さくら子

日本(ひのもと) さくら子です。 国難を乗り越え、美しい日本を取り戻す「モデル都市建設」に挑戦中です(*^_^*)v (アメブロでアカウント削除(BAN)によりこちらにお引越ししました(^-^)♪ )

タグ:GHQ

(アメーバブログで削除処分された記事から)
戦後GHQは日本の精神伝統の基である教育を奪いました。
彼らが消し去った不都合な真実を、このシリーズで復活させます。
墨塗り3

国立国会図書館HPより

尋常小學國語讀本 小さなねぢ  1尋常小學國語讀本 巻十二 文部省 1931.6

第十二課 小さなねぢ

尋常小學國語讀本 小さなねぢ  2
暗い箱の中にしまひ込まれてゐた小さな鉄のねぢが、不意にピンセットにはさまれて、明るい処へ出された。ねぢは驚いてあたりを見廻したが、いろいろの物音、いろいろの物の形がごたごたと耳にはいり目にはいるばかりで、何が何やらさつぱりわからなかつた。 

しかしだんだん落着いて見ると、此処は時計屋の店であることがわかった。自分の置かれたのは、仕事台の上に乗つてゐる小さなふたガラスの中で、そばには小さな心棒や歯車やぜんまいなどが並んでゐる。きりやねぢ廻しやピンセットや小さな槌やさまざまの道具も、同じ台の上に横たはつてゐる。周囲の壁やガラス戸棚には、いろいろな時計がたくさん並んでゐる。かちかちと気ぜはしいのは置時計で、かつたりかつたりと大やうなのは柱時計である。 
尋常小學國語讀本 小さなねぢ  3

ねぢは、これ等の道具や時計をあれこれと見比べて、あれは何の役に立つのであらう、これはどんな処に置かれるのであらうなどと考へてゐる中に、ふと自分の身の上に考へ及んだ。 

「自分は何といふ小さい情ない者であらう。あのいろいろの道具、たくさんの時計、形の大きさもそれぞれ違つてはゐるが、どれを見ても自分よりは大きく、自分よりはえらさうである。一かどの役目を勤めて世間の役に立つのに、どれもこれも不足は無ささうである。唯自分だけが此のやうに小さくて、何の役にも立ちさうにない。何といふ情ない身の上であらう。」 

不意にばたばたと音がして、小さな子どもが二人奥からかけ出して来た。男の子と女の子である。二人は其処らを見廻してゐたが、男の子はやがて仕事臺の上の物をあれこれといぢり始めた。女の子は唯じつと見まもつてゐたが、やがてかの小さなねぢを見付けて、

「まあ、かはいゝねぢ。」

男の子は指先でそれをつままうとしたが、余り小さいのでつまめなかつた。二度、三度。やつとつまんだと思ふと直に落としてしまつた。子どもは思はず顔を見合はせ。ねぢは仕事台の脚の陰にころがつた。

 尋常小學國語讀本 小さなねぢ  4

此の時大きなせきばらひが聞えて、父の時計師がはいつて来た。時計師は、

「此処で遊んではいけない。」

といひながら仕事台の上を見て、出して置いたねぢの無いのに氣が附いた。

「ねぢが無い。誰だ、仕事台の上をかき廻したのは。あゝいふねぢはもう無くなつて、あれ一つしか無いのだ。あれが無いと町長さんの懐中時計が直せない。探せ、探せ。」
ねぢは之を聞いて、飛上るやうにうれしかつた。それでは自分のやうな小さな者でも役に立つことがあるのかしらと、夢中になつて喜んだが、此のやうな処にころげ落ちてしまつて、若し見附からなかつたらと、それが又心配になつて来た。

親子は総掛かりで探し始めた。ねぢは「此処に居ます。」と叫びたくてたまらないが、口がきけない。三人はさんざん探し廻つて見付からないのでがつかりした。ねぢもがっかりした。

