ゼレンスキー大統領2022年3月16日、米議会
ウクライナの元コメディアンで、大統領のゼレンスキーさんは3月16日、米国議会でオンラインで演説し
「1941年の真珠湾攻撃を思い出してほしい。空が戦闘機で黒くなった。
 米同時多発テロを思い出してほしい。空からの攻撃で、街が戦場になった。
 我々はロシアによる空からの攻撃で毎日、毎晩、この3週間、同じことを経験している」
と真珠湾攻撃を911のテロと同列にして述べたとの事です。
プーチン大統領は2017年4月、次のような発言をされました
「世界のテロ攻撃の95%が、CIAによって指揮されている」
真珠湾攻撃を首謀したのもアメリカだとする部分が大きいのですが、
そのアメリカが如何にも気の毒な被害者だとするご発言をするこの方が、
今度は日本の国会で演説されるとか・・・
丁度良い機会ですので、真珠湾攻撃について検証したいと思います(^^)b

アメリカの策謀

アメリカのルーズベルトは、参戦に至る迄の少なくとも一年前から

巧妙に日本悪玉の世論をつくる策謀を巡らせていました。

参戦にアメリカ国民の世論が傾くようにもってゆくには、

日本が最初の一発を打つこと、それも『奇襲』でなければならないと。

 

アメリカのシナリオはこうでした。

真珠湾の約一年前の1941年1月24日

フランク・ノックス海軍大臣がヘンリー・スチムソン陸軍大臣に認めた手紙(海軍が陸軍に命じた内容。)

「日米戦は必至だ。

その時、日本は必ず真珠湾を攻撃する。(させるよう、日本を追い込む!)

そしてそれは、奇襲となる。(となるよう、仕組む)

 

しかし実際の日本は、このずっと後の十カ月経った時点でも、まだ戦争回避に心血を注いでいたのです。

19411117 東條英機内閣総理大臣施政方針演説

フランク・ノックス氏は、何故

当時の日本の実際の状況とは真逆の予測ができたのでしょうか?

 ↑このアメリカの側が巡らせていた策謀は十カ月後、ロバーツ委員会報告書に於いて次のような記録として残っています。

『ロバーツ委員会報告書』

●1941年11月26日(日本時間11月27日)、戦争をおこしたいアメリカ側から、戦争を回避したい日本側にハルノートを突き付けた。

●1941年11月27日、(下記、ドール大佐「運命的な会議(ハルノート)」の二日後)

陸軍諜報部長はハワイ陸軍司令指揮下の諜報官に宛て同じくメッセージを送る。

「日米交渉は事実上決裂した。(実際は、米国が決裂するように仕向けた

続いて日米は戦争行為に入るかも知れない。

何等かの破壊的行為が予想される故

この旨陸軍司令官及び参謀長に上申警告すべきことを通知す。

同日、海軍作戦部長は太平洋艦隊司令長官に宛てメッセージを送り

このメッセージは戦争の警告と考えられる事。

太平洋の安定を得んとする日米交渉は終わりを告げた事。

数日中に日本は戦争行動に入るだろう事。

日本陸軍の臨戦態勢と、日本海軍部隊の(…)等により

日本軍のフィリピン、マレー半島、ボルネオ等に対する水陸両面の侵攻作戦を(…)

(…略)かくして両司令長官はこの訓令に基づき、右メッセージの要旨を

ハワイ軍司令官に通達した。

本委員会(ロバーツ委員会)に於ける査問会の席上、

ハワイ陸軍司令官ショート中将は上記メッセージについて

「見せられたような気もするが記憶はない」と陳述した。(←とぼけて逃げた)


一方ドール大佐(ルーズベルトの婿)はルーズベルトが酷く日本を追い詰める動きを近くで見ていました。

ドール大佐曰く

「ホワイトハウスで1941年11月25日に開かれた運命的な会議の記録を読み返して見て」(←日本に対して翌日26日ハル・ノートを突き付ける悪巧み

「私の以前の義父、ルーズベルト大統領および彼の側近たちの戦略は、(日本との間の)
平和を維持し、保障することではなく、

事件を組み立て、あるいは引き起こさせて、
アメリカを日本との戦争に巻き込む
という陰謀にもっぱら関わっていた
と、私は悟ったのです。
それを知って私の心は張り裂けんばかりでした。
これは『裏口』からヨーロッパの戦争に入ることを可能にする計略でした。」

「アメリカ国民は日本との戦争を欲していなかったことを彼(ルーズベルト大統領)は十分に知っていて、

それゆえにこそ、あらゆるコストを払っても戦争をアメリカ国民の頭上に押し付けなければならなかった。

かくて欺瞞に満ちた諸々のことが舞台に入り込み、アメリカ国民の激しい怒り、感情的爆発を起こす『事件(真珠湾攻撃)』を創作することが必要となったのです。

そこでこの怪しげなマントが、巧妙に日本人の肩に掛けられなければならなかった。 

 

さて、日本の意志とは全く逆に、

アメリカは、彼らの我欲を満たす計略を進めていました。

 (以下丸谷元人氏の「メディアを操る影の支配者」を参考にしました)

アメリカは日本に対し、最初の一発をただ打たせるのでは物足りず

日本に『奇襲』攻撃をさせる事でより『悪玉』を演じさせることを計画していました。その為に利用されたのが、日本の優秀な商社マン新庄健吉氏(諜報員)です。

 新庄健吉陸軍主計大佐

国際金融資本の動向を調査していた新庄健吉は、44歳の若さで
『偶然』病気になり

『偶然』イエズス会のジョージタウン大学の医学部の病院に入院してくれた

『偶然』アメリカが策謀を巡らせていた真珠湾奇襲の数日前に死亡した。そして

『偶然』新庄の葬式の時の牧師の話が長々と異例の長さになった。

『偶然』その葬儀中に、開戦となった。

ハルへの宣戦布告文書提出する立場の野村、来栖の両大使がその葬儀に出席しており

『偶然』牧師の話が長々と異例の長さとなった為、中座することができなかった

焦った一等書記官が退席を促すが、野村はそれを制止し、そのまま葬儀に出続けた。

そうこうしているうちに、攻撃が始まり、ハルへの宣戦布告文書提出が遅れた。

見事にアメリカの願望『日本による先手攻撃』しかも『奇襲』が叶った
っということです。 

大本営政府連絡会議の126日の会議において、最後通牒の「手交の時間」がワシントン時間7日午後1時と決定され、伝えられていた。 

それにもかかわらず、なぜ野村大使の手渡しが大幅に遅れることとなったかは、

実は、この葬儀での牧師のメッセージの遅延にあったのです。

 

45歳で突然亡くなった新庄大佐の本当の死因は不明です。

そして、なぜ4日に死亡したのに、

葬式が開戦まで秒読み段階に入った非常時の7日に行われたのか、

また、なぜ野村・来栖両大使がその葬儀の日程を受け入れ、それに参加したのか。
すべてが謎です。
日本の天皇陛下や東條内閣の意向ではない真珠湾攻撃が何故起こされたか、
それはアメリカ国内の共産主義者(国際金融資本のコマ)の牙城としての太平洋問題調査会IPR)が関係しています。これは林千勝氏によると「ロックフェラーの民間版国際連盟のような組織」だそうです。
彼ら国際金融資本家と繋がっていた日本人や左翼を傀儡として操っていました。
この両者(共産主義とグローバリズム)は同根です。
それらの人達が、アメリカの描いたシナリオ通りに演じたのです。
(下図は林千勝氏の講義より)
太平洋問題調査会

さて、この元コメディアン大統領は、今度は日本で何を語るのでしょう。