じ込める」「日本とドイツを独立国にさせない」「日本とドイツには核を持たせない」と決めている。
米国は、日本政府のことを心底バカにしており、間抜けな日本人は操ればいいと思っている。米国担当官も、日本の危機意識の薄さに呆れ果てている。 日本人は「せこくてバカ」と思われている。
米国と中国は数十年後のことを考えながら、世界戦略を立案し実行に移しているが、先の日本の官邸も、日本の省庁も、日本の経済界も、数年後までのカネ儲けしか考えていない。
米国は、日本の自主防衛能力を強化させるつもりがないから、自衛隊を米軍の下に組み込んで、「自衛できない自衛隊にする」作戦を着々と実行している。 ところが、その危険を日本はわかっていない。
日本に対する米国の基本方針は、 ①日本から自主防衛能力を奪い ②日本には核を持たせない という2本柱。 この米国のやり方が、どれだけ危険なものであるかを、日本は理解していない。
米国は、核を持っている中国やロシア、そして北朝鮮に対してすら、日本のために戦う意思はない。 米国本土に核ミサイルを発射できる能力を持っている国とは絶対に戦わない。
2030年代には、中国の実力が強大になる一方で、米国の経済や社会は脆弱化する。 そうなると、米国は、ヨーロッパ・中東・東アジアの3地域を支配する力が十分ではなくなるので、東アジアの覇権を中国に明け渡す可能性がある。 そうなれば、日本の立場はいよいよ危うくなる。
自民党政権は、米国の傀儡政権にすぎない。 米国の国務省やCIAやペンタゴンから何か言われたら、そのままやるだけ。 親米の保守言論人は「米国の属国でよい」と本音では思っており、本気で自主防衛して独立したいとは思っていない。 勇ましいことを公言していても、米国の前に出ると何も言えない。
----- ----- 引用おわり ----- -----
今日は主権回復の日。本当の日本を取り戻しましょう。
かつて日本は邪悪な我欲世界に対し、 特攻隊は極限の愛である完全捨て身の精神を、説得の材料としました。 強情極まりない悪魔への説得に究極の犠牲精神を以て彼等の邪心に挑んだのです。 ・アイヴァン・モリス(フランスの日本史家) 「神風特攻隊達の心の中には敵への憎悪、復讐心は殆ど無かった。 彼等は、外国がもたらす汚れから日本の清らかな土地を護るため また家族を防衛する為生命を捧げる義務があると、遺書に書き遺している。 彼等の遺書からは、敵兵に対する憎悪や西洋人への人種的敵意が出てこない。 寧ろ、誕生してからこれまでに与えられた数々の恩に報いなければという、責任感や「報恩」の決意が前面に顕れている。」
東洋には素晴らしい国がある。それは日本だs







次世代の未来が、日本の未来です。 その日本の若い人達の死因で、毎年多いのが「自殺」です。
若年層死因 自殺1
「日本は縄文時代から『家庭』を単位として愛の秩序が軸にあった。 日本は縄文時代から『家族』『家庭』を単位として生きてきた」と田中英道先生が以前言われていました。 親の愛を中心にして見たとき
どの子供もみんな、かけがえのない最高の存在であり
順調に行かない子や、或いは親に背を向けたとしてもその価値が変わることはありません。 そうであれば尚更、とりわけ母から見れば不憫であり、耐え難く、 何とかしなければと心はそちらに向かうようになります。
その意味では心の投入度が高くなり
他の手のかからない「良い子」より、手のかかる子のほうに
もっと価値が高いかのように作用します。
子供は、親を成長させるために神さまから与えられています。
つまりはじめから完璧な親はおらず
子供を育てる事を通して、愛の完成を目指します。
ですから我が子が不幸であれば、親は自分を責めます。
特に母親は
「もっとこうしてやれば良かった…」「私が足りなかった…」と
生涯自分を責め、その子を心配しながら亡くなるでしょう。
その親と子の心が通じ合えるのは
子供が自分も親となって、我が子の為に涙し心を砕きひたむきに愛し続けるなかで、
親の愛の深さや苦労に氣付かされ、感謝が込み上げてきた時でしょう。
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水は高いところから低い方へ流れます。 水源地と同じ高さになった時、水は合流でき、流れは止まります。 その親子が愛において一つとなるその日まで、生き抜いて欲しい。
家庭の日常が、そのまま国家戦略どころか世界戦略歴史戦略に直結


夫が先日の5日に永眠いたしました。
長い闘病生活を、夫婦二人で闘っていました。
数日前「暖かくなったら、車椅子で桜見に行こうね」と励ましたら小さく頷いていましたのに…
親戚の幼い子供が、霊界へ見送るのに火葬する事を嫌がりました。
青虫が蛹になった時「僕は断固、この殻を脱ぎ捨てないぞ。(蝶々にはならないぞ!)」
と駄々をこねるのと似ています。

これは、即ち『地上人生の目的は何か?』
という問いかけに繋がります。

人生には三つの重大局面があります。
誕生結婚昇誕です。
・誕生は自己確立を目指しての出発点であり、
・結婚は愛の人格の完成を目指す出発点であり、
・昇誕は周囲から敬慕が返ってくる人生の集大成を意味します。

●胎内に居る胎児の目的は
誕生して地上生活を過ごす為の準備を完全に整えることにあります。
次に
●誕生から地上人生が始まります。
・まず、21歳迄に人間は『真理』を正確に知りその真理に副って自己確立を目指します。
・次に、立派な大人になった男女が、結婚して『愛情』の完成に挑戦します。
●そうして高齢になり一線を退きます。
地面に落ちた枯れ葉が肥沃な大地となって、花や実の栄養となるように
自分が生涯培った全人格とノウハウ…持てる全てを次世代に注ぎます。
若者達が結実する頃には自分はもうこの世には居ないけれど、
その苦労の全ては子々孫々に結実して永遠に発展し続けると確信します。
死ぬときには、肉体はもう必要ではありません。

こうして愛の人格を磨き
人は誰しも必ず、人生の卒業式を迎えます。
霊界に持って行ける朽ちない財産は、魂に刻み込まれた愛と真理だけです。
完全な神さまの喜びの対象になるところに人生の目的があります。
そのように生きた人達が死後行く、永遠の世界が『天国』です。

先日は、夫の人生の卒業式でした。
多くの人は死を「ご不幸」と呼びますが、私は明るく見送りたいと努めました。

人の道から逸れない限りにおいて
魂は歳を重ねるに連れて輝きを増し、
若さに溢れ、威厳を持ち、喜びを分かち合う感動がその深さを増します。
人生は霊界に向けて常に発展し続けます。

人生の究極の目的は、如何に死ぬかであり、
霊界こそが本当の世界です。
如何に死ぬかは、如何に生きたかで決定します。
残された私たち家族も、死に際して堂々たる、豊かな心で臨めるよう頑張ります。
今後とも何卒よろしくお願い申し上げます。

結婚3

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