尋常小學國語讀本 小さなねぢ  5
其の時、今まで雲の中に居た太陽が顔を出したので、日光が店一ぱいにさし込んで来た。するとねぢが其の光線を受けてぴかりと光つた。仕事臺のそばに、ふさぎこんで下を見つめてゐた女の子がそれを見付けて、思はず「あら。」と叫んだ。
父も喜んだ、子どもも喜んだ。しかも一番喜んだのはねぢであつた。
時計師は早速ピンセットでねぢをはさみ上げて、大事さうにもとのふたガラスの中へ入れた。さうして一つの懐中時計を出してそれをいぢつてゐたが、やがてピンセットでねぢをはさんで機械の穴にさし込み、小さなねぢ廻しでしつかりとしめた。

龍頭を廻すと、今まで死んだやうになつてゐた懐中時計が、忽ち愉快さうにかちかちと音を立て始めた。ねぢは、自分が此処に位置を占めたために、此の時計全体が再び活動することが出来たのだと思ふと、うれしくてうれしくてたまらなかつた。時計師は仕上げた時計をちよつと耳に当ててから、ガラス戸棚の中につり下げた。

尋常小學國語讀本 小さなねぢ  6
一日おいて町長さんが来た。
「時計は直りましたか。」
「直りました。ねぢが一本いたんでゐましたから、取りかへて置きました。工合の悪いのは其の為でした。」
といつて渡した。ねぢは、
「自分もほんたうに役に立つてゐるのだ。」
と心から満足した。
(おわり)
人格大国 01


目指せ!教育大国日本

ナポレオン・ボナパルトはイエズス会についてこう述べています。

イエズス会の考えとは世界を独裁支配することであり、

権力を最も悪用している組織である。

マルティン・ルターらの宗教改革者達が抗議したローマカトリックの実態は
あまり知られていません。

彼らは命をかけてこの勢力と闘い、一億人ほどがローマカトリックによって惨殺されました。
クリスチャンを約一億人以上を殺した
(イエズス会と本当のキリスト精神とは、相反するものです。これは一般のクリスチャンについての批判ではありません。) 

日本もまた1549年ザビエルの来日以来、イエズス会(耶蘇教)による被害を受け続けてきました。

今回はこのイエズス会の、日本占領期に於ける動きについてお話をさせて頂きます。


GHQ占領下でアメリカは原則として「日本の苦境は日本国自らの行為の責任である」とし

日本政府に対し食糧の輸入も禁止し、飢餓に追い込みました。

台湾などからのお米も途絶え、終戦後の食料事情は極度に窮迫しました。

更にGHQ支配下での「配給制度」は「欠配(配給なし)」「遅配」が日常的となり

餓死者が続出し、1948年に餓死者数は史上最高となりました。


戦時中であればやむを得ませんが、戦後にというのはオカシナお話です。

戦後の食料危機について

「1945~48(昭和20~23)年、
食糧事情は悪化の極に達し、主食配給の遅配・欠配は日常化した。
都市の人びとは、あらそって農村へ…(略)」
(江坂輝弥 他6名『高等学校新日本史B』自由書房、1994年)

配給制度は戦前からありましたが、その配給量はGHQが支配するようになって急激に制限(激減)されました。

1945年10月、東京都内では上野駅構内だけで餓死者が1日平均2.5人、 多い日は6人、大阪市では8月から10月に196人、京都市では同期間の「行路死」が300人以上に達した。当時の芦田均厚生大臣は「まるで地獄だ」との感想を漏らしたという

( 『朝日新聞』1945年11月18日)


1945(昭和20)年の東京では、副食物の配給量が都民

1人あたり1日分ねぎ1本、5日分として魚一切れほどになった」

( 宮原武夫 他7名『高校日本史改訂版』実教出版、1987年)


都市ではひと月に餓死者が数十人、上野公園では 1 日に 6 人が餓死していた

という新聞記事もあります。

こちらは1945年(昭和20年)11月1日にあった「餓死対策国民大会」のビラです。
餓死対策国民大会 ビラ
「餓死対策国民大会」1945(昭和20年)

終戦後、主食配給量は絶対的に不足し、取り消しになる「欠配」や「遅配」が続いた。

食糧不足が一層深刻となり、多くの餓死者が出るとの危機感がもたれた。

この大会は、1945年(昭和20年)11月1日に東京・日比谷公園で開催されたもので、配給量の確保を訴えた。

(「戦後復興までの道のり—配給制度と人々の暮らし—」より)

