(再掲:アメブロでBANされた記事)
私はこの画像を見ると、祖父を想い涙がこぼれます。私が生まれた時には、祖父は既に亡くなっていたのですが、手記や論文を通し身近に感じながら育ちました。
当時、米国に対する警戒心を持った祖父の発言はGHQを怒らせただろうなと思います。戦後唐突に外務省を辞めました(公職追放?)。
その祖父が肺結核の病床にあって、死の一週間前に書き遺した手記を一部抜粋します。
ヤルタ会談とソ連侵攻について
----- ----- ----- ----- ----- ----- ----- ----- -----
終戦の年2月4日から11日迄ルーズベルト、チャーチル、スターリンがヤルタに集まって戦後の世界(…)問題について協議したのであったが、病体をおして長途遥々ヤルタを訪れたルーズベルトには隠された一つの大きな狙いがあった。
すでにこの(…)年程前からルーズベルト大統領はハリマン駐ソ大使をしてソ連が日本との戦争に加入するよう工作を進めていたのだが(略)、ヤルタ到着早々、スターリン首相と膝をつき合わせて直接談判で対日交戦を強く迫ったのである。
その結果南樺太をソ連に返還し千島列島をソ連に引渡す「最高機密」の取引が決定された。
一方、モスクワでは佐藤駐ソ大使がスターリンがヤルタから帰るのを首を長くして待ちかねていた。14日、早速クレムリンにモロトフ外相を訪れヤルタ会談の情報を求め、日ソ関係に及ぼす影響を質した。
モロトフ外相は対日参戦を約束した事などはオクビにも出さずこう述べた。
「米英と日本は戦争関係にありますが、ソ連と日本は中立関係で、関係は別ですよ。中立協定はまだ期限が一年もありますし、日ソ関係はこのまま続きますよ」
(略)
モロトフ外相は去る2月の最高会議で「ソ連はヤルタ協定を忠実に実行してきた」
と強調している。
----- ----- (抜粋おわり) ----- -----
この手記を私は最近迄天井裏に仕舞い込んでいたのですが、三年前、北海道新聞が祖父の記述を裏付ける情報を載せていました。
米海軍主導の極秘軍事作戦「プロジェクト・フラ」
新聞にはアメリカが「援助」したとありますが、そんな生易しいものではありませんでした。
占領の積極的な仕掛け人は、スターリンではなく米ソ両国を操っていた勢力でした。
昭和20年5月~9月の間、ソ連に対して掃海艇55隻と、上陸用舟艇30隻、更に駆逐艦やフリゲート艦28隻、合計145隻の艦船をアメリカはソ連に無償供与しています。
アラスカのコールドベイ米軍基地で
米兵1,500人を動員し、ソ連兵1万2,000人に対し、対日戦に向け特訓を施したのです。
これは日ソ間の分断工作。
日本を、周辺諸国と対立させて、日本のエネルギーをそういった対立に向け、消耗させる
ということをやられています。
同じ事を ●日本と中国(尖閣問題)でも…
●日本と韓国(竹島問題)でも
…当時韓国軍の統制権は米軍、米軍の指揮下で竹島を盗った。
日本は占領下
日本が戦後抱えてきた全ての領土問題を『作り上げた』背後にアメリカがいるという事です。
こんなに派手な訓練をしていたのに察知できなかった日本も迂闊だった?
これらの事実を昔の日本人はよく解っていたと思うのですが、なぜ現代の私達にキチンと伝わっていないのでしょうか?
真実は、占領政策の中でかき消されてゆきました。
真実にもう一度立ち返り、愛情主義で日本を取り戻しましょう。