1946年に入っても配給米の遅配・欠配が続き、5月の東京では配給量が220gに落ち込みました。

5月19日皇居前で25万人を超える都民が「飯米獲得人民大会 」を開いたが、GHQのマッカーサー最高司令官は、

「大衆的暴行と威嚇の現実手段がますます強くなる傾向は(中略)、継続を許さない」

(袖井林二郎『マッカーサーの二千日』中央公論社、1976年、p.120)

とマッカーサーは計略的に日本人を餓死させる一方で、非常に高圧的でした。

当時の死因で目立ったのは餓死だけではありませんでした。

飢えからの衰弱による免疫力の低下で、発疹チフス、天然痘、コレラによる死者も6880人(1946年)にのぼりました。

これは自然発生的なものに加え、GHQによる作為的なものも含んでいたのではないでしょうか。
サムス准将 GHQ 日本人の学生に人体実験をさせようとした馬鹿

このGHQ公衆衛生福祉局のクロフォード・サムス局長は、日本民族浄化政策を強いた人物でもあります。日本人の産児制限を強く促したのです。

23年6月、日本政府の慎重姿勢をよそに人工妊娠中絶を認める優生保護法を成立させました。彼等は人間的な常識で「あり得ない」と思うことも平然と行います。


お話を元に戻します。

GHQ政策により作為的に、餓死者数を続出させた状況下で アメリカは1946年、アメリカ産小麦粉で学童にコッペパンの配給を開始しました。

更にGHQは1949年から脱脂粉乳をアメリカから輸入させました。

初回は 1949 年 6 月370,000kgを輸入しました。

(「戦後保育所に送られた救援物資と脱脂粉乳」東京家政大学 岩崎 美智子)

杉田穂高さん(歯科医師)は次のように言われています(要約)。

『アメリカの配給制度』の下で、意図的に餓死させられたのだ。

実際餓死させようという狙いもあったのだが、

この飢餓状態を救うのに、パンと牛乳の給食は如何かと勧めてきた。

勿論、日本は餓死を逃れるために、受け入れざるを得なく、

その為の前準備として飢餓状態を作られたのだ。

日本国民の救世主顔した偽善国家の正体だ。

牛乳を飲むと骨が丈夫になるなんて言う無知な医者には罹ってはダメ。

WHO世界保健機構ですら、乳製品を摂取するほど、骨折率が高い事を認めている。乳製品、小麦を頻繁に摂取している人はまず、健康でいられない。

小麦を日本人に押し付け、子供の頃からその習慣を覚えさせる為に、押し付けた戦略。

苦い変な味がしたのは、カビ大量のポストハーベスト(危険な農薬)の味。

健康になりたかったら、糖、乳製品、小麦を止め、身体を温めるのみ。


●「パンと牛乳は今すぐやめなさい!」(内山葉子著)

https://blog.goo.ne.jp/jungle488/e/502733a4cfa6b6f43ecff4053a6ad4a6

●ポストハーベスト農薬の危険性

https://hapimono.com/post-harvest/

GHQは日本国民を飢えに喘ぐ状態にした上で日本政府に対し、

一方では食糧の輸入を禁止

欧米化の食生活を受け入れざるを得ない状況に追い込みました。

占領政策の一環で学校給食はこの小麦粉を使ったパンと脱脂粉乳が主体であったため子供たちを中心にパン食が普及した。

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ダグラス・マッカーサーは

「我が輩は米と魚と野菜の貧しい日本人の食卓を、パンと肉とミルクの豊かな食卓に変えるためにやってきた」と豪語している。

(安達 巌 『日本型食生活の歴史』)

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しかし日本食、即ち宮沢賢治が言う「一日に玄米四合と味噌と少しの野菜」が健康に良いことはマクガバンレポートからも明白です。


敗戦から3年経った1948年、

中学1年男子の身長・体重(全国平均、カッコ内は1939年の数値)は

135.0㎝(137.8㎝)、31.4㎏(32.5㎏)。


GHQによる『発疹チフスの人体実験』からも、上述の杉田医師のお話は極論ではなく、GHQ占領時代の「配給制度」は、計略的に日本人を餓死に至らせる為

即ち配給する為ではなく、制限して、餓死に至らせる制度だったのです。

GHQ政策が、そもそも日本人を人間として見ておらず、日本民族の人口を減らしたいとする意図を持っていた点(GHQ公衆衛生福祉局のクロフォード・サムス局長による優生保護法)などからも客観的にうなづけます。


かくして我が国は、1948年(昭和23年)国民の餓死者が史上最高になりました。

日本人が次々と餓死し、「まるで地獄」(芦田均厚生大臣)となっている中で、
同じ年に、
写真(二つ下の白黒写真)では、向かって左に立つ米軍兵士は丸々と太っています。栄養過多ではないでしょうか… 

同じ写真で、マッカーサーと話している右の男性は、1948年に来日していた

イエズス会 エドマンド・ウォルシュ神父        

彼はナチスドイツ・ヒトラーの戦争戦略を作った、地政学者

カール・ハウスホーファーの弟子です。

イエズス会が操っていた歴史上の人物にはヒトラーもいます。

このエドマンド・ウォルシュ神父らイエズス会の上層部は以下の宣誓をした者達です。

イエズス会の宣誓文cs

さて、下の写真は1948年に東京で撮られたものです。

国民の餓死者が史上最高となった年です。

タイミングを見計らってイエズス会は・・・ 

1948 軍事組織イエズス会とマッカーサー

国民のために祈られる、その天皇の

その国民が、餓死してゆく現状の中で

イエズス会は、天皇陛下に迫ったのです。

「陛下は国民の飢えを苦慮されていると聞くが、

もし陛下がカトリックの洗礼を受けられたら、

世界のカトリック教徒は一致協力して食糧援助に立ち上がることは確実である。

この機会に改宗することをお勧めする」

 1948年6月9日、 ローマ教皇ピオ十二世からの天皇あて書簡。

NYのフランシス・スペルマン枢機卿を通して天皇に届けられました。

バチカンはの真の支配権は、何世紀にもわたって、イエズス会の手中にあります。


イエズス会の世界支配の手口はまずその国の王をカトリックに改宗させ、取り込みます。

例をあげましょう。

ジョージ・ブッシュはアメリカ大統領になるよりも前から

秘密結社スカル&ボーンズの会員でした。

彼は入会した時、ローマ教皇に従う事を宣誓をしました。

その瞬間からジョージ・ブッシュはカトリックの教皇権の配下に落ちました。

その後アメリカ大統領に選ばれ就任した際誓いを立てました。

しかし合衆国憲法以上に外国のローマ教皇の命令を優先していたのです。

アメリカにとって、これはどういう意味を現していると思われますか?

一国のリーダーが国益を蔑ろにし、バチカンに有利になる様に動くのです。

我が国を大東亜戦争に引き込んだルーズベルト然り。

日本のキリシタン大名がイエズス会の侵略の手先となり

日本人を奴隷として売り渡したのも同様です。

天皇陛下をカトリックに改宗させようとした意図はここにあります。

 

天皇陛下と大御宝である国民とは、親子の絆で結ばれている。

この日本を支配するにはどのように仕掛けを造れば良いのか?

イエズス会の策略が見えてきます。


(・・・ここから以降は、西村眞悟先生のご講演を参考にして書きました)

当時昭和天皇にとって大御宝である国民が飢餓状態にあった中昭和天皇は迷われたと思わざるを得ません。

同年12月27日、そのような天皇陛下のみ前で、大声で

年初の歌会始に陛下が詠まれた歌を朗々と吟じてあとは何も言わずに退室した男がいました。

“天皇の国師”と言われた人物・三上照夫氏です。 
冬枯れのさびしき庭の松ひと木s
(冬枯れの寂しい庭に立つ松の一本の木、それは季節の中で色を変える木々や植物の中でも色を変えることのない松の木だ その一本をこそ鏡としよう。)

三上照夫氏は特攻隊の生き残り、その時二十歳でした。


何事があっても色を変えてはならぬ

この自らの御製に従って、ローマ教皇からの誘惑には一切乗られなかったそうです。(ココ迄、西村眞悟氏講演から)

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2千年前イエスは40日間断食をされ極限状態にあった時 悪魔から

「石をパンに変えよ」という試練を受けられました。

それに対しイエスは

「『人はパンだけで生きるものではなく、神の口から出る一つ一つの言で生きるものである』と書いてある」

と答えられました。


石は神の真理を意味しています。 


日本も同じ状況下にあって、悪魔の誘惑を跳ね除けたのです。



この崇高な日本精神を取り戻す挑戦をしています!

(再掲:アメブロでBANされた記事)
北方領土は南樺太と全千島列島
私はこの画像を見ると、祖父を想い涙がこぼれます。私が生まれた時には、祖父は既に亡くなっていたのですが、手記や論文を通し身近に感じながら育ちました。

当時、米国に対する警戒心を持った祖父の発言はGHQを怒らせただろうなと思います。戦後唐突に外務省を辞めました(公職追放?)。

その祖父が肺結核の病床にあって、死の一週間前に書き遺した手記を一部抜粋します。

ヤルタ会談とソ連侵攻について (…)は読み取れなかった部分

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終戦の年2月4日から11日迄ルーズベルト、チャーチル、スターリンがヤルタに集まって戦後の世界(…)問題について協議したのであったが、病体をおして長途遥々ヤルタを訪れたルーズベルトには隠された一つの大きな狙いがあった。 

すでにこの(…)年程前からルーズベルト大統領はハリマン駐ソ大使をしてソ連が日本との戦争に加入するよう工作を進めていたのだが(略)、ヤルタ到着早々、スターリン首相と膝をつき合わせて直接談判で対日交戦を強く迫ったのである。

ヤルタ会談1

その結果南樺太をソ連に返還し千島列島をソ連に引渡す「最高機密」の取引が決定された。 

一方、モスクワでは佐藤駐ソ大使がスターリンがヤルタから帰るのを首を長くして待ちかねていた。14日、早速クレムリンにモロトフ外相を訪れヤルタ会談の情報を求め、日ソ関係に及ぼす影響を質した。

モロトフ外相は対日参戦を約束した事などはオクビにも出さずこう述べた。

「米英と日本は戦争関係にありますが、ソ連と日本は中立関係で、関係は別ですよ。中立協定はまだ期限が一年もありますし、日ソ関係はこのまま続きますよ」

(略)
モロトフ外相は去る2月の最高会議で「ソ連はヤルタ協定を忠実に実行してきた」

と強調している。
----- ----- (抜粋おわり) ----- ----- 
この手記を私は最近迄天井裏に仕舞い込んでいたのですが、三年前、北海道新聞が祖父の記述を裏付ける情報を載せていました。
ソ連四島占領 米が援助s米海軍主導の極秘軍事作戦「プロジェクト・フラ」

新聞にはアメリカが「援助」したとありますが、そんな生易しいものではありませんでした。
占領の積極的な仕掛け人は、スターリンではなく米ソ両国を操っていた勢力でした。

昭和205月~9月の間、ソ連に対して掃海艇55隻と上陸用舟艇30隻、更に駆逐艦やフリゲート艦28隻、合145隻の艦船をアメリカはソ連に無償供与しています。

 

アラスカのコールドベイ米軍基地で
米兵1,500人を動員し、ソ連兵12,000人に対し、対日戦に向け特訓を施したのです。

これは日ソ間の分断工作。
日本を、周辺諸国と対立させて、
日本のエネルギーをそういった対立に向け、消耗させる
ということをやられています。
同じ事を    日本と中国(尖閣問題)でも…
        中国の春暁ガス田を造ったの


       ●日本と韓国(竹島問題)でも
        …当時韓国軍の統制権は米軍、米軍の指揮下で竹島を盗った。
          日本は占領下
        竹島 メタンハイドレートアメリカシェル石油1

日本が戦後抱えてきた全ての領土問題を『作り上げた』背後にアメリカがいるという事です。

2-1北方領土侵略はルーズベルトの方から勧めた
2-1

2-1北方領土侵略に無償供与した米軍の船艇
こんなに派手な訓練をしていたのに察知できなかった日本も迂闊だった?

2-1北方領土侵略ソ連軍が米軍から訓練

2-1領土問題を仕組んだダレス

これらの事実を昔の日本人はよく解っていたと思うのですが、なぜ現代の私達にキチンと伝わっていないのでしょうか?
真実は、占領政策の中でかき消されてゆきました。

江藤淳 閉された言語空間
郵便検閲01
郵便検閲03
真実にもう一度立ち返り、愛情主義で日本を取り戻しましょう。